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第6節 ハーデス・ディ・ヴァイオン |
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目を開ける。 「………?」 状況を全て把握するのには、時間がかかった。 キリシ自身は剣を手放し、その場に腰を落としている。かすり傷もない。 ティルカフィ、ルー、陽炎三人も無事だった。元いた位置に、元の姿のままでいる。ただ、信じられないものを目にしたかのように、呆然としていた。三人が見つめているのは、周囲の黒装束である。 周りに視線を向けると、黒装束は全員が全員、唖然と自分の手元を見つめていた。 よく見ると、構えた自動小銃がことごとく破壊されている。破砕機にでもかけたように、中心から真っ二つに砕かれていた。これでは、もう使い物にはならないだろう。 「何だ……」 漠然とした恐怖を覚えながら、正面に目を向ける。 驚愕の表情のまま固まったチェイサー。 凝視しているのは―― ガルガスだった。 右手にペイルストームを持ち、無言で佇んでいる。だが、様子がおかしい。 ガルガスの顔から完全に表情が消えていた。いつもの能天気でいい加減な雰囲気は微塵もない。引き締められた口元、氷のように冷たい目付き、不気味なまでに鋭い眼光。それはキリシの知るガルガスではなかった。全くの別人である。 「ガル、ガス……?」 キリシが恐る恐る声をかけると、 「いや、違う――」 ガルガスは淡々と否定してきた。 「俺はガルガスではない」 「え?」 意味不明な発言に、間の抜けた声を出す。 「お前に会うのはこれが初めてだな。自己紹介をしておく。俺の名はハーデス――。ガルガスのもうひとつの人格だ」 「もうひとつの人格……って」 半ば混乱状態に陥りながら、キリシは呻いた。 話を聞いていたティルカフィやルーも、自分と似たような面持ちで、ガルガス――いや、ハーデスを見つめている。陽炎は一瞥を投げかけただけだったが。 「一種の二重人格とでも思ってくれ」 ハーデスが呟くとともに、銃声が轟く。 撃ち出された銃弾が、黒装束二人の手から拳銃を弾き飛ばした。原形も残さぬまでに壊れた拳銃が、乾いた音を立てて地面に落ちる。 ペイルストームを目の高さまで持ち上げ、ハーデスは黒装束を見回した。 「こいつの名は、ペイルストーム……。多少なりとも兵器についての知識があるなら、名前くらいは知っているだろう?」 返事はないが、続ける。 「十年前、希代の兵器学者シル・カレインが試作的に作り上げ、彼の謎の死によって行方不明になった八つの超高性能銃。製作にかかるあまりの費用と手間に実用化には至らなかったが、その性能は現在でも最高を誇る。これはその中のひとつ、七式だ」 そこで言葉を切り、銃口をチェイサーに向けた。視線は黒装束を突き刺したまま、 「言っておくが、こいつの威力は生半可なものではない。歩兵用銃器なら擦っただけで粉砕する。お前たちの着ている耐弾丸防護服さえ紙のように貫通する。死にたくなければ、動くな。動けば、撃つ」 その声には、殺気はおろか感情のかけらさえも含まれてはいない。ただ事実を告げるだけの口調。そのことが、余計に迫力を感じさせる。 その忠告に縛りつけられたかのように、黒装束は動かなくなった。 「実に見事な手並みだね。ガルガス君……いや、ハーデス君かな?」 パチパチ、とおざなりな拍手をしながら、チェイサーが見え透いた賞賛をする。今までの余裕は消えていたが、かといって緊迫しているわけでもない。 銃口は動かさぬまま、ハーデスはティルカフィに目をやり、 「麻痺を治せ。今なら大丈夫だ」 「は、はい!」 頷き、ティルカフィは呪文を唱えた。呪文が完成し、 「ピュリファイ」 澄んだ水色の光の帯が、キリシたちを包み込む。魔術の効果は迅速だった。光が身体に染み込むと、痺れが跡形もなく消え去り、手足が自由に動かせるようになる。 剣を手に取り、キリシは立ち上がった。 ティルカフィ、ルーも立ち上がり―― 「貴様ら……!」 完全に据わった目付きで黒装束やチェイサーを睨みつけ、陽炎が唸る。大刀を構え、今までの怒りを吐き出すように強烈な青い神気を生み出した。 「全員まとめて、ぶった斬ってやる!」 「やめろ」 それを止めたのは、ハーデスだった。チェイサーを示すように視線を動かし、 「こいつはまだ切り札を持っている」 「切り札だと――?」 今にも噛みつかんばかりの形相で、陽炎がチェイサーを見据える。一見しだけでは、何の武器も持っていないように見えるが……。 「その通り」 含み笑いとともに、チェイサーは着ていた白衣を脱ぎ捨てた。上等な灰色の上着の上に、十数本の白い筒が巻きつけられている。それが切り札らしい。 「この筒の中身は、SDF−V――と言って分かるかい?」 「最強と言われる猛毒ガスだ。無色透明で、匂いもない。ほんの微量を吸い込むだけで中枢神経が侵され、十秒以内に意識を失う。そのまま一分以内に心臓が停止。苦痛はおろか、自分に何が起こったのかさえ分からず死ぬこととなる」 「なかなか博識だね」 感心したように、チェイサーは微笑んだ。身体に巻いた筒を示し、 「私が死ぬと、これが破裂する仕組みになっている。結果は、分かるね?」 「俺以外の全員が死ぬ」 「ご名答」 と、妙に嬉しそうに両腕を広げる。 「これがある限り、君たちは私を殺すことはできない。つまり、今回は引き分けということだ。私たちは退かせてもらうことにするよ」 「ふざけるな!」 一歩踏み出し、陽炎が吼えた。怒りのためか、身体を包む青い神気が炎のように激しく燃えている。少しでも刺激を与えれば、飛び出してしまうだろう。 「はい、そうですか――って、納得すると思うか!」 「思わないよ」 そう言うと、チェイサーは上着のポケットから四角い箱を取り出し、投げる。 閃光が―― 全てを白く染め上げた。薄い紫色の残像を残し、チェイサーが光の中に消える。 「逃がすかッ!」 陽炎の声。続いて、爆音。 光が消えると、黒装束もチェイサーもいなくなっていた。チェイサーのいた場所は、陽炎の神術によってえぐり飛ばされている。 「く……」 地面から大刀を引き抜き、陽炎は神気を消した。何度か深呼吸をして殺気を散してから、ハーデスに向き直る。大刀を背中に収めて、 「どういうことだ? あの馬鹿のもうひとつの人格ってのは」 「そのままだ。他に言うこともないだろ」 ハーデスの答えは簡潔だった。説明する気はないらしい。 服についた埃を手で払いながら、ティルカフィは安心したように表情を緩める。 「それより、わたしたちもう助かったんですよね」 「今のうちはな――」 ペイルストームを懐にしまい、ハーデスは囁くように告げた。声は小さいが、はっきりと耳に入ってくる。埃のついたコートをはたき、 「だが、奴らは次から手段を選ばず攻めてくる。目的はキリシただ一人だ。お前ら三人はもう眼中にない。躊躇なく殺しにかかる」 「どういうこと?」 眼鏡を指で直しながら、ルーが訊く。発言の意味が分からないのだろう。 それはキリシも同じだった。剣を鞘に収めながら、 「あいつ、僕のことを発動者とか言ってたが……何か関係があるのか?」 「ああ――」 深々と頷き、ハーデスは断言した。 「チェイサーは、今までずっとお前を捜していた」 |