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第4節 父と妹 |
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オーサント市と隣のカカイ市との境になっているトーウ川。川幅は百メートル弱で、両側は何もない草地になっていた。大雨が降ると水嵩が増すことがあるので、川を挟むように高い堤防が続いている。 キリシは堤防の一番上に独り腰を下ろして、腰に差した剣の柄を握った。滑らかな鞘走りの音とともに、白刃を抜き放つ。反りのない片刃。 既に日は沈み、辺りは夜の闇に包まれていた。 人気のない裏道や空き地、建物の隙間を歩くこと半日――休憩も取らず市の境までやって来た。時間は夕方の八時過ぎ。しかし、まだ人通りの多い橋を渡るわけにもいかず、今は深夜になるのを待ちながら休憩している。 キリシは視線を下に向けた。堤防の下では、ティルカフィたち四人が夕食の準備をしている。正確には三人が準備をして、ガルガスがそれを邪魔していた。 後ろに目を向けると、そこは鬱蒼とした雑木林になっている。遠くに街の明かりが見えるものの、近くに人工の光はなく、人が来ることもない。ここならば、どんな大騒ぎをしたところで誰も気づかないだろう。 キリシは剣を目の前まで持ち上げた。 月明かりに照らされた白銀色の刃……。 これを貰ったのは、去年の三月だった。 オーサント市へ向かう前日の夜―― 「これでよし、と」 編入手続きの書類が全てあることを確かめてから、キリシは書類を封筒に収めた。何度も出し入れしているせいでよれた封筒を、丁寧に鞄に入れる。 これで大体の準備は完了である。生活に必要なものは既に宅配便として学校の寮に送ってしまったので、持っていく荷物は少ない。 「あとは……」 と言いかけて、動きを止める。 キリシは腰に手を当て、辺りを見回した。 長年使っている自分の部屋。置いてあるものは、いつもと変わらない。古びた机とベッド、本の並んだ本棚にたんすと、質素である。窓のカーテンは閉めてあり、ベッドの上には鞄が置いてあった。 「何か忘れているような――」 呟きながら、頭をかいていると。 「お兄さん、入るよ」 という声とともに、部屋の扉が開く。 入ってきたのは、十歳くらいの女の子だった。栗色の髪を背中に流し、自分と同じ民族衣装クシームを着ている。ただし、色は橙と黄色だ。 「シャロルか」 頭をかきつつ、キリシは妹を見やった。 「どうした? 何か用か?」 「うん」 と頷いて、シャロルは長方形の紙をポケットから取り出す。 「これ、台所に忘れてたよ」 「あ、ああ――ありがとう」 差し出された紙を受け取り、キリシは苦笑した。 忘れていたのは、これだったらしい。ササス村の駅からカシアク市までの長距離切符。先週買ったものである。これがなければ学校に行けない。 「それと、お父さんが用があるから来てくれって。部屋で待ってるよ」 言いながら、シャロルが手を掴んでくる。 手を引っ張られるままに部屋を出てから、キリシは部屋の扉を閉めた。三月とはいえ、さすがに廊下は肌寒い。切符を懐に入れて、歩き出す。 一緒に歩きながら、シャロルは思いついたように言ってきた。 「ねえ。お兄さんの行く学校って凄く遠いよね」 「そうだな」 学校へ行くためには、まずササス村の駅から始発電車で近くの町へ行き、長距離列車に乗り換えて遥か東の大きな市へ向かわなければならない。さらにそこで乗換えをして、カシアク市に着くまでは丸二日もかかってしまう。 「何でお兄さんこんな遠い学校行くの? もっと近い学校行けばいいのに」 その問いに、キリシは視線を泳がせた。もごもごと口を動かす。 「いや、僕も行きたくてこの学校行くわけじゃないんだけど……」 村の学校を卒業する前に、キリシは四つの学校の編入試験を受けた。結果は全て合格。始めは一番近い学校の編入手続きを進めていたのだが、うっかりと致命的な手違いを犯してしまい、無情にも編入は取り消し。その後、色々と手を尽くして、辛うじて一番遠いカシアク第三高等学校の編入許可を掴んだのだ。 「じゃあ、お兄さんいつ帰ってくるの?」 口調は変えず、シャロルは続けて訊いてくる。 キリシは半秒ほど息を止め、細い息を吐き出した。 「多分、卒業するまでは帰って来られないだろうな。村の駅からカシアク市まで行くだけで二日もかかるし。往復の電車代も半端じゃないし……」 「うーん」 人差し指で頬をかきながら、シャロルは眉を下げた。血はつながっていないとはいえ、今まで本当の兄妹のように暮らしていたのだ。二年間も離れるのは寂しいだろう。 キリシはその頭をぽんと叩き、笑いかける。 「二度と会えなくなるわけじゃないんだ。寂しがることはないって。再来年の春に卒業すればちゃんと帰ってくるし、週に一度は手紙も出すから――」 「うん」 安心したのか、シャロルは笑顔で頷いた。 そうしているうちに、目的地にたどり着く。教会の一番奥にある部屋。 キリシは足を止め、部屋の扉を叩いた。 「入るよ、父さん」 そう言いながら扉を開け、シャロルと一緒に部屋へと入る。 引き締まった空気が漂う書斎。壁の一面は全て本棚になっている。並んでいるのは、聖典や宗教書に哲学書、さらには各種百事典に高度な科学の専門書などの分厚い本ばかりだ。反対側には使い古された木の机と、教材の収められた棚が置かれている。 最後に、窓辺に佇んで、無言で外を眺めている男……。 部屋に入った二人に気づいた様子はない。 キリシは一度シャロルと顔を見合わせてから、改めて声をかけた。 「父さん?」 「ん……? ああ」 はっとしたように肩を跳ねさせ、振り返ってくる。 年は四十過ぎ。よく手入れされた黒髪に透き通った黒い瞳、その顔付きからは温厚な性格が容易く見て取れる。着ているものは、民族衣装のクシームではなく、地味な黒い聖衣だった。 |