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第5節 不思議な少女 |
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沈黙が訪れる。 あまりの出来事に、誰も何もできずにいるうちに―― ガルガスはひょいとその場に立ち上がった。当然のごとく傷ひとつない。コートについた埃をぱたぱたと手で払ってから、キリシに向かって右手を上げる。 「よ、キリシ。元気か?」 「…………」 何も言い返せず、キリシはただ口だけを動かした。言葉すらも浮かんでこない。むしろ、この非常識極まりない状況でまともな返答ができる方が異常だろう。 特に気に留めることもなく、ガルガスは後ろの少女に目を移す。 「お前、誰だ?」 「あ、初めまして。わたし、ティルカフィです。ティルカフィ・アウトラリアと言います」 少女は律儀に自己紹介をして頭を下げた。 キリシはその名前を意識に刻みつけておく。ティルカフィ。 「そか」 興味がなかったのか、ガルガスはそれ以上何も言わなかった。 それから、三人の黒服へと向き直る。そこに至って、にやりと不敵に笑った。ただの笑みではない。肉食動物が獲物を見つけた時のような笑みである。 ガルガスは両手を動かしながら、 「何か面白そうな匂いにつられて来てみれば、滅多に出会えないような面白いけんかやってるじゃねーか。こんな面白いこと、キリシなんかに独り占めはさせないからな!」 やたら芝居じみた動作で、大袈裟に腕を振り回している。 「お前らの次の相手は、この市立カシアク第三高等学校四年五組二十四番、通称・全自動厄介事製造機こと、ガルガァァァス・ディ・ヴァイオンだぁぁぁ!」 「馬鹿、逃げろ!」 ―――! キリシの声とともに響く、音のない銃声。 吹き飛ばされたように、ガルガスが倒れる。 「ガルガス」 身体を強張らせ、キリシは叫んだ。いくらガルガスが人間離れして頑丈とはいえ、拳銃で撃たれて無事とは思えない。 だが、ガルガスの安否を確かめる間もなく、拳銃を持った黒髪が薄い笑みを浮かべながら銃口をキリシに移動させる……と、 「いきなり何しやがる」 その声に、その場の全員が一斉に声の主へと目を向けた。 拳銃で撃たれたはずのガルガスが、平然と立ち上がっている。分かりやすい怒りの眼差しで黒髪を睨みながら、自分の眉間に手を当てた。 潰れた銃弾を引き剥がし、それを黒髪に投げつけながら、 「こんな飛び道具は反則だろ。びっくりしただろーが!」 「そんな……。拳銃の弾を食らったのに……何で平気なんだ……?」 拳銃を下ろし、黒髪がうろたえたように後ずさる。他の二人も、驚愕の表情を浮かべていた。それは当然の反応だろう。ガルガスの非常識ぶりを誰よりも知っているキリシでさえ、にわかに信じられないのだ。 「はっ――! たかだか十数グラムのちっさい金属の塊が眉間にぶつかったくらいで、このオレがケガなんかするかよ!」 相変わらず、無茶苦茶なことを至極当然とばかりに言い放つガルガス。 舌打ちをして、黒髪は拳銃を構え―― 引き金を引く間もなく、ガルガスに殴り倒される。 ガルガスから間合いを取り、金髪と赤毛も懐から拳銃を取り出した。構わず、ガルガスが二人に飛びかかっていく。立て続けに響く、無音の銃声。 だが、二人が殴り倒されるのに、五秒とかからない。 「歯ごたえないな……」 愚痴をこぼしながら、ガルガスはコートの襟を引っ張った。身体に張り付いた十数発の弾丸が、ぱらぱらと地面に落ちる。身体はおろか、服にも傷はない。 それについてはもう何も言うまいと、キリシは決心した。 「ん?」 ガルガスがキリシの左腕を見やる。 「キリシ。お前、ケガしてるな」 「ああ」 キリシは左腕の傷口に目を移した。 傷口を押さえた手の隙間から、痛みとともに赤い血が流れ出ている。