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第1節 備えあれば |
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ヴェノムの猛毒は、確実に身体を蝕んでいた。 「動けない……」 暗くなりかけた夕空を眺めながら、寒月は呻く。 毒が身体に回る前は何とか歩くことができたが、今は立ち上がることすらできない。毒が中和されるまでは、一週間はかかるだろう。 「大丈夫、寒月?」 「大丈夫じゃない……」 心配そうに見つめてくる明日香に、寒月は一言だけ言い返した。喉や口も痺れていて、上手く喋ることもできない。 (つまるところ、俺より奴の方が一枚上手ってことか) 「一番強いカンゲツがこれじゃ、次の攻撃防げないヨ……A」 困ったように言いながら、カラは左右を見回す。変身は解いていた。見回したところで、助けはやってくるはずがない。が…… 「こんなこともあろうかと、持ってきておいて正解でしたね」 ヴィンセントが懐に手を入れる。取り出したのは、二つの透明な小瓶だった。中には水のような液体が入っている。が、それはただの水ではない。 「エリクシル?」 「生命の水か……。よく手に入れた……な」 「僕も色々と苦労しましたけどね」 苦笑しながら、ヴィンセントは小瓶の蓋を開けた。それを寒月の口元に持っていき、開いた口の中に瓶の液体をこぼす。 寒月はそれを飲み込んだ。 冷水を浴びせられたような感触が身体を駆け抜け…… 「助かった。ありがとう」 礼を言いながら、上体を起こす。唖然としている明日香を見ながら、寒月は立ち上がった。引っかかるような違和感が残っているが、そのうち消えるだろう。 「か、寒月? 平気……なの?」 「ああ。何ともない」 寒月は答えた。明日香には事態が呑み込めないらしい。 「これは、あなたが持っていて下さい。一番必要になるのはあなたですから」 ヴィンセントが残りの小瓶を渡してくる。 「ああ。分かった」 受け取った小瓶を懐に入れながら、寒月は呟いた。 呆けた声が聞こえてくる。 「寒月……。あんた……?」 明日香は、一人だけ状況に置いてきぼりを食らっていた。なぜ急に寒月が元気になったのか分からないのだろう。人間がこれを目にすることはない。 寒月は空の小瓶を見せた。 「これは、生命の水。即効性の蘇生薬だ。これを飲めば、死んでさえいなけりゃ、どんな致命傷を負っていても、どんな重病を患っていても、即座に健康体になる。ただし、生身の生物や下級妖魔にとっては猛毒だがな。身体の回復機能が暴走する」 「…………」 小瓶を見ながら、明日香は首を縦に動かす。 寒月は倒壊した倉庫の方へ歩いていき、瓦礫の上に落ちていた紅を拾い上げた。柄についた埃を吹き払い、腰の鞘へと納める。 「騒ぎが起こる前に、急いで別の場所へ移るぞ」 言って、寒月は歩き出した。ここに長居する理由はない。ほどなくして警察がやってくるだろう。警察に見つかったら、面倒である。 カラとヴィンセントに目をやって、 「見張り、頼む」 「アイ・シー」 「分かりました」 返事をして、それぞれ跳び上がって視界から消えた。ジャックもチェインも攻撃してこられる状態ではないが、気を抜くわけにはいかない。 一緒に歩き出しながら、明日香が訊いてきた。 「ねえ、寒月。その刀なんだけどさ――」 その視線は、寒月が腰に差した紅に向けられている。漆黒の鞘に納められた黒柄の刀。先の戦闘で見せた通り、ただの鋼鉄の武器ではない。 「一体何なの? 斬れ味が尋常じゃないけど」 明日香が気になるのも納得できる。紅は、ジャックの作り出した武器をことごとく斬り落とし、明日香も紅を使い魔獣を斬り捨てた。 「こいつは約五百年前、対妖魔用に友人の妖魔の刀匠に作らせたものだ。しかも、禁断の邪法を使って鍛えた。だから、非常識とも言える斬れ味を持つ」 「禁断の邪法?」 明日香が呟く。 寒月は表情を消して、答えた。 「聞いたことあるかもしれないが。人身御供――人の命を刀に練りこむことによって、その力を高める。人間でこの技を使える奴はまずいないが、妖魔なら可能だ」 人間の命を糧にして業物を作る技術は、大昔から伝説として伝わっている。実際に成功したものは少ないが、完成品は優れた強度や斬れ味を誇っていた。 「あんた、刀を作るのに、誰かを殺したのA」 紅を見つめて、明日香が非難じみた声を上げる。寒月が誰かを犠牲にして、紅を作り上げたと思ったのだろう。だが、違う。 「俺は誰も殺してはいない」 寒月は紅を抜いた。赤い刀身を見つめて、 「紅を作るために、俺は俺自身の命を使った。炉の中に俺が飛び込んで、そこから取り出した鉄を鍛えて紅を作ったんだ。さらに、焼入れした紅を冷やした水には、俺の血を大量に混ぜてある」 「無茶するね、あんた……」 多少引きつつ、明日香が見つめてくる。刀身を染めている赤色は、自分の血の色だ。時雨を強化したのと同じ方法である。禁断の邪法を使って作った紅を、血を媒介としたジャッジを使ってさらに強化したのだ。 「代償も高かったがな。何しろ、身体が跡形もなく溶けちまったんだ。再生するのに、五年もかかったよ。ただ、おかげで紅の力は見ての通りだ」 言いながら、紅を鞘に納める。 「この刀は、何でも斬れる。展性のないもの――刃物で斬れないものすら斬れる。鋼鉄でも、岩でも、ガラスでも、ダイヤモンドでも。斬れないものはない。強度も折り紙つきだ。鍛え上げてから今まで、斬れ味が鈍ったことはない」 「刀の究極系……って感じだね」 感心したのか呆れたのか、明日香はよく分からない口調で言ってきた。 寒月は肩をすくめるだけで、何も言わなかった。手近にあった細い道へと足を進める。あれほど暴れたのだ。広い道を歩いていれば、野次馬などと出くわすかもしれない。 「そういえば、あんたの使う剣術だけど」 眉間にしわを寄せて、明日香が言ってくる。 「天翔流か?」 「それなんだけど……。何となく、さ――太刀筋とか、あたしの使う朝霧流に似てない? あんたが使った技も、朝霧流の高等技にあるんだけど」 「ふむ」 呟きながら、寒月は明日香を見やった。剣士としては未熟だが、素質はあるようである。素人がいくら努力しても、一見だけで太刀筋を見切ることは難しい。 寒月は口の端を上げた。 「当然だ。朝霧流は俺が使う天翔流から派生したものだからな」 |