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第2節 極秘実験 |
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ヴァレッツ科学研究所。市の郊外にある国立の研究所である。規模は市内最大で、全国的に名が知られている。主に遺伝子についての研究を行っていて、科学雑誌でも時々名前を見ることがあった。 「去年の秋に見学に行ったなー。覚えてるか?」 懐かしそうに、ガルガスが言ってくる。 嫌なことを思い出してしまい、キリシは眉間にしわを作った。 「ああ、はっきり覚えてるとも……。お前が実験器具を勝手にいじって、いきなり爆発させたんだよな。後で先生に二時間以上も説教されて。しかも、僕まで一緒に……」 「大変ね。あなたも――」 同情するように、ルーが言ってくる。それには答えず、キリシは陰鬱な気分を振り払うように手を動かした。邪気払いの聖印である。 咳払いをして、陽炎がやや強引に話を再開させる。 「んで、研究所に来てからしばらくして、所長に重要な実験に協力してほしいって頼まれたんだ。何か変だと思ったが、俺たちは引き受けた」 「……? 変だと思ったなら、何で引き受けたんだ?」 訝しく思い、キリシは誰へとなく尋ねた。変だと思ったなら、普通は断るだろう。 その問いに、ティルカフィは曖昧な笑みを作り、 「始めは断ろうと思ったんですけど……」 「これは人類の未来を左右する重要な実験だ。実験を成功させるためには、君たちの協力が必要不可欠なんだ――って、熱い口調で頼まれちゃ、断れないわよ」 肩をすくめて、ルーが言う。加えて、孤児である自分たちを引き取ってもらったという負い目もあったのだろう。同じ立場になれば、断るのは難しいかもしれない。 他にも色々と思考の誘導も行っていたのだろう。 陽炎は鼻を鳴らし、 「後で分かったことだが……ようするに、あそこは普通の研究所を装って極秘裏に国家機密の研究をしてたんだよ。俺たちは、特殊な《要素》を身体に移植し、人間を人為的に別の生物に進化させるとかいう実験を受けて――結果がこの姿だ」 と自分の身体を示すように両腕を広げてみせる。獣人の陽炎、妖魔のルー、妖精のティルカフィ。つまり、三人はうまく丸め込まれて実験台にされたのだ。 キリシは唇を曲げて、思ったことを素直に口にした。 「無茶苦茶な話だな」 「ああ……。俺も始めは戸惑った」 陽炎は頷きつつも、 「だが、それも慣れちまえばどうってことない。それに、俺はこの獣人としての身体、結構気に入ってるんだぜ」 そう言って、にやりと白い牙を覗かせた。固く握った拳を、目の前まで持ち上げてみせる。灰色の毛で被われた自分の腕を見つめ、 「なんてったって、このずば抜けた身体能力。百メートルだって七秒台で走れる。神術を使えば三秒台以上だ。その気になれば、世界記録なんか全部塗り替えられるぞ!」 「ま。外には出られなかったけど、待遇は良かったからね」 「ご飯もおいしかったですし」 口々に言うルーとティルカフィ。陽炎もだが、自分が実験台にされたというのに、それを不満に思っている様子はない。何と言うか……脳天気である。 しかし、ひとつ腑に落ちないことがあった。 「ティルカフィは研究所を逃げ出したって言ってたけど、どうしてなんだ?」 三人の話を聞く限り、研究所を逃げ出す理由は見られない。 陽炎は滑るように表情を引き締め、 「どうも所長がよからぬことを企んでるのに気づいてな――。って言っても、冷静に考えてみれば、最初に気づくべきだったんだが……。それで連中の隙を突いて、研究所から脱走したってわけだ」 「でも、銃とか持った人たちに追いかけられてばらばらになっちゃって」 「あたしが探知の妖術で二人を探してたのよ。分かった?」 「大体は……」 キリシは短く答えた。 「お前ら――」 その後に続けるように、ガルガスが呟く。眠そうな眼差しで陽炎を見下ろしていた。天気の話でもするように気軽に、 「まだ何か隠してるだろ」 「………」 その指摘に、陽炎は表情を硬くした。傍らの、驚いたようなティルカフィと眉を上げるルーを見やってから、横目でガルガスを見据え、 「見かけによらず勘がいいな。お前――」 「当たり前だ」 意味もなく斜めに構えて、ガルガス右手の親指を立ててみせる。 「…………」 陽炎は耳と尻尾を垂らし、ガルガスに向けた視線を冷ややかなものに変えた。頬が引きつっている。誉めたことを後悔しているらしい。 ともあれ、キリシは話題を引き戻した。 「隠してるって、一体何を隠してるんだ?」 陽炎はガルガスから目を離し、目蓋を下ろすと、 「それは明日話す。話すと長くなるからな」 「そうか」 と言うだけで、キリシは深くは訊かなかった。話したくないなら話させることもない。明日話すと言うのだから、明日になれば話してくれるはずだ。 「あの――」 授業で発表でもするように、ティルカフィが手を挙げる。 「わたしたち、これからどうするんです?」 「今日は休んで、明日あれを取りに行く。いいか?」 陽炎は意味深なことを言って、ティルカフィとルーを交互に見やった。二人は何も言わずに首を立てに振る。あれ、と言うのが気になるが、訊いても答えるとは思えない。 「見張りはどうするんだ?」 キリシは疑問を挟んだ。ここで休むのはいいが、全員が眠ったところに敵がやって来たらそれでおしまいである。誰かが見張りをしなければならない。 「それなら、あたしがやるわ――。この中じゃあたしが一番体力残ってるでしょ」 その場にいる全員を見回し、ルーが立ち上がる。 ルーの妖術で吹き飛ばされたキリシと、三日も何も食べてなかったティルカフィ、殴り合いで傷だらけになった陽炎。おおむね無傷なのはガルガスとルーだけだ。無傷といっても、ガルガスは頼りにならない。 ルーは薄い笑みを浮かべて、 「それに、怪しい奴が近づけば、あたしの探知で分かるしね。でも、さすがに徹夜はきついら、途中で変わってよ、陽炎」 「分かった」 陽炎の返事を聞いて、部屋を出て行く。 その姿を見送りながら、キリシは夕方からの出来事を思い起こしていた。 買い物帰りにティルカフィに出会って、正体不明の黒服に殺されそうになり、空腹のティルカフィに学生寮の自室で食事をさせてから、この廃校まで避難して、つまらない誤解から陽炎、ルーと戦い、今に至る。 ティルカフィと会ってからまだ六時間ほどしか経ってないというのに、既に一週間以上も経ったように感じる。 (そういえば、昼から何も食べてないな……) そんなことを思い出し、キリシは長々と息を吐き出した。 明日はさらに忙しくなりそうな気がする。 |