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第6節 眠る力


 明日香は目の前に突き刺さった紅を見つめた。
「くれない……」
 淡い煌きを帯びた赤刃。凄絶な斬れ味を持つ刀。強化した時雨とも比較にならない。それは、名刀と呼ぶよりも、妖刀と呼ぶに相応しい。
「明日香……!」
 再び寒月の声が聞こえてきた。顔面蒼白で息も絶え絶えだというのに、その瞳には炎のような意思が灯っている。殺気さえ感じるほどに。
「あんた、大丈夫!」
 駆け寄るが、寒月は地面に刺さった紅に目をやった。
「俺は……大丈夫だ……! それより、ヴィンセントたちの方を何とかしてくれ……俺は身動きが取れない……。お前が加勢しろ……」
「加勢しろ、って?」
 呻きながら、明日香はヴィンセントたちを見つめた。巨大な黒い獣相手に、二人は何とか食い下がっている。だが、劣勢なのは明らかだった。
「あたしが? どうやってA 時雨なんかじゃ、どうにもならないよ!」
「紅を使え……」
 寒月は呟いた。
 ドォン! という音とともに、倉庫が崩れる。破壊された壁が建物を支える力を失ったのだろう。舞い上がる埃を引き裂き、ヴィンセントとカラが飛び出してきた。それを追うように、魔獣が姿を現す。
「魔獣の方も、だいぶ消耗している……。あとは紅の一撃で倒せるはずだ……。危険な賭けだが……明日香、紅を拾え……!」
 言われるままに、明日香は紅を掴んだ。黒い柄を。
 感電したような感覚が全身を駆け巡る。冷たい氷を押しつけられたような、熱い鉄棒を押しつけられたような。それが、身体を蝕んでいた。
「何、これ?」
「急げ! 放っておくと、半妖の力が覚醒する……」
 寒月が叫んだ。
 そのことに戦慄しながらも、明日香は紅を地面から抜く。異様な力が身体に漲ってきた。紅の力で、半妖の力が覚醒しかけているのだろう。
「ヴィンセント、カラ! 魔獣から離れて!」
 明日香は紅を横に構える。
 半ばその力に引きずられるように、魔獣へと突き進んでいった。二人が魔獣から離れるより早く、明日香は魔獣に接近した。
 迎え撃つように、漆黒の腕が振り下ろされる。
「…………?」
 それは、不自然なほど緩慢に見えた。本来なら、目で捉えることもできないだろう。だが、今は手に取るように分かる。自分の頭めがけて繰り出される腕を――
 明日香は半歩退いて躱した。
 紅が閃く。
 それこそ、豆腐でも切るような手応えとともに、魔獣の腕が斬り落とされた。
「おおおがあああああ!」
 魔獣の咆哮を聞きながら、明日香は跳び上がる。三メートルも。それは人間の脚力ではできない高さである。だというのに、自分にはできた。その気になれば、これ以上のこともできるだろう。だが、やってはいけない。本能が告げていた。
 魔獣の頭に狙いを定め……
「朝霧流・唐竹割!」
 明日香は紅を振り下ろす。赤い刃は、魔獣の脳天から股間まで一直線に突き抜けた。抵抗はない。二つになった魔獣が左右に倒れる。
 漆黒の身体は砂のように崩れ落ちた。死んだらしい。
「…………」
 ゆらりと振り返る。
 その視線の先には、ヴィンセントとカラが立っていた。
 明日香は紅を持ち上げ、二人の方に一歩踏み出す。
「アスカ、何かヘンだヨ!」
「どうしたんですか、明日香さん……!」
 二人の声は聞こえない。身体に力が溢れていた。意識が白く霞んでいく。何も考えられない。自分が何をするべきかも……。
「明日香……紅を離せ!」
「………」
 寒月の声に、明日香は反射的に右手を開いていた。瓦礫の上に紅が落ちる。
「あたしは……?」
 我に返って、明日香は周りを見回した。
 崩れた倉庫。その残骸の上に、自分は立っている。目の前には、大鎌を持ったヴィンセントと、変身したカラがいた。二人の瞳には、淡い怯えが見える。
「何をしようとしたの……?」
「元に戻っタ?」
「そのようですね」
 カラとヴィンセントがほっとしたように呟いていた。
「敵は……いなくなったようだな……」
 背後から声が聞こえる。言ったのは、寒月だった。どこで拾ったのか、角材を杖に自分たちの方に歩いてくる。が、その足取りは頼りない。
「……チェインは?」
 明日香は呟いた。魔獣に殴り飛ばされた妖魔のことを思い出す。倉庫の外に飛ばされてから、何も仕掛けてこない。
 寒月が弱々しい口調で答えてきた。
「……この近くには……いない。あいつは……終わりだ……。力を……使いすぎた……。襲ってくる……余力は残っていない……」
 焦点の合っていない視線を、自分たちに向けてきて。
「それより……休憩しないか? 俺も駄目だ……」
 言うなり、その場に崩れ落ちる。

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