Index Top 不条理な三日間

第7節 機械仕掛けの不条理


「ちょっと待て」
 時が止まる。
 といっても、本当に止まったわけではない。
 しかし、キリシは時間が停止したような錯覚を覚えていた。
 《杖》は、ティルカフィを捕らえる直前で止まっている。
 言いようのない安堵感に、身体から力が抜けた。もし今の声がなけければ、自分はティルカフィを斬り殺していただろう。
 慎重に剣を引き、振り返る。
 そこにいたのは、ハーデスだった。
(いや……)
 違う。こいつは、ハーデスではない。
 滑らかな仕草で、何かを示すように人差し指を立てると、
「さっきふと気づいたんだが、オレって一番面白そうなところだけ思いっ切り仲間外れにされてないか? 夕飯を邪魔したでっかい羽つきトカゲといい、ほどよい具合に怪物になった今のお前といい。オレだけ何もしてないぞ!」
 ガルガス・ディ・ヴァイオン。
 その名前が浮かんでくる。
「えっと……」
 唐突すぎる展開に、ティルカフィは完全に目を点にしていた。何の脈絡もなく現れるなり、周囲の状況を彼方へと置き去りにして、自分勝手なことを言い放つガルガス。こんな奴を相手に、まともな反応ができるはずもない。
 勢いがついたのか、ガルガスは身振りを加えて元気よく続けた。
「それに引き換え、お前! キリシ! お前だけこーんなに暴れまくって色々壊しまくって。オレだって一度はこんなに大暴れしてみたいと思ってたのに、一度も機会ががなかったんだぞ! それなのに、何でお前だけ! 不公平だ! ズルい!」
「あああ……」
 視界がぐらぐらと揺れている。いや、揺れているのは自分だった。
 思考が停止して、何も考えられなくなっていく。今まで心にあった様々な想いが、玩具の積み木のように崩れていった。後には何も残らない。ただひたすら、どこまでも広がる真っ白な虚しさだけがある。
 ガルガスは親指で自分を示した。
「と、いうわけで、お前の相手はこのオレだぁ。と――」
 しかし、何かを思い出したように、ぽんと手を打つ。
「その前に。ティルカフィ」
「はい?」
 呆気に取られたまま、返事をするティルカフィ。
 ガルガスは辺りに目をやり、いつもと変わらぬ気楽な口調で告げた。
「そこらに倒れてる狼男と眼鏡娘、早く治してやれ。まだ死んでないから、お前の魔術で何とかなるだろ。全く……自分の実力も省みず無茶しやがって。結局、後に残った奴が苦労するんだから。少しくらい他人の迷惑考えてほしいもんだよなぁ」
 両腕を横に広げて、大袈裟にため息をついてみせる。いつもいつもいつも自分が周囲に迷惑を撒き散らしているという自覚はないらしい。もしくは、自覚はあっても全然気にしていないのか。おそらく後者だろう。
「って、何ぼーっとしてんだ? さっさと行け」
「は、はい!」
 我に返ったティルカフィが走っていく。
 それを見送ってから、ガルガスは腰に手を当てた。嬉しそうに口の端を上げる。
「さ、オレはもう準備万端だ。遠慮なくかかってこい!」
 しかし、キリシは動かななかった。呆れ果てて動けない。
 ガルガスがジト眼になる。
「もしかして、お前……怖気づいた?」
 ブチッ!
 それは、はっきりと聞こえた。
 むしろ小気味良い。最後の理性がぶち切れる音。
「死ッ――」
 吐息が漏れる。
 左足を前に踏み出し、キリシは右腕を振った。
「ねええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
 怒りの絶叫とともに、右腕がガルガスの身体に打ち込まれる。
 視界が、揺れた。
 凄絶なまでの《力》が周囲を白く照らし上げ、爆発するような音が大気を震わせる。不可視の衝撃波が、足元のアスファルトを凹ませた。今までの全てを凌駕する超音速の一撃。この意思の奔流を邪魔するものは何もない。
