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第5節 レゼルドという名の |
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ボンッ。 という音だけが耳に残る。視界が霞み、衝撃が身体を突き抜けた。 遅れて、痛みがやって来る。 気が付くと、キリシは地面に倒れていた。眼前に地面が見える。何が起きたかは分からなかったが、ともかく急いで起き上がろうとして―― 「動か……ない……?」 キリシは愕然と呻いた。全身が痺れ、全くといっていいほど力が入らない。ようやくルーが叫んだ理由を悟る。おそらく、こうなることを予知したのだろう。 「うぐぐ……」 キリシは歯を食いしばった。何とか身体を起こす。 始めに目に入ったのは、ルーとティルカフィだった。二人とも、地面にへたり込んで、苦しそうな顔をしている。陽炎は必死の形相で立ち上がろうとしていた。しかし、片膝をつくだけで、立ち上がれないでいる。 最後に、なぜか…… 「ふーむ。こいつは即効性の弛緩ガスだな。神経の情報伝達を阻害して、一時的に身体を麻痺させる。致死毒じゃないから死ぬことはない。三十分もすれば元に戻るし、後遺症も残らないから、安心しろ」 穴の傍らに突っ立ったまま、ガルガスはしたり顔で解説などしていた。コートが埃で少し汚れているだけで、その他に変わったところはない。 「何で……お前は、平気なんだよ……!」 擦れた声でキリシが唸ると、ガルガスはきょとんと瞬きをして、 「オレがこんな毒ガス程度で動けなくなると思うか?」 「あっさり……言うな!」 「そんな、ことより!」 片膝をついたまま、陽炎が叫ぶ。睨みつけるような視線をティルカフィに投げかけ、 「解毒の魔術だ! ティルカフィ」 「はい……!」 ティルカフィは返事をしたが…… 呪文を唱えることはできなかった。 どこからともなく十数の黒い人影が姿を現す。目以外の全身を黒装束で包み、大型の自動小銃を構えていた。足音すら立てず、恐ろしく速やかに五人を包囲する。 麻痺した身体では、どうすることもできなかった。 「死にたくなければ動くな」 黒装束の一人が、抑えた声音で告げてくる。 「何ですか……この人たち?」 「油断した、わね……」 二人の呟きを聞きながら、キリシは剣の柄を掴んだ。 自分たちを取り囲む黒装束との距離は、十メートルほど。仮に動けたとしても、簡単には攻撃できない距離である。仮に攻撃ができても、撃ち殺されるだろうが。 緊迫感のかけらもなく、ガルガスは面白そうに周りの黒装束を眺めた。 「こいつら、昨日オレが言った秘密工作員って奴じゃねえか? 持ってる武器は最新式だし、動きも普通じゃないし。何か、すっかりはめられたって感じだな。うん」 「この……!」 牙を剥いて全身の毛を逆立て、陽炎は殺気に満ちた眼差しを黒装束に向けている。息を荒げながら、気力だけで立ち上がっていた。しかし、手足に力が入らず、それ以上は動けないようである。神気も出していない。 「いくら君の力が強くても、麻痺した身体では戦うことはできないよ」 聞こえてくる、場違いに親しげな声。 ゆったりとした足取りで現れたのは、白衣をまとった老人だった。無言のまま佇む黒装束の間を通り、五人の前まで歩いてくる。 「久しぶりだね――。クウ・セイ・陽炎君、ルー・カラッシュ君、ティルカフィ・アウトラリア君。と言っても君たちと会ってなかったのは、たった五日だけど」 「チェイサー・シーフェンス……!」 歯を軋らせ、陽炎は唸った。 年は六十歳を過ぎているだろう。灰色の混じった髪はよく手入れされていて、左目に銀縁の単眼鏡をかけている。知的で温厚な雰囲気を漂わせてはいるが、その中には何か不穏なものも潜んでいた。 ヴァレッツ科学研究所所長――チェイサー・シーフェンス。遺伝子工学の世界的権威である。去年の社会科見学や雑誌、本などで、キリシも何度かその顔を見ていた。 「何で、お前がここにいる……! 《銀色の杖》についてた発信機みたいな機械は……全部外したはずだぞ! お前がここを知ってるはず……ないのに!」 「簡単なことだよ」 陽炎の言葉に、チェイサーは余裕たっぷりに人差し指を動かす。 「君たちは知らないようだけど、《銀色の杖》はそれ自体が波動――とでも言うべきものを放っている。私はそれを辿っただけだよ。多少の手間がかかったけど、《銀色の杖》がここに隠してあることはすぐに分かった」 「それで、こんな罠が仕掛けてあったのか……」 キリシは穴を見やった。