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第6節 契約内容 |
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「こんばんは」 突然の声に蓮次が肩を跳ねさせる。 早瀬工科大学の裏手。人気のない場所。周囲に人影はない。結界を張ってあるので、人間は近づいてこない。時間は七時半過ぎ。夜の空。 空刹は気配も音もなく足を進めた。 「ん?」 スポーツドリンクを呑んでいたリリルが、金色の瞳を向けてくる。右腕は再生して、服も直っていた。中身を飲み干してから投げると、空き缶はきれいにゴミ箱へと吸い込まれる。ゴミを投げるのが得意らしい。 「お二人ともお元気そうで」 空刹は笑顔で挨拶をする。 蓮次が座っていた椅子から腰を上げた。威嚇するように尻尾をたてる。 「お前。何しに来た?」 右手で印を結び、槍を口寄せ。戦いの傷は完全に癒えていない。それでも、戦えるだろう。慎一ほどではないが、元神界軍所属の戦士だ。 空刹は構えも取らず、自己紹介をする。 「あ。僕は、あなたと最初に契約したソラです。何でも屋のソラとして顔を合わせるのは初めてですね。今は空刹と名乗っているので、空刹と呼んで下さい」 「ソラ……」 呟いたのはリリルだった。鞭のような尻尾を左右に動かしながら、 「知り合いか?」 「オレが一年前に契約した男だ。名前くらいは知ってるだろ」 蓮次は槍を持ち上げて、告げた。 「ああ」 リリルは神妙な顔で頷く。 ソラ。裏社会での自分の名前である。職業は何でも屋。その仕事は偽造、密売から暗殺まで多岐に渡る。人身売買以外ならばほぼ何でも行う。依頼料は高いが、金に応じた仕事は確実に行うという謳い文句を掲げ、実行している。 「本物か?」 「はい」 蓮次の問いに、空刹は一枚の紙を投げた。 槍で刺し、その紙を見る蓮次。直接手で触ることはしない。 契約書だった。一年前に送った手書きの契約書。筆跡も血判も、法力の印も蓮次のものである。偽物ではない。複製出来る代物でもない。 「アタシに顔見せていいのか? あんたは誰にも顔を見せないって噂だけど」 「んー。人間でも整形や変装出来るのに、妖に顔なんて意味ないですよ。それに、僕はいくつもの顔を持っています。この言葉、格好いいと思いませんか?」 リリルの問いに、空刹は笑いながら答えた。依頼人に顔を見せない。それが自分の信条であるが、律儀に守る気もない。 呆れ顔でリリルが続ける。 「その性格、素だな?」 「素です」 「あと、昼前のアレ。全部演技か?」 みっつ目の問いに、空刹は大仰に頷いてみせた。 「我ながら迫真の演技でした。本当に結界の効果にかかってましたからね。あのまま倒れていたら、大変なことになっていましたよ。でも、当初の予定通り、箱を開けることは出来ました。正確には、予定よりも五日も早く開けてしまったのですが……」 「結奈か」 「はい。僕がそれとなく焚き付ける予定でしたが、いきなり開けました……。いけないというわけではないのですが、普通は一度考えるでしょうに……。思い立ったら即行動というのは間違っていませんが、度が過ぎるのも考え物です」 箱に興味を持たせ、開けるように促す。その計画を立てていたのだが、結奈は計画を裏切り、躊躇なく開けてしまった。強すぎる行動力。それが結奈の強みでもあり、決定的な弱点でもある。色々出来なくて、そこはかとなく寂しい。 ぼそりと呟くリリル。 「気が合いそうだな。結奈とは」 「おい」 蓮次は声を上げた。いらだちの表情。 このまま雑談に入るのを警戒したのだろう。空刹としては世間話も一興であるが、蓮次はそうではないらしい。正常な感覚だろう。 「それで、封術の器はどこだ?」 「ありません」 「は?」 即答した空刹に、蓮次は思わず訊き返してきた。 「ありません……何でだ? 封術の器の妖精人形を持ってくる契約だろ?」 契約の内容は、封術・法衣の器を手に入れること。蓮次が手にするか、空刹が持って行くか。最後には、蓮次の手元になければならない。契約では。 「料金未払い。僕は一億八千万円で契約しました。しかし、君はまだ一億六千四百万円しか払っていない。だから、僕は最後の一千六百万円分の仕事はしていません」 「ふざけるな!」 蓮次は叫んだ。予想していた反応ではある。 しかし、空刹はため息をついて、 「契約書を見て下さい。契約内容は、一億八千万円で封術の器を君の手に入るようにする。依頼料が先です。封術の器を受け取ってから、依頼料を払うのではありません。そのことは最初に何度も念を押したはずです。封術の器が君の手元にある時には、依頼料は全額払われていないといけない、と」 「ああ、契約したさ。だがな、器はあんたが持っていてもいいだろ! ソラの実力なら、あの二人を倒して器を奪うことも出来たはずだ!」 蓮次は声を荒げた。慎一と結奈を倒し、カルミアとイベリスを持ってくる。自分の実力なら可能だ。しかし、戦うことなく退いた。 「この世界で最も大切なのは、信用です。約束や契約は命を懸けて守る。そうでないと、世の中が動きません。信用はお金より命より重いですよ。時に、信用自体が強力な兵器となることもある。……と、君に理解出来るかどうか分かりませんが」 髪と尻尾を逆立てる蓮次を眺めながら、空刹は視線を泳がせた。実体を持たない信用という概念。時に国を滅ぼすほどの危険物であることは、あまり知られていない。 リリルがペットボトルのお茶を飲んでるのが見えた。 簡潔に言う。 「ようするに、残金を払って下さい。そうすれば、最初の契約通り器を君の所に持って来ます。一千六百万円の日本円か、相当のハードカレンシーで」 「そんな金ない!」 言い放つ蓮次。貯金はマイナス。借金してまで現状を突き進んでいるのだ。いきなり一千六百万円を出せと言われても出せるわけがない。 「ならば、契約は終わりです」 空刹は静かに、それだけ告げた。 |