Index Top 不条理な三日間

第6節 引き金は引かれた


 頭が異様に重い。
 視界は霞んでいた。
 意識も朦朧としている。
 思考だけが勝手に動いていた。
 ぼんやりと思い出す。自分は川縁で夕食の準備をしていた。そこへ突如チェイサーがやって来たのだ。《銀色の杖》の力を取り込んで、ドラゴンへと姿を変えて。当然のごとく戦いとなり、一度はチェイサーを倒しそうになるも……
(どうなったんだ?)
 記憶がない。
 記憶喪失という言葉が浮かぶが、違う。別に記憶を失ってしまったわけではない。記憶そのものがないのだ。つまり、何が起こったのか見ていない。
(何でだ?)
 首筋に痛みを感じて倒れたのだ。今から考えると、あれはいわゆる麻酔銃のようなものだったのだろう。ということは……
「まさか……!」
 意識が覚醒する。
 キリシは目蓋を押し開けた。
 目に入ったのは、巨大な深緑色の怪物だった。ドラゴン。チェイサー・シーフェンス。ただ、大怪我を負った後のように、全身に白い包帯が巻かれている。
「お目覚めかね――気分はどうだい、キリシ君?」
「最悪だな……」
 適当に答えながら、キリシは視線を周囲に廻らせた。
 体育館ほどもある広い空間。壁は頑丈そうな鋼鉄でできている。入り口は見当たらない。キリシは部屋の中央にある大きめの椅子に座らせている。拘束はされていない。拘束する必要がないからだろう。目の前には机が置いてあり、その上に白く細長い箱が乗っていた。見たところ、チェイサーと自分以外の人の姿もない。
 どのみち、自力で逃げられそうにはない。
「時間がないのでね。端的に言う」
 チェイサーが言ってくる。
「君の力を貸してほしい」
「僕の力……」
 自分の手を見つめて、キリシは独りごちた。《銀色の杖》の発動者としての力。《銀色の杖》が持つ力を完全に引き出すことができる。それが具体的に何なのかは未だに不明だが、非常に強力で危険なものであることは容易に予想できる。
 キリシはチェイサーを見据え、囁くように呟いた。
「前から疑問に思ってたんだが――。結局のところ、お前ら……《銀色の杖》を使って何がしたいんだ? まさか、世界征服でもする気なのか?」
「端的に言えば、そうだね」
「………! 本気か?」
 チェイサーは苦笑するように鼻を鳴らし、
「別に、子供向け漫画の秘密結社を気取るつもりはないよ。私たちが求めているのは、全世界中の軍隊を相手にしても戦える、強大な戦力だ。あの三人や今の僕を見れば、私の言いたいことが分かると思うけど」
 言いたいことは分かる。人間を超越する力と能力を持つ戦士。金のかかる兵器など使わなくとも、並の軍隊ならば、一人でも互角以上に渡り合うことができる。そんな強力な兵士で構成された軍隊ならば、まさしく最強だろう。だが――
「何でそんな戦力なんか必要なんだ? 戦争なんて時代錯誤な……」
「あながちそうとも言えないんだ」
 チェイサーは左眼の辺りに手をやった。眼鏡の位置を直すような仕草。単眼鏡をかけていた頃の癖だろう。指先に何もないことに気づくと、その手を横に振って、
「今現在、世界には大小合わせて二百近い国家がある。ここ一世紀近く戦争といえる戦争は起こっていないし、表面上は友好関係が保たれているように見える。だがその実、水面下では熾烈な確執が続いているんだよ。我が国が《銀色の杖》の発見し、それを極秘裏に隠匿、研究していることが、その確執に拍車をかけた」
 それは正直、できの悪い空想小説を聞かされているようなものだった。中途半端に現実味がなく、到底本当のこととは思えない。
「今は辛うじて均衡を保っているにすぎない。しかし、その均衡が崩れれば世界大戦が巻き起こる。この先半世紀以内に、ほぼ確実にね。国民を守るのは国家の義務だ。どんな汚い手を使ってでも――。何を言っているんだか、私は……」
「………」
 キリシは背筋に嫌な汗がにじむのを感じた。単なる作り話にも聞こえるが、おそらく本当なのだろう。第六感めいた感触がそう告げる。
 チェイサーは話題を切り替えるように一息つくと、
「しかし、私が何とかしなければならないのは、遠い未来よりも目の前にある現実だ。君の仲間が消防車を強奪してこっちに向かっている。市の中央を突っ切ってね。街中でペイルストームの炸裂弾を乱射して、市内は未曾有の大混乱だ」
 何がおかしいのか、声もなく笑ってみせる。
