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第2節 邪の剣


「え?」
「お前は、朝霧流の成り立ちについてどこまで知ってる?」
 問われて、明日香は目をぐるりと一回転させる。
「ええと……江戸時代中期に、朝霧雷蔵が道場を開いたってのが一番古い記録だけど。それ以前のことは知らない。あたしは、雷蔵って人が朝霧流を立ち上げたんだと思ってたんだけど、違うの?」
「ああ、違う」
 右手を上げて、寒月は言った。
「朝霧流の起源は、戦国時代に遡る。楠木清澄って人間が作ったのが天翔流だ。そいつの弟子になったのが、俺とお前の先祖である朝霧千衛門――。だが、天翔流を習得できたのは俺だけだった。千衛門は天翔流を習得できなかった」
「待って」
 明日香が割り込んできた。眉を斜めにして、
「何で、あんたが天翔流を習得できて、千衛門はできなかったの?」
 自分の先祖である千衛門が天翔流を習得できなかったことが、自尊心に障ったのだろう。明日香は自分の血筋に誇りを持っている。
「一言で言えば、天翔流は邪剣だったんだ。天翔流を覚えるための修行は、並の人間に耐えられるものじゃない。天翔流を立ち上げた清澄は超人的な身体を持っていたし、俺はそもそも人間じゃない。俺たちはその過酷な修行に耐えられたが、千衛門は身体がついていかなかったんだ」
 千衛門は剣の才能はあったが、身体は人並みだった。天翔流の技は覚えられても、技を支える力を身につけることはできなかったのだ。天翔流に固執していれば、身体を壊して二度と剣を握れなくなっていただろう。
「そこで、千衛門は清澄から離れ、天翔流を自分の力でも扱えるように作り直した。それが、朝霧流の始まりだ。それでも、人間が扱うのは難しいものなんだがな」
「そうなんだ」
 昔話を聞いた子供のように、明日香は頷いていた。
 思いついたように訊いてくる。
「それじゃあ……あれ――。刀で触れずに扉とか斬ったの。もしかして、剣気?」
「そう、だが……」
 呻いてから、寒月は明日香を凝視した。
 剣気を用いて敵を攻撃するという技は、存在する。だが、まさかそれを明日香が知っているとは思わなかった。とっくの昔に失伝してしまったと思っていたのだ。
 多少の驚きとともに、寒月は訊き返す。
「お前、剣気技を知ってるのか?」
「うん。爺ちゃんに黙ってこっそり見た朝霧流の奥義書に、剣気を使った技ってのが書いてあったんだよ。『剣気を用いれば刃は剛く鋭くなる。刃で触れずとも敵を斬ることができる』……って。てっきり、伝説の類だと思ってたんだけど」
「伝説には……違いないな」
 喉を動かしながら、寒月は言った。
「歴史上、剣気技を身につけた人間は、楠木清澄を含めてたった六人だけだ。剣気技は、類稀な才能と、気が狂うほどの鍛錬を重ねて、ようやく操れるようになる」
「そもそも剣気って何なの?」
 明日香が訊いてくる。だが、剣のように鋭い気迫、相手を威圧するほどの強い殺気、という意味の剣気ではないだろう。技として使える剣気……
「現実に干渉する力を持った意思だな。剣気を刀に込めれば、強度や斬れ味が増し、鋼鉄を斬ることも可能になる。ただし、これだけでも何十年もの鍛錬がいるが。その上を行くと、剣気を実体として放出できるようになる。ただし、空中に放たれて支えを失った剣気は、拡散して斬れ味がなくなる――」
 と言ってから、言い直す。
「剣気で物体を斬るには、剣気を細く絞らなけりゃならない。だが、それができた人間は、楠木清澄ただ一人。その威力も並の刀程度だ。木を斬ることもできない」
 そう言うと、明日香は何かを示すように指を上げた。
「でも、あんた……鉄の扉、斬ってたでしょ?」
 ジャックとの戦いで、倉庫の入り口の鉄扉を斬ったことを言っているのだろう。
 寒月はこともなげに言った。
「俺は執行者だ。剣気自体が人間よりも強力だし、五百年の鍛錬で剣気を剃刀並まで細く絞れるようになった。それに、俺の剣気はジャッジを使って力を増してあるんだ。紅ほどじゃないにしろ、高い斬れ味を持っている」
「あたし、剣気技使えるかな?」
 お約束のような質問に。
 寒月は特に考えもせず、答えた。考えるまでもない。
「できないことはないだろうが、覚えて得をすることはないな。いくら何でも、刀のために人生の大半を捨てることはないだろ。しかし、何でお前はそう強さを求めるんだ? こんな平和な時代に――」
「え?」
 意外なことでも訊かれたように、明日香が瞬きする。今までそんなことを考えたことなかったのだろう。曖昧な口調で呟いた。
「あたしが、朝霧流の跡取り娘だからかな?」
 本人もよく分かっていないようである。
 それから、思いついたように訊いてきた。
「なら、あんたはどうして強くなろうとするの? あのジャックと戦ってる時言ったじゃない。自分はどこまでも貪欲に力を求めるって。どうして?」
 その問いに、他意はなかっただろう。
 だが、寒月は明日香から目を逸らす。忘れてしまいたい辛い過去を思い出してしまった。言いたくはないが、言わないわけにはいかないだろう。
「……今から千二百年前……俺が命がけで魔獣を倒したことは言ったよな?」
「う、うん」
「その時、魔獣との戦いに巻き込まれて、無関係の人間や妖魔が何十人も死んだんだ。俺は自分の弱さを痛感した。俺がもっと強ければ誰も死なずにすんだはずだ。そう考えて、俺は強くなることを決心した。いくつもの格闘術を学び、血を吐くほどの鍛錬を重ね、烈風に疾風、紅という武器も作った」
 そこまで言って、ため息をつく。
「だが、手に入ったのは力だけだったな……」
「…………?」
 明日香には意味不明だろうが。
 寒月は足を止めた。髪とコートが揺れる。
「ひとまず、ここで一休みするか」
 言って指差したのは、工事現場だった。新しい工場でも建てるのだろう。高さ二メートルほどの白い塀の向こうに、鉄骨でできた背の高い建物の骨組みが見える。今日は工事が休みなのか、人気はない。正面の扉も閉まっていた。
 寒月が立ち止まったことに気づき、ヴィンセントとカラが姿を現す。
「ここでですか?」
「ようやく休めル」
 嬉しそうにカラが呟く。
 寒月は扉に手をかけた。鍵はかかっていない。
 明日香、ヴィンセント、カラの順に中へと入っていく。
 辺りに誰もいないことを確認してから、寒月は扉を閉めた。

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