 放物線を描くこともなく地面と並行に飛んで、ガルガスは真正面にある中央棟に激突した。鉄筋コンクリートの壁を紙のように突き破り、建物の中へと消える。
 しかし、これでは足りない。
「まだ、だああああああああああああ!」
 キリシは《杖》を横に振った。白い石の刃から撃ち出された膨大な《力》が、中央棟の一階部分を直撃する。ただの鉄筋コンクリートが、この破壊力に耐えられるはずもない。上の階を支えていた壁や柱が、粉砕された。
 あっけなく建物が崩壊する。中にいるガルガスを巻き込んで……。
 土煙を伴った風が吹き抜け、細かなコンクリートの破片が降り注いだ。銀髪がなびく。ついでに、何か声が聞こえてきた気がしたが、どうでもいい。
 《杖》を構え、キリシは目を細めた。
「はっはっはぁ! いきなりこんな先制攻撃を仕掛けてくるとは。いやはやさすがは我が無二の親友――。予想に違わぬとんでもない強さだ。オレもびっくりだぞ」
「―――ッ」
 気合を吐いて、《杖》を一振りした。
 巻き起こった烈風が、立ち込める土煙を吹き飛ばす。
 現れたのは、中央棟の残骸。瓦礫の山。
 その頂上で、ガルガスは腕組みをして佇んでいた。黒いコートが翼のようにはためいている。あれほどの攻撃を受けたというのに、その身体にはかすり傷ひとつない。
「だがしかぁぁし!」
 声を張り上げ、ガルガスは跳んだ。
 四回転とさらに半分、空中で華麗に舞ってから、軽い音を立てて地面に降り立つ。いつもなら着地に失敗して地面にめり込むのだが、今回は珍しく着地に成功していた。
 そのまま、意味もなく気取った仕草で人差し指を振って、
「まだまだ弱いな。この程度の強さじゃ、オレを倒すにはいかんせん力不足だ。今みたいなぬるい攻撃、何千発何万発食らったところでオレはびくともしない。ま、そうだな、ええと……その、あれだ、ほら……」
 急に言葉に詰まり、くるくると人差し指を回す。決め台詞が思いつかないらしい。
 しばし悩んでから、ガルガスは得心したように頷いた。相応しい台詞が決まったようである。ビシッ! と効果音までつけてキリシを指差すと、
「お前がオレを倒すなんて千年早い!」
「ガル、ガアアアアアアアアス!」
 咆哮とともに、キリシは全力で駆け出していた。もはや何がどうなろうと知ったことではない。自分は目の前にいる馬鹿を消し去るのみ。湧き上がる《力》が、さらに強く激しく燃え上がる。走った跡をなぞるように、地面が次々と砕け散った。
(これで、終わる!)
 時間にすれば一秒の何十分の一にも満たなかっただろう。
 キリシは左手に持った《杖》を振り上げた。
 迎え撃つように、ガルガスが身構える。右半身を引いて両拳を固めると、少し重心を落とした。単純な体術の構えである。技術も作戦も小細工も、何もない。
 最後の踏み込みとともに、キリシは《杖》を袈裟懸けに振り下ろした。ガルガスは避けない。斬撃の軌道を見据えたまま、身動きひとつしない。
 《杖》がガルガスの左肩を捕らえる。刃が肉に食い込む、はっきりとした手応えがあった。この状態からの反撃は不可能。そのまま一刀両断に斬り捨てようと、キリシは左腕にありったけの力を込めて――
 ほんの少しだけ、刃が押し返された。
「……な!」
 ありえるはずのない事実に意識が凍りつく。
 《杖》を肩で受け止めたまま、ガルガスが快心の笑みを見せていた。重心を前に移動させ、右腕を引き絞る。極限まで破壊力を高めた攻撃が、全く効いていない。
 影すら残さぬほどの速さで、右拳が飛んできた。
「―――!」
 目蓋の裏に星が瞬く。
 無茶苦茶としか言いようのない威力に、キリシはなすすべもなく宙を舞った。
 左手からすっぽ抜けた《杖》が、回転しながらどこかへ飛んでいく。
 浮遊時間はどれくらいだっただろうか。
 受身も取れずに地面に落下した時には――
 キリシは完全に意識を失っていた……。

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