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第3節 日暈家奥義発動


 空刹が手首を返して刀を弾き、左手を伸した。ただの開手に見えるが。
 慎一の右手が手首を掴み、壁に縫い付ける。二倍ほどの長さに伸びた右腕。五指が腕に突き刺さっていた。錬身の術の前では、打撃戦の間合いは意味をなさない。
 同時、弾かれた左手が戻る。猛毒の瘴気を纏った鈍色の刃。
 それを見て、空刹の表情に迷いが映った。剣を引き戻して防ぐのは間に合わず、左腕を掴まれ逃げることも出来ない。刀は胴体を両断する軌道の逆袈裟。
「ならば!」
 空刹は後ろに跳んだ。コンクリート壁が崩れる。
 切先が胸を斬った。浅い創傷を刻んだだけ。通常の刃物ならば擦り傷だろう。だが、刀身から溢れた瘴気が傷口を蝕む。風化するように崩れ始める傷口。
 空刹の顔に、初めて焦燥が現れた。
 剣を振り、左腕を掴んでいた慎一の腕を弾く。
「話には聞いてたけど、とんでもない凶刃だな!」
 踏み込みながら、慎一は刀を突き出す。攻撃を巨大化させる大牙。砲華の術の上位応用。一瞬で数十倍に膨れ上がった透明な剣気の刃が、ビルごと空刹を撃ち抜いた。
 鉄筋コンクリートを何枚も貫き、後ろのビルまで空刹を吹き飛ばす。瓦解する二棟のビル。瘴気によって劣化したコンクリートが、砂のように砕ける。
 それを見届ける暇もなく、慎一は追った。縮地の秘術による亜音速、破片や瘴気を薙ぎ散らしながら、横薙ぎの斬撃を放つ。真上に跳ぶ空刹。
「逃がすか!」
 慎一は地面を蹴った。狐火をまとい、氷霧を突っ切る。
 空高く、ダイヤモンドダストの彼方に見える空刹。腕の一振りで氷柱を放った。数十本の氷のミサイル。銃弾よりも速いが――見える。反応も造作ない。
 刀を閃かせ、氷柱を弾いていく。
 閃く銀光。眼前に見える剣の白刃。
「ッ!」
 逃げるか受けるか。
 慎一は本能に従い、横へと跳んだ。刹那の判断。近くのビルの屋上へと着地する。
「よく反応出来ましたね。真っ二つに出来ると思ったのですが」
 氷の板を空中に作り出し、空刹は浮かんでいた。抉られたような胸の傷口から、血が流れている。それでも、瘴気の浸食を抑えたのは特筆に値するだろう。
「左腕だけで済んだのは運がいいな。腕斬られるのは何年ぶりだ?」
 左腕が上腕部の半ばからなくなっている。式服ごと切断したのだ。
 気にせず指先まで再生させる。狐神の身体に錬身の術、ふたつを合わせれば、致命傷以外はほぼ無視できた。それでも命断の式による生命力へのダメージは無視できない。
 冷気と氷の結晶の渦巻く空中。睨み合うのは数瞬。
「では、こちらから――」
 空刹が剣を振り上げ、唐竹に振り下ろす。
 知覚ぎりぎりの速さ。慎一は右へと動きながら鎬で刃を弾き、右手の二指を放った。空刹の頭のあった空間を弾丸のような指突が貫く。身体を反らし左へと逃げる空刹。
 刀の切先が空刹の胸を貫いた。瘴気に蝕まれ、傷口から風化するように崩れる肉体。だが、あまりにも崩れるのが速い。
「分身か!」
 慎一は振り向きざまに右腕を伸ばす。
 五指から伸びた骨針が、空刹の胸を捕らえた。杭へと変化している右前腕の骨。左手の刀が大剣を受け止めている。分身を囮に、別方向からの本命打。
 空刹の剣を防ぎ、カウンターで大技。
「これは……ピンチです」
「吹き飛べ――!」
 視線で会話するのも一瞬。
「獣術・骨杭!」
 剣気が弾け、骨杭を射出する。骨針で相手を捕らえ骨を撃ち込むのが正しい使い方だ。二重限開式から放たれる速度と骨杭に込められた剣気は、以前の比ではない。
 命断の式を刻まれた骨杭が空刹の心臓を撃ち抜いた。術で防御したようだが、無視して貫通し、さらに後方へと吹き飛ばす。離れたビルの壁面に大穴が穿たれた。
 屋上のコンクリートが無惨に剥がれている。余波も凄まじい。
 骨を再生させつつ、後を追うように慎一は腰を沈め。
 左腕を伸ばした。刀の切先を、大剣の腹で受け止める。
「気づかれました?」
「最初が囮なら、二人目が囮でも驚かないさ」
 空刹が跳び退く。剣の一振りで巻き起こる吹雪。空気中に氷が散り、視界が白濁する。
 慎一は迷わず両手を突き出した。目潰しを気にする必要もない。
 両腕を砲身として、許容量限界の剣気を撃ち出す。
 天壊砲!
