Index Top 第1章 主人公を探せ

第5節 それは世界を操る力


 街外れにある、古びた宿屋。
 壁や床、天井は木でできている。部屋にはベッドがふたつ置いてあった。窓の外を見ると、空は橙色に染まっていた。そろそろ日没になるだろう。
 右側のベッドにシギとメモリアが座り、左のベッドに一矢が座っている。テイルは綿毛のように空中を漂っていた。
「鋼の書――」
 シギは神妙な顔で話す。
「この世の全てが書かれた本。その本に書き込まれたことは、現実となる。鋼の書は異世界より書き手とともに現れ、この世界の運命を自在に操る。これがこの世界ストーリアに伝わる鋼の書の伝説だ――」
 言い終わってから、一矢が持った鋼の書を見つめた。
「そ、そうなのか……?」
 両手で握った鋼の書を見つめ、一矢は呟く。
 知らぬ間に、伝説までできていたらしい。この世界は自分の手を離れて一人歩きしている。この世界は一体、どこまで行くのだろうか。
「そんなに凄いものじゃないわよ」
 一矢の頭の上に座り、テイルが言った。シギを見やって、
「鋼の書でできるのは、現実をちょっと書き換えるだけ。しかも、変えられる度合いは、こいつの分章力に左右される。あなたが思うほど万能じゃないよ」
「そうか――」
「じゃあ、どんなことができるの?」
 メモリアが訊いてくる。
 テイルは一矢の頭から飛び降りて、鋼の書の上に着地した。何かを考えるような仕草をしてから、口を開く。その前に――
 シギが黒い革の財布を取り出し、呟いた。
「この財布の中身、増やせるか? 今は八万いくら入ってるだが」
「無理よ」
 シギの言葉をテイルが一蹴する。半眼でシギを睨んで、指を左右に振り、
「あなた、金額言っちゃったでしょ。決まったことは鋼の書でも変えられないのよ。変えられても、せいぜい『いくら』の部分だけ」
 その台詞はシギに向けられているようで、一矢にも向けられていた。この世界では、鋼の書を以てしても、決まったことは覆せない。注意しなければならない。
 鋼の書から飛び上がり、テイルが言ってくる。
「でも、メモリアの財布の中身なら鋼の書に書き込めるわ。メモリアの財布の中身は決まってないからね。さ、やってみて」
 と、振ってきた。強制するような光を瞳に宿して。
 一矢は、鋼の書を開き、呟いた。
「メモリア。君の財布には、約三千五百入っている。財布出してみてくれ」
「うん」
《言われるままに、メモリアが財布を取り出す。シギのものより一回り小さい、白い財布。そこには、三枚の赤い紙幣が入っていた。小銭入れを逆さまにすると、十枚ほどの大小さまざまな硬貨が出てくる。赤い紙幣は一枚一千タート。小銭の合計は、五百二十三タート。
 一矢の言った通り、メモリアの財布には、約三千五百タート入っていた》
「あわわ……」
「あのねえ――」
 テイルが冷たく言ってくる。
 散らばった硬貨をメモリアが拾っていた。メモリアは財布をただ逆さまにしただけである。小銭を手の平で受け止めてはいない。
「ただ逆さまにしただけなら、落ちるだけでしょ」
 一矢の頭をぽかぽか叩きながら、テイル。痛くはないが、精神的に響いていた。受け止めた、という一文を書き忘れだけで、この結果である。
(一文でも書き逃すと、こうなるのか)
 もしこれが危機的状況ならば、この書き忘れが命に関わるだろう。一文の書き忘れが、致命的な失敗につながるかもしれない。
「これが、鋼の書の力だ……」
 散らばった硬貨を拾いながら、一矢はシギに告げた。
 しかし、シギは半信半疑といった面持ちで、言ってくる。
「俺はメモリアが財布をひっくり返したようにしか見えなかったが……メモリアの財布の中身は言い当てたよな……? お前、鋼の書で何かしたのか?」
「したけど……」
 呻きながら、一矢は頭をかいた。
 小銭を拾い終わった財布をポケットにしまい、メモリアも呟く。
「わたし、何も感じなかったよ」
「どういうことだ?」
 呻きながら、一矢はふわふわと浮かんでいるテイルを見やった。鋼の書に書き込んだというのに、二人は気づいていない。
 テイルは安楽椅子にでも座ったような姿勢で、指を左右に動かす。
「鋼の書に書かれたことは、書いた本人以外、鋼の書によるものかそうでないのか、まず区別がつかないのよ。だからシギには、あなたが鋼の書を使ったのが分からないの」
「なら、俺に見せてくれないか? 鋼の書を――」
 シギが左手を差し出してくる。
「ああ……」
 頷いて、鋼の書を渡そうとし……
 一矢はその手を止めた。この世界の人間が鋼の書を読んでいいのだろうか。特に序盤のテイルとの会話部分を読まれたら、とんでもない事態になるのは想像に難くない。
 が。
「いいわよ。見せても」
 あっさりとテイルが言ってくる。
 戸惑いながらも、一矢は鋼の書をシギに渡した。
「これが、伝説の鋼の書か――。何か、地味だな」
「わたしにも見せて」
 鋼の書を開くシギと、それを覗き込むメモリア。
 だが、ページをめくるにつれて、二人の表情が曇ってくる。何か引っかかることがあるらしい。それをシギが言ってきた。
「何だ、これは……? 確かに、メモリアが財布をひっくり返すのは書いてあるし、俺の言葉につれて文字が書き込まれてるが……」
「凄く読みにくいよ。あちこち抜けてるし、始めの十ページくらいは何も書いてないし」
「え?」
 鋼の書を受け取り、一矢は最初から流し読みしてみる。しかし、どこも欠損はない。最初のページから、この行まで文字は一文字も抜けていない。
 宙を移動しながら、テイルが告げた。
「言っとくけど、鋼の書は誰でも読めるわけじゃないわ。読めるのは、視点の中心にいる人だけ。他の人は、自分に関わっている部分しか読めないのよ」
「そうなのか……」
 一矢は納得する。視点の中心は自分。他の人間が読んで、物語の世界におかしな影響を与えないように工夫されているらしい。

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11/10/9