致命傷というほど深くはないが、放っておいていいほど浅くもない。治療が必要だ。 「この近くで一番近い病院は――」 「あの……」 キリシの思考を遮るように、ティルカフィが声をかけてくる。授業で発表でもするように右手を半分挙げて、左手でキリシの傷口を指差していた。 「それくらいの傷なら……わたし治せますよ」 「治せる?」 訝りながら、キリシはティルカフィを見つめた。どう考えても、この少女が傷を治す方法を持っているとは思えない。応急処置が精一杯だと思うが。 「はい。ちょっと動かないで下さい」 そう言いながら、ティルカフィは腕の傷に両手をかざした。それは、おまじないにも見える。その動作の意味は理解できなかったが、キリシはおとなしく眺めていた。 ティルカフィは口の中で何事かを呟いて。 「リカバリィ……」 淡い緑色の光が傷口を包んだ。 傷口から痛みが消える。 「?」 わけが分からず、キリシは疑問符を浮かべた。恐々と傷口から手を離すと―― 傷は、跡形もなく消えていた。傷痕すら残っていない。 「―――!」 今度こそ本気でわけが分からず、キリシは目を見開いた。腕を動かしても、何も感じない。切れて血で汚れた袖を残して、傷は完全に治っている。 (どういうことだ?) 治療器具どころか、薬さえ使わずに、ティルカフィはキリシの傷を治療してしまった。見間違いではない。これは、人間の可能な域を超えている。 しかし、ティルカフィにとってそれはどうということもなかったらしい。何事もなかったかのようにその場に立ち上がり、一礼する。 「キリシさん、ガルガスさん……。助けてくれてありがとうございました……。それでは、わたしはこれで……」 「おう。じゃあな」 ガルガスが手を振る。 ティルカフィは再び一礼して、身体の向きを変えた。フードを被り直し、歩いていく。 だが、このまま行かせるわけにはいかない。 「待ってくれ!」 キリシは慌てて呼び止めた。 しかし。 ティルカフィは立ち止まる代わりに―― ふらふらと左右に揺れてぱたりと倒れる。 「――ッ。大丈夫か!」 キリシは慌てて駆け寄った。 「はい……。わたしは、大丈夫です……」 力なく上体を起こして、ティルカフィは曖昧に笑ってみせる。どう贔屓目に見ても大丈夫には見えない。が、さりげなく目を逸らし、気恥ずかしそうに笑って、 「あの……それより、なにか食べるものありませんか……? わたし、三日前から何も食べてないんです……」 「何だ。空腹か――」 安心したように、キリシは肩の力を抜いた。道の端に落ちている自分の買い物袋を見やる。ただの空腹ならば、何か食べれば治るだろう。 ハンカチで手についた血を拭い、ティルカフィが起き上がるのを助けながら、 「なら、僕の部屋に来てくれ。傷を治してくれたお礼に、何かおいしいものを作るよ。行き倒れになりかけてる人を放っておくわけにもいかないし――。それに、色々と訊きたいこともあるしな」 「はい……」 素直に頷くティルカフィ。 「なあ、キリシ」 今度はガルガスが呟いた。 自分が殴り倒した三人の黒服を眺めながら、首を傾げる。 「こいつら、何だ?」 「僕に訊くな」 「うむ」 と、唇を曲げると。 ガルガスはコートの内側から、おもむろに五本の油性マジックを取り出した。色は、黒、赤、青、緑、黄色の五色。けんかが面白くなかった腹いせか、それとも単なる気まぐれか、マジックを使って黒服たちの顔に落書きを始める。 (いいけどさ……) キリシはガルガスから目を離した。自分には関係ない。 自分自身に気合を入れ、ティルカフィを背負う。今の衰弱した状態では、学校まで歩いていくことはできないだろう。思ったよりも軽いことに驚きながら、キリシは歩き出した。 (何にしろ……今回の厄介事は、今までで一番大きいな……) 心の中でぼやきながら、こっそりとため息をつく。 |