 剣気の砲撃が、真正面から吹雪を引き裂き、空刹を直撃した。衝撃と高密度エネルギーの奔流。剣気の輝きの中で、空刹の右半身が砕け散る。それも一瞬のこと。白い瞬きが、市街地の十数区画を丸ごと瓦礫に変えた。
 屋上の残り半分も吹き飛んでいる。ほどなくこのビルは倒壊するだろう。
「次は……」
 慎一は哨界の術で空刹を探り。
 重い金属音。視界が跳ねる。
 分厚い刃が、右肩から胸の辺りまで斬り込んでいた。胸元に引き寄せた刀で、その刃を間一髪受け止める。反応がコンマ一秒でも遅ければ頭蓋を割られていただろう。刀を引き戻さなければ、身体を両断されていた。
「さっきのも分身か?」
「残念ながら二人目が本物でした。僕の力で同位分身を作るのは、一度に二体が限度です。奇襲は失敗ですかね?」
 肩が凍り始めている。傷口から吹き出す青い光。最高出力の狐火を突き抜け、凍結は着実に体組織を壊していた。膠着状態は自殺行為である。
「その根性は尊敬する!」
 慎一は腕を跳ね上げ、剣を弾いた。
 身体の前後を入れ替え、刀を構える。この動作は確実な隙となる。だが、躊躇はしていられない。踏み込んでくる空刹の姿が映る。マガツカミの写刀による傷と、獣術・骨杭によって胸に開いた穴。どちらも致命傷に近いが、効いているようには見えない。
 傷だらけの空刹が踏み込んでくる。
 左腕のみで跳ねるように伸びる切先。
 その手首を空刹が掴んだ。
「―――!」
 文字通り一瞬。肘から先が砕け散る。骨や神経まで絶対零度近くまで冷却。液体窒素に浸した花の如く。力を入れるだけで、ガラス細工のように割れた。
 空刹が落ちかけた刀を掴み、跳ね上げる。
 狙いは心臓。瘴気の効果は自分にも及ぶのだ。胸を刺されれば十二分に致命傷となる。命断の式を凌駕する死の引力は、錬身の術でも防げない。
「マズい……!」
 鈍い衝撃。
 慎一の右腕が刀を受け止めていた。刀身が前腕を貫き、軌道を逸らされた切先が左肩をかすめている。柄を握っているはずの空刹はいない。
 十数条の刃物が空刹の身体を貫き、コンクリートに縫い付けていた。長い銀髪を錬身の術で操り、刃物として放ったのである。ただ、殺傷力自体は低い。
 空刹が剣の一振りで髪を切断した。刺さった髪を引き抜いていく。
「ここまでやると無事では済みませんね。元々僕は研究者なんですよ。戦闘は得意ではないのに、言い出した自分が悪いのですが……」
 愚痴を漏らしてから、何度か咳き込んで血を吐き出した。
 積もった雪の上に、刀が落ちる。右腕が崩れ始めていた。式服の袖も崩れていく。錬身の術や一級式服程度で、瘴気の浸食は止められない。放っておけば全身を蝕まれる。
 慎一は髪の一房を動かし右腕を肩口から斬り落した。床に落ちて灰のように崩れる腕。左腕を再生させながら、刀を拾い上げる。
「切り札の出し惜しみは無意味か……」
 独りごちながら、慎一は再生の終わった左手で刀を構えた。全身を包む剣気が、白から青黒い色へと変わっていく。写刀の瘴気を剣気に流し込んだのだ。
「日暈家奥義のひとつ瘴術ですね。剣気に猛毒を帯びさせ、命断の式以上の殺傷効果を生み出す技法。ただ、瘴気に直接触れるため、あまり身体には良くありません」
「贅沢は言ってられないさ」
 苦笑混じりに言い返してから、慎一は踏み出す。右腕の再生は遅い。
「そうですね」
 空刹が床に大剣を突き立てた。
 それがトドメとなって、ビルが倒壊を始める。

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