あらかじめ《銀色の杖》を回収しておき、そこに毒ガスの爆弾を埋めておく。それを知らずに掘り出そうとした途端に爆発し、動きを封じる――。自分たちはまんまとその罠にかかったということか。 「その通り」 生徒の発表を誉める教師のように、チェイサーが笑う。 しかし、すっとその笑みを消した。 「おっと、ルー君。呪文の詠唱はやめてもらおう。抵抗するなら命の保証はないと思ってほしい。僕としては、貴重な被験者を失いたくはないけどね」 その言葉に、ルーは口を閉じる。 「貴様ぁぁ……!」 陽炎は大刀の柄を握り締めた。憎々しげにチェイサーを睨み据えたまま、強引に大刀を抜く。が、構えることはできずに、刃を地面に落とした。 チェイサーは、陽炎、ルー、ティルカフィを順番に眺めて、 「君たちには研究の続きに付き合ってもらう。これからは、今までのように甘やかしたりはしないので、そのつもりでいてくれ。さて――」 一度目を閉じてから、ガルガスに視線を向ける。 「ガルガス・ディ・ヴァイオン君」 「何だぁ?」 と、やや間延びした声を出すガルガス。自分の周りで起こっている緊迫した状況を全て無視して、眠そうに目をこすっていた。退屈らしい。 チェイサーは探るように目を細め、 「君に訊きたいことがある」 「ふむ」 興味を示したのか、ガルガスはぴくりと眉を動かした。 それに満足したように、チェイサーは続ける。 「昨日の夕方君に殴り倒されたという部下から聞いたのだけど。君は三階建ての建物から飛び降りたり拳銃で眉間を撃たれたりしても、傷ひとつなかったそうじゃないか。それに今も、弛緩ガスを吸って何の問題もなく動いている――常識では考えられない。何かトリックを使っているのかね?」 「トリックなんて無粋なもの使うか。オレはただ頑丈なだけだ」 ガルガスは心底つまらなそうに答えた。 特に気にする様子もなく、チェイサーは話を先に進める。 「なら、もうひとつ訊かせてもらう」 「次は何だ?」 半眼のガルガス。興味を失ったらしい。 チェイサーは片手を上げて、 「君の正体を知りたい。生年月日、出身地、家族構成、経歴、現在住所、一切が不明。いくら調べても、君に関する情報は全く出てこない。ここまで完璧な隠蔽など、超一級の諜報員ですら不可能に等しい。漫画ではあるまいし。何をどうしている?」 剣を杖に力なく立ち上がりながら、キリシはガルガスに目を向けた。不謹慎だが、いつも理不尽な厄介事に巻き込まれる身として、ガルガスの正体には興味がある。 しかし、ガルガスは怪訝そうに首をひねって、 「オレとしては普通に生活してるだけだがな。お前ら、調査が下手なんじゃないか?」 その答えに、チェイサーは失望したようにため息をついた。 「真面目には答えてくれないということか……」 「いや、オレは極めて真面目だぞ」 説得力のないガルガスの反論は黙殺される。 「君のことは、後でじっくり訊けばいい。キリシ君――」 不意に声をかけられ、キリシは身構えた。 「君への質問はひとつだ」 「僕に……質問?」 わけが分からず、訊き返す。もっと物騒なことも予想していたのだが、質問とは意外だった。ただ、質問される理由が分からない。一般人である自分が、相手の欲しがる情報を持っているとは思えないからである。 ともあれ、チェイサーは訊いてきた。 「レゼルド・オーン・シルバースターという男を知っているかね?」 「!」 出てきた名前に、息を呑み―― キリシは自分の失態に舌打ちをした。 しかし、遅かった。チェイサーは会心の笑みを浮かべている。はっきりと反応してしまった以上、今さら誤魔化すことはできないだろう。 キリシは苦々しく白状した。 「僕の……実の父さんだ……」 「実の父親……?」 チェイサーはなぜか顔をしかめてから。 一転して、納得したような笑みをこぼす。 「そうか。なるほど――」 呟きとともに、その表情に深い歓喜の色が浮かんだ。それはどう見ても、感心できない表情である。何か物騒なことを思いついたらしい。 興奮したように目を剥き、チェイサーは腕を振った。 「ついに見つけた、発動者! もはやあの三人に用はない! 殺せ――」 すっとキリシの後ろ腰からペイルストームが抜き取られる。 「そうはさせない」 雷吼のような銃声が響いた。無数の爆竹を一度に爆発させたような、凄まじい音。空気が激しく震え、不可視の衝撃となって身体を突き抜ける。 キリシは反射的に目を閉じた。 |