Index Top タドリツキ ~提督はスライムにつき~

第6話 赤城さんは提督が食べたい

 

 空の色が夕刻色に染まり、緩やかに夜に向かっていく。黄昏色に輝く絹雲が、鳥のように翼を広げていた。やや肌寒い潮風が、頬を撫でる。
 陸地から離れた移動式メガフロート基地から見上げる空は、ひどく澄んでいた。
 ガチャリ。
「お邪魔します、と」
 タドリは演習場の近くに作られた休憩室のドアを開ける。椅子とテーブルと自動販売機の置かれた簡素な部屋だ。病院の待合室みたいと言う子もいる。
 通り掛かった際に、人の気配を感じて入ってみたのだ。
「くー……」
 窓辺の長椅子に座って眠っている一人の艦娘。長い黒髪と白い上着、赤いスカートという出立で、今は胸当てを付けていない。赤城だった。
 赤城は演習後に休憩室で昼寝している事が多い。
「おーい、赤城