Index Top 不条理な三日間

第2節 発動者


 そう告げられて、感じたことは――
 特に何もなかっただろう。
 言葉を発することもなく、キリシは息を吸い込み、数秒かけてそれを吐き出した。不自然なまでに冷静な自分を、少し奇妙に感じる。もしかしたら、無意識に察していたのかもしれない。
「それ……本当なんですか?」
 胸元で手を握り、ティルカフィは信じられないとばかりにハーデスを見つめていた。陽炎も似たような眼差しである。告げられた本人よりも驚いているようだった。ルーは少し眉を動かしただけだが。
「本当だ」
 有無を言わせぬハーデスの返事。
「通常の人間を発動者に変えるのは極めて難しい。だから、レゼルドは自身の細胞のひとつに何らかの処理をして、そこから一人の人間を作り上げた。ただ、そこでどんな処理をしたかは俺も知らない」
 ただ事実を伝えるだけというように、声を紡ぐ。
 キリシは人差し指で眉をこすりながら、
「あのチェイサーって、何者なんだ?」
 自分のことはおおむね分かった。本質的は部分いまだに謎だが、今は必要なことさえ分かればいい。次は、相手のことを知らなければならない。
 ハーデスは何かを考えるように眉を動かした。
「レゼルドの研究を引き継いだ科学者にして、《銀色の杖》の軍事利用論者の最筆頭でもある。《銀色の杖》の研究を行うだけあって、頭も切れる。だが、レゼルドには到底及ばない。奴が《銀色の杖》の研究を完成させるには、あと百年以上はかかるだろう」
「百年以上……か。なるほど」
 陽炎が感心と皮肉の入り混じった声を吐く。
 耳の後ろをかきながら、キリシに顔を向けて、
「それで、キリシを捜してたってのか」
「そうだ」
 ハーデスは首を縦に動かした。
「レゼルドの研究の集大成でもある発動者を調べれば、《銀色の杖》の研究も飛躍的に進む。おそらく、チェイサーの生きているうちに研究は完成する。そうなれば、取り返しのつかないことになるだろう。レゼルドは逃げたが、奴は完全に魅入られた」
「待って――」
 何かを思いついたように、ルーが口を挟んでくる。半分眠っているような眼差しはそのままで、ハーデスを見据えた。指で眼鏡を動かし、
「あなたさっき……あいつらは、あたしたち三人を躊躇なく殺しにかかる、って言ったけど、どうしてなの? あたしたちは大切な実験台じゃない」
 チェイサー本人も、貴重な被験者を失うわけにはいかないと言っていた。それなのに、その被験者を殺そうとするのは矛盾している。
 ハーデスは冷徹に告げた。
「チェイサーの最終目標は、自らの手で《銀色の杖》の発動者を量産することだ。お前ら三人はその途中段階に過ぎない。最終目的の鍵であるキリシが見つかった以上、お前らにはもう用はない。それどころか自分に対立している以上、明らかに邪魔な存在だ」
「あ。そう」
 あさっての方に目をやり、ルーが呟く。ただ、その声はいつもと変わらなかった。ハーデスの言葉に何を思ったかは分からない。
「なら……」
 キリシは次の質問をぶつけようとした。
 が。
「俺の話はこれで終りだ――」
 それだけ言い残して、ハーデスはうつむく。
 顔を上げると、
「よう、ただいま」
 ハーデスはガルガスに戻っていた。ハーデスの持つ刃物ような剣呑さは霧散し、いつものいい加減で能天気な面持ちで気楽に手を上げる。
「おかえりなさい」
 というティルカフィの声を聞きながら。
 飛びつくようにガルガスに詰め寄り、キリシは力任せにその胸倉を掴み上げていた。さらに、がくがくと前後に揺さぶりながら、怒鳴り声を叩きつける。
「おい。待て、ハーデス! 僕はまだ訊きたいことが山ほどあるんだ! 勝手に引っ込むな! 出て来い! おいッ」
「それできないぞ」
 言い返してきたのは、ガルガスだった。思い切り揺さぶられながらも、安楽椅子にでも座っているように表情は平静である。口調も落ち着いていた。
「あいつは必要な時しか出てこないからな。しなきゃならない話はもう全部話したし、今はいくら呼んでも出てこないぞ」
「…………」
 キリシは手を離す。
 ガルガスが言うと胡散臭いが、説得力はあった。ハーデスの性格を考えれば、誰かが呼んだ程度で出てくることはないだろう。
 鉄骨に腰を下ろして、ガルガスはよれた襟を直す。
「さて――」
 言いながら、陽炎が立ち上がった。背伸びをしてからズボンについた土をはたき落とし、その場にいる全員を見回す。
「これから、どうする?」
「敵の本拠地に乗り込み、総力戦によって決着をつける!」
 無謀な提案をするガルガスは無視して、
「ひとまず、キリシを守るのが第一なんじゃない。彼がチェイサー所長の手に渡ったら、取り返しのつかないことになるかもしれないでしょ?」
「妥当な考えだな」
「じゃあ、みんなで頑張りましょう!」
 ルー、陽炎、ティルカフィの言葉に、キリシは視線を下げた。
「すまない……」
 だが、自分が考える最も効果的な方法を言うことはできなかった。
 おそらく、三人もその方法に気づいているだろう。あえて言わないだけで。
 最も効果的な方法――
 《銀色の杖》の発動者である自分が消えることである。

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