「あの様子ならば、ほどなくこの研究所に着くだろう。当然、私は彼らと戦わなければならない。けど、この研究所にある戦力を全て使っても勝てる見込みは薄い……。そこで君の力が必要になる。君に戦ってくれとは言わない。《銀色の杖》の力を少し引き出してくれるだけでいい。あとは私がそれを利用し、彼らを倒す」
(大雑把な作戦だな……)
 そう思うも、口には出さない。
 考えてみれば、今までキリシが見てきたチェイサーの行動はどれも大雑把だった。だが、その割に成果は大きい。現に《銀色の杖》と発動者である自分を手に入れているのだ。大雑把にして柔軟、正確。これはたちが悪い。
 ただ、ひとつ問題があった。
「《銀色の杖》の力を引き出すも何も、僕は《銀色の杖》の使い方なんか知らない」
「安心したまえ。発動者は本能的に《銀色の杖》の使い方を知っている。《銀色の杖》に触れれば、おのずとその力を引き出すことができるさ――」
 チェイサーは机の上に乗っている箱を指差し、
「《銀色の杖》はその箱に入っている」
 キリシは椅子から立ち上がり、机の上の箱を開ける。
 中には、一本の剣が収められていた。
「これが《銀色の杖》……」
 頭の中に陽炎の言葉が浮かぶ。
 ――反りのない両刃で、全体が白い石みたいな物質でできている。刃は柄部分と一体になっていて、装飾の類は一切ない。作りは地味で無骨。その形状は、白い石の剣って言うより剣の形に削った白い石だな――
 その説明のままに、自分は見たこともない《銀色の杖》の形を描き上げた。大きな白い剣。 それと寸分違わぬものが、目の前にある。
「………」
 キリシは《銀色の杖》を掴み上げた。
 硬い感触。重そうな外見の割に、あまり重くはない。自分が持っていた剣より少し重い程度だ。重心のつりあいも取れていて、両手でも片手でも扱えるだろう。
 具合を確かめるように左右に動かしてみる。初めて触れたというのに、異様なまでに手に馴染んでいた。まるで、昔から自分のものだったかのように。
(発動者の本能か――)
 他人事のように納得する。
「どうだい?」
 言いながら、チェイサーは探るように目を細めた。好奇心に満ちた子供のような眼差しである。何の他意もなく《銀色の杖》の力に興味があるらしい。
 キリシは上目遣いにチェイサーを見返し、
「さあ、今のところは何ともないな――」
 剣の切先をその鼻先に向ける。どうにも腑に落ちないことがあった。
「それより、お前は何で僕に《銀色の杖》を渡したんだ? 僕が《銀色の杖》を使ってお前を倒すかもしれない、って考えなかったのか? 僕はやるぞ」
「そのことは、部下に散々言われたよ」
 チェイサーは目を閉じ、喉を動かした。笑い出すのを必死に堪えているらしい。笑いを堪えるドラゴンというのは、微妙に滑稽である。笑えないが。
「僕は今まで色々な賭けをしてきた。大半は勝ったけど、何度か負けたこともある。ただ、完全な負けは一度もない。今もちゃんと保険をかけてあるよ」
 言い終わる時には、笑みは消えていた。代わりに、氷のような冷酷な意志が表れている。ゆっくりと言い聞かせるように口を開いた。
「君はレゼルド博士によく似ている。意志が堅く気も強い。けど、お人好しだ。見ず知らずの他人だろうと、誰かが困っているのを放っておくことはできない」
 言葉の意図が読めず、キリシは眉を寄せる。
 チェイサーは芝居がかった動作で両腕を広げてみせた。口の端に薄い笑みが浮かぶ。
「それがその相手の生死関わるようなことなら、なおさらだ」
 今まで感じたこともないほどの悪寒に、キリシは総毛立った。チェイサーの言おうとしていることを不意に悟る。だが、意識がその結論を受け付けない。
 チェイサーはどこか哀れむように続けた。
「さらに、その相手が大切な家族ならば、君は自分の命でも投げ出すだろう。君は馬鹿ではない。ここまで言えばわかるだろう?」
「貴様……!」
 叫んだつもりだったが、声にはならなかった。細い息だけが喉からこぼれる。もはや思考は停止していた。何も考えられない。
 チェイサーはその瞳に凄惨な色を湛え、告げる。
「君が我々に逆らえば、我々はまず君の妹であるコース・シャロルを殺す」
 キリシは《銀色の杖》を握りる手に渾身の力を込めた。
 シャロルを殺す――
 その言葉が際限なく意識を揺らして。
 頭の中で何かが切れる。
「―――!」
 キリシは絶叫した。

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