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第2節 圧倒的な―― |
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影獣が地面を蹴り、走り出す。馬のような丁寧な走りではなく、もっと獰猛で過激な走法。自動車以上の速度で道を突き抜け、門をくぐり、公園から飛び出す。 ――空気が震えた。 耳に響く爆音。さきほどとは比べものにならない規模。公園から火柱が上がる。膨大な霊力と魔力、さらに火薬の匂いが吹き抜けた。辺りに降り注ぐ土片や折れた木の枝。ありったけの爆薬と魔法、霊術を影獣に仕込み、爆発させたらしい。 カルミアの檻を抱え、慎一は息を呑んだ。 「これでしばらく足止め出来ればいいけどね」 「無理そうだな」 他人事のように答える。イベリスの呟き。 「来る。逃げて」 身体を跳ね上げ、慎一は結奈を蹴り飛ばした。反動で自分も跳ぶ。 ガラスの割れるような音とともに、四本の氷の槍が降り注いだ。胴体に大穴を開けられ、裂けるように消える影獣。反応が遅れていれば、串刺しになっていただろう。 慎一は身体を捻って着地し、結奈を見た。 「逃げろ、上だ!」 結奈が後ろへと跳ぶ。 回転しながら落ちる空刹。踵落としが地面にクレーターを穿つ。アスファルトに走る放射状の亀裂。焦げて煙を上げているが、無事のようだ。 「イベリス、カルミアを頼む!」 カルミア入りの檻をイベリスに押しつけ、地面を蹴る。 「了解、マスター」 「シンイチさん!」 二人の声を聞きながら、刀を下段に構え―― 結奈が影獣を放つ。空刹は右腕の一振りで影獣を打ち払い、跳び上がった。標的を失い空を斬り上げる白刃。右手を慎一へと振る。 視界が微かに揺れた。 「音……!」 三半規管を揺らされ、平衡が崩れる。日暈が苦手とする、術式破壊の効きにくい波の攻撃。ほんの数瞬足がふらついただけだが、それで十分だった。 空気が止まり、氷が慎一の身体を飲み込む。 首と右腕を残して、固められた。膨大な妖力を込めた氷。身体の芯までしみ込む冷気と鋼鉄よりも硬い氷に身動きが取れなくなる。剣気を走らせても傷すらつかない。 「うっわ、せっかく頑張ったのに全部ぱー」 呆れたように結奈が両手を広げる。 空刹が腕組みをして、 「結奈くん。君の行動力には感心しますよ。リリルくんを丸め込んで僕の剣を代償に手伝わせると。売るところに売れば数十億円、いえ数百億円以上のお金に化けるものですからね。高すぎて確実に足がつくので、どこにも売れませんけど」 ドッ。 と音を立てて、大剣が突き刺さった。 柄を握りしめていたリリルが道路に転がる。 「こんばんは」 「よう。これは転移の術か? ま、盗めるとは思ってなかったけどな」 挨拶をした空刹に、リリルがなげやりに手を挙げた。諦めの混じった、やる気のなさそうな顔。口寄せの応用で呼び寄せたのだろう。リリルの召喚封じを破って。 「さて、慎一くん」 空刹は大剣を手に取り、振り向いた。 崩れた氷を払い、慎一は切先を向ける。刀で氷を斬ってから、誰かに攻撃する時を狙っていた。しかし、気づかれていたらしい。 「質問はひとつ。君は狐火使えますね?」 「結奈、リリル。カルミアを頼む。本気だ……」 告げてから、親指を噛み限開式をかけ直す。 結奈がリリルの襟首を掴んで妖精二人の元へと駆け出した。 「何でアタシまで!」 「いいから手伝いなさい!」 文句を言うリリルに、結奈が言い返す。 慎一は両手を狐火で覆った。狐火は使用者や持ち物には効果を及ぼさない。熱は感じないし、燃えることもない。だが、自分に属さないものには熱を与える。 空刹が剣を掲げた。剣身の周囲に白い渦が生まれ、 「では、行きましょう。零下百度の世界へ――!」 「!」 凍る。 道路や建物、街路樹、辺りにあるもの全てが、白く染まった。風が吹き抜け、なにもかもを凍らせる。道路や街路樹、ビルの壁や窓が、分厚い霜に呑み込まれる。空気中の水分が、ダイヤモンドダストとなって周囲を漂っていた。 幻想的ながら、死の世界。 寒さは感じない。肌に突き刺さる針のような痛み。巻き付くように燃える狐火が辛うじて冷気を退けていた。防御しなければ重度の凍傷を負っていただろう。 尻尾を一振りして、張り付いた氷を払う。 「無茶するな。この一帯が凍ったか」 リリルと結奈はカルミアたちの元で結界障壁を張っている。間に合ったらしい。凍った街を眺めながら、息を呑んでいた。 空刹は剣を下ろし、気楽に笑う。身体にも氷はついていない。 「決めるときは一気にやりましょう。君の切り札はあと数枚あると見ています。手札の無用な出し惜しみは賢くありません。僕はたやすく勝てる相手ではない」 「了解――」 慎一は伸ばした右手人差し指をこめかみに押しつけた。拳銃自殺のポーズにも見えるが、この仕草自体に意味はない。きつく口元を引き締め、 「生涯で二度目、実戦で最初の二重限開式だ」 指を捻る。動作に意味はない。これは精神への引き金。 心臓が脈打ち、感電したような痛みが神経を襲った。一度目の限開式は、リミッターを外す。二度目の限開式からは、強制的な容量の拡大。日暈以外の術師が使えば、数秒で死ぬほどの負荷が掛かるものだ。しかし、今の力ならば耐えられる。 慎一は刀を持ち上げ、正眼に構えた。 「さあ、掛かってきて下さい。準備は出来ています」 踏み込みから小細工なしの袈裟懸け。 空刹の背中が壁にめり込んだ。持ち上げた大剣で、刀を受け止める。余波が道路を砕き、周囲のガラスを割る。壁から弾かれた霜が舞い散った。顔から余裕が消える。 右手で柄を左手で剣の腹を押さえながら、表情を引き締めた。 「予想以上です……!」 「僕もこれほどとは思わなかった」 受け止めた部分から、蒼黒い瘴気の煙が立ち上ってる。 |