Index Top 不条理な三日間 |
|
第2節 僕を殺してくれ |
|
「僕が殺した。チェイサーと、部下の工作部隊十五人、あと科学者三十七人。合計、五十三人。僕が全員斬り殺した。ここには、もう僕たち以外に生きている奴はいない」 「全員だと……」 大刀を下ろし、陽炎がうろたえたように呻いている。 「お前一人で、あいつら全員を殺したのか……!」 「ああ」 頷くキリシ。 その姿を見つめ、ハーデスが囁くように告げた。 「これではっきりした。お前を生かしておくわけにはいかない。ここで死んでもらう」 「本当に殺さなきゃならないんですか、ハーデスさん……!」 気づいた時には、ティルカフィは叫んでいた。うっすらと浮かんだ涙に、ハーデスの姿が霞んでいる。ハーデスの話を聞いた時から、キリシと戦う心構えはできていたつもりだった。だが結局、自分はキリシを殺すことなどできない。 「キリシは殺さなければならない」 ハーデスの声に躊躇はない。その理由は十分に理解していた。 しかし、ティルカフィは必死に声を張り上げる。 「でも……! 今ならきっと間に合いますよ! 何か元に戻す方法があるはずです! キリシさんは、まだ暴走なんかしてないじゃないですか! 今だってちゃんとわたしたちと話してるし、怪物なんかにはなりませんよ!」 自分でも何を言っているのか分からなかったが、言いたいことは至極単純だった。キリシを殺したくない。死んでほしくない。生きていてほしい。 しかし……。 「そうでもないんだ」 そう言ったのは、他でもないキリシだった。 ティルカフィが顔を向けると、人差し指で眉をこすり、目を逸らす。 「僕はもう正気じゃない。五十人以上の人間を殺したってのに、何も感じないんだ。それに今も、ここにいる全員を殺せって声が聞こえる」 「そんな……」 ティルカフィは立っていることもできなかった。身体から力が抜け、その場に座り込む。今まで生きてきた中で初め感じた絶望が、心を黒く塗りつぶしていた。 口元に虚ろな笑みがこぼれる。 「嘘、ですよね……?」 偽りでもいいから嘘と言ってほしかった。しかし、それが自分の我が儘にすぎないことは十分に分かっている。だが、現実を認めたくない。 「いや、本当だ」 キリシは悲しげにかぶりを振った。 「そう長くないうちに、僕はコース・キリシじゃなくなる。もう人を殺しても、後悔も罪悪感も覚えない。このまま行けば、誰だろうと躊躇いなく殺す化け物になるだろ」 「いや。そんな生易しいものではない」 《銀色の杖》を見つめ、ハーデスが口を挟む。 「《銀色の杖》の力を受け続ければ、そう遠くないうちにお前は文字通りの怪物になる。チェイサーがドラゴンに変化したようにな。ただ、怪物と化したお前の強さは、奴を凌駕する。あとは、最大まで増幅された破壊衝動に従い、目に映るもの全てを破壊し続けるだけだ。世界全土を荒野に変えるまでお前は止まらない」 「そうか……」 目蓋を下ろし、キリシは数歩後ろに下がった。 肩に担いでいた《銀色の杖》を下ろす。目を開けると、その顔には今までにない強固な意志が表れていた。自身の末路を受け入れた覚悟。 「結局、これが最善の手段なんだよな……」 自虐的に呟くと、自分を指差す。 「僕を殺してくれ」 その言葉に迷いはなかった。 夜風が吹き抜け、木々の葉擦れの音が聞こえる。 ハーデスも、陽炎も、ルーも、何も言わない。 「本当に、死ぬ気……なんですか……?」 消え入りそうな声で、ティルカフィは尋ねた。 キリシは首を縦に振って、 「他に方法はないからな……。僕が生きていれば、数え切れないほどの人が死ぬ。今がそれを止める最大の機会なんだ。頼む、ティルカフィ。君の力を貸してくれ。僕はおとなしく殺されそうにない。三人だけじゃ力不足だ」 「キリシさん……」 地面に座り込んだまま、ティルカフィはじっとキリシを見つめる。半分人間ではなくなっているとはいえ、キリシはキリシである。 キリシは無言のままティルカフィを見つめていた。 「できないなら下がってて。あなたに人殺しをさせるつもりはないわ」 「大変そうだが、俺たちで何とかしてみせるさ」 ルーと陽炎が気丈に言ってくる。それは願ってもない申し出だった。ただ、自分抜きの三人で戦うのが非常に困難なことは、考えなくとも分かる。 しかし、自分はキリシと戦うことなどできない。 キリシを殺すことなどできない。 ない、が……。 「いえ――」 ティルカフィは傍らの剣を拾い、その場に立ち上がった。服の袖で目元の涙を拭う。諦め。覚悟。開き直り。決心。今の心境を表す言葉は見つからない。 剣を腰に差し、ティルカフィは表情を引き締めた。 「わたし、キリシさんと戦います」 「ありがとう」 満足げなキリシの声。 それが開始の合図となった。 |