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第3節 偵察者 |
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ハウロは廃校に向けていた暗視望遠鏡から目を離した。 口元の無線機に向けて、囁くように報告する。 「すみません。三人が合流してしまいました」 「……そうか」 返ってきた声には、いくらかの落胆が込められていた。 「予想していたことだ。仕方ない」 「これからどうします?」 次の指示を求めると、 「現状はどうなっている?」 訊き返されて、ハウロは再び暗視望遠鏡を覗いた。 今いる場所は、小さな工場の屋上である。目的の旧リンデン中学校からは、五百メートルほど離れていた。月明かりがあるとはいえ、辺りは夜の闇に包まれている。距離と暗闇のせいで、暗視望遠鏡なしでは向こうの状況を確認することもできない。 「正面玄関前に、ルーがいます。おそらく見張りでしょう。陽炎、ティルカフィの二人と民間人二人は姿が見えませんが、校舎の中で休んでいるものと思われます」 「ふむ……」 考え込むような声が聞こえる。 望遠鏡をしまい、ハウロは工場の脇を一瞥した。そこには、十四人の武装した部下たちが気配もなく待機している。ここからでは暗くて見えないが。 「突入しますか?」 「駄目だ――」 返事は間を置かずに返ってきた。 「君たちの力では、三人全員を無傷で捕まえることはできない。彼らが連携を取って本気を出した時の戦闘能力は、君の部隊に匹敵する。探知と予知を行えるルーがいる以上、奇襲も通じない。今突入すれば、必ず誰かが死ぬだろう」 そこで声の調子を落とし、 「例の《要素》は貴重な代物だ。被験者である彼らが死ねば、僕の計画は大幅に遅れてしまう。彼らは絶対に無傷のまま生け捕りにしなければならない」 「分かりました」 ハウロはおとなしく頷いた。自分たちの安否については何とも思われていないことに気づいてはいたが、何も言わないでおく。それが軍人の辛いところだ。 代わりに、別のことを口にする。 「では、どうやって彼らを捕まえます?」 「罠だ」 答えは簡潔だった。 「三人が揃った以上、必ずあの剣を取りに行くはずだ。そこを狙って罠を仕掛ける。君たちは例の場所へ向かい、罠を用意してほしい」 「了解」 呟きながら立ち上がろうとして。 ハウロは引っかかるものを感じた。念のため、訊いておく。 「ところで、三人と一緒にいる民間人二人はどうします? ここまで深く知られた以上、生かしておくのは危険と思われますが――」 「いや……」 返ってきた声には、少なからぬ迷いが含まれていた。 「まだ彼らを殺すわけにはいかない。いくつか気になることがある」 「あの黒コートの男ですか――」 その季節外れのおかしな格好と能天気そうな顔を、忌々しく思い出す。気絶した自分と二人の仲間の顔に、やたらと手の込んだ落書きを残した男。濃い油性マジックで描かれていたため、落とすのに一苦労した。 「ガルガス・ディ・ヴァイオン」 名前を言ってから、確認するように訊いてくる。 「君の見たことをもう一度聞かせてくれないか?」 「三階建ての屋上から飛び降りて地面に激突しながら平然と起き上がり、拳銃の弾を十発以上も食らって傷ひとつありませんでした。人間ではありません」 ハウロは正直に報告した。 「……何度聞いても信じられない話だな」 「わたしもそう思います」 率直に同意する。もしこの話を誰かから聞かされても、自分はそれを信じないだろう。だが、現実に自分の目の前で起こったのだ。 「もしかしたら、君の見たものは何か大掛かりなトリックかもしれない。しかし、この青年の奇妙な点は他にある」 「それは何ですか?」 気になって尋ねると、 「正体不明ということだ」 「………?」 その答えの意味を理解するのには、時間がかかった。つまり、このガルガスという男が何者なのか、全く分からないということか。 「まるで冗談のような話だが、この青年に関する情報は全く存在しないのだよ」 声からは、困惑がはっきりと感じられた。ついでに、失笑も混じっている。 「生年月日も出身地も家族構成も経歴も一切不明、それどころか現在の住所さえも不明。分かっているのは名前だけだ。いくら調べても何も出てこない」 「まるで幽霊ですね……」 本当に幽霊かもしれない。そんな考えが脳裏に浮かぶ。 「何にしろ、本人を直接調べる必要がある」 「もう一人の方は?」 「コース・キリシ。こちらはただの一般人だ。経歴もはっきりしている……」 と言う割には、なぜか歯切れが悪い。何かあるらしい。だが、尋ねたところで答えてもらえると思えなかった。気にはなったが、時間を余計に使うこともないだろう。 やや間を置いて、言ってくる。 「ともかく、君たちはこの五人を無傷のまま捕まえてほしい」 「はい」 ハウロは音もなく立ち上がった。 「早急に確かめたいことがあるので、作戦には私も同行する。君たちは先に例の場所へ向かってくれ。罠を作る道具は私が持っていく」 「分かりました」 その言葉を最後に、無線機の電源を切る。 足音もなく、ハウロは速やかにその場を立ち去った。 |