Index Top 不条理な三日間

第3節 反省と決断


 作戦は見事に失敗だった。
 途中までは何の問題もなかったが、瞬きひとつ分の時間で全てがひっくり返ってしまった。もし切り札の毒ガスを持っていかなければ、あの場で全滅していただろう。
 しかし、過ぎたことをいつまでも引きずっているわけにもいかない。
 研究所の地下に作られた極秘研究用の所長室。
「計画を全面的に変更する」
 愛用の椅子に深く腰を下ろし、チェイサーは穏やかに言った。
 書類や本などが積まれた机の向こう側には、気をつけの姿勢でハウロが立っている。他の部下は、別の部屋に待機していた。
「あの青年コース・キリシを捕まえる。他の四人――陽炎、ルー、ティルカフィ、ガルガス。彼らにもう用はない。消えてもらう」
「え?」
 呆気に取られたように、ハウロの表情が緩む。
「それは、どういうことですか?」
 その問いを聞きながら、チェイサーは思わず苦笑した。
 今まではあの三人を無傷で捕まえろと言っていたのに、いきなり態度を百八十度翻して殺せと言い出せば、さすがに戸惑うだろう。
「我々は、《銀色の杖》の発動者を手に入れなければならない」
 厳しい声音で告げる。
「僕が《銀色の杖》の研究を引き継いだのが十七年前だ――。発動者の存在を知ったのが、その二年後。僕は研究の傍ら、十五年も間、発動者を捜していた」
「発動者とは、一体何なのですか?」
 ハウロが訊いてくる。
 今までは秘密の漏洩を防ぐために、ごく少数の人間にしか発動者のことは知らされていなかった。その少数の人間の中に、ハウロは含まれていない。
 だが、今はハウロにも話しておいたほうがいいだろう。
「君はあのレゼルド博士を知っているな?」
「はい」
 神妙な面持ちで、ハウロが頷く。
 その名は一般には全く知られていないが、ある程度以上の国家機密に関わる者には常識だった。人類史上最も優れた頭脳を持った超天才科学者。約四十年前に発見された《銀色の杖》を研究し、その全てを解き明かしたと言われている。
 ただ、研究の記録はほんの少ししか残っていない。
「発動者とは、レゼルド博士が作り上げた《銀色の杖》の研究の集大成だ。彼を手に入れれば僕の研究は十年以内に完成する。それが意味することは、君にも分かるだろう?」
 チェイサーは目を細めて、ハウロを見つめた。
「我々は発動者コース・キリシを手に入れなければならない」
「分かりました……」
 ハウロの返事からは、少なからぬ躊躇が感じられる。
「しかし――」
「ハーデスと言ったな……」
 チェイサーは苦い声音を漏らした。
 あの時起こった出来事は、今でも信じられない。本人はガルガスのもうひとつの人格だと言っていたが、それでも理解の範疇を超えていた。
 後に続けるように、ハウロが言ってくる。
「一秒にも満たない時間で、我々十五人の武器を全て破壊。反射、速度、動態視力、射撃の正確さ、どれを取っても人間の限界を超えています。それに、武器はあの……」
「ペイルストーム」
 チェイサーは慎重に呟いた。
 十年前に作られ行方不明になった、現在でも最高の性能を誇る伝説の銃。今まで何度か噂は聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。噂にたがわぬ威力である。使い手の能力と相まって、並の装備で太刀打ちできるものではない。
「あのハーデス一人と戦うだけでも、我が部隊の全戦力を叩きつけなければなりません。さらに、あの三人も加わると、刺し違え覚悟で挑んでも勝ち目は皆無でしょう」
 ハウロの推論は的確だったが、チェイサーはそれに賞賛を送る気にはなれなかった。自分たちの不利を改めて確認しても仕方がない。
 ハウロはやや目を伏せて、
「彼ら全員を倒すには、戦争用の装備が必要です。戦車を数台に加えて強力な重火器で武装した一大隊を用意しなければ……」
「そうだな」
 口元を隠すように、チェイサーは両手の指を組んだ。
 発動者を手に入れるためには、今の数倍以上の戦力が必要である。武器や人員の増強を、上層部に要請しなければならない。ただ、それには問題がある。
 チェイサーは組んだ指をほどくと、
「しかし、それが不可能なことは君も分かっているだろう」
「はい」
 と、ハウロ。
 相手が武装テロリストや犯罪組織ならば、武装強化や増員も簡単だろう。
 だが、自分たちが相手にしているのは、最重要国家機密に関わるものである。政府機関の内外を問わず、公然と行動することはできない。使用する武器が強力になるほど、動く人数が増えるほど、秘密裏に動くことは難しくなる。
 重武装した大部隊を使って街中で戦争を始めるのは、実質的に不可能だ。かといって、それをするための、大掛かりな隠蔽工作には相当な時間がかかる。逆に、目立たない小部隊で戦うことは難しい。
「では、どうすればいいのですか?」
「方法がないわけではない……」
 そう答えて、チェイサーは椅子から立ち上がった。背後の壁に向き直る。一見するとただの白い壁だが、
「危険な賭けではあるけどね」
 ある場所に手を当てると、壁の一部がすっと開いた。壁に偽装した隠し金庫。古典的な仕掛けとはいえるが、大事なものをしまっておくには重宝している。今まで隠し金庫としての本来の役割を果たしたことはない。
 中に収められたものを取り出すと、扉は自動的に閉まった。元の壁に戻る。
「それは……」
 怯えを含んだハウロの声。
 チェイサーが取り出したのは、二つの小さな筒だった。長さ五センチ、直径一センチほどで、中に淡く発光する白い気体のようなものが詰められている。しかし、それは物理的に存在する物質ではない。
「これは、《銀色の杖》から抽出した《要素》だ」
 チェイサーは二つの《要素》を、緊張した面持ちのハウロに見せるように持ち上げた。ハウロがこの《要素》を見るのは、これが初めてである。
「これで二人分。つまり、これを人間に移植すれば、彼らと同じ能力も持つ者を二人作れるということだ――」
「ですが、それだけの戦力が増えても、彼らと戦うには力不足です」
 ハウロが冷静に反論してくる。
 仮に陽炎たちのような力を持つ者が二人、自分たちに加わったとしても、総合的に戦力不足なのは変わらない。多少、負けるのが長引くだけである。
 しかし、チェイサーは不敵に微笑み、
「一人になら、どうなると思う?」
「…………」
 考えを察してか、ハウロが息を呑んだ。
「二人分の《要素》を一人の人間に移植するのは危険だが、成功すればその効果は相乗し十倍以上にもなる。彼らと戦うのに十分な力が得られるはずだ」
「誰に、その《要素》を移植するつもりですか?」
 淡い怯えを含んだ声で訊いてくる。
「私だ――」
 チェイサーは自分を指差した。瞳に力を込めて、
「レゼルド博士亡き今、《銀色の杖》が持つ力を最も理解しているのは私だ。私ならば、新たな力を得てもすぐに使いこなせるだろう。それに、実のところ私も《要素》を用いた変化がどういったものなのか興味がある」
「本気……ですか?」
 動揺を隠し切れずに、ハウロが言ってくる。
 その姿を見て、チェイサーは笑った。表情には出さずに。《銀色の杖》に秘められた力をよく知らない人間に、この気持ちを理解することは不可能だろう。
「私は本気だ」
 きっぱりと告げて、チェイサーは二つの《要素》を握り締めた。
「今すぐ君の部下たちと、研究所にいる科学者たちを集めてくれ。これから、《要素》の移植を始める――」
「………」
 黙したままの、ハウロの横を通り過ぎ。
 チェイサーは部屋を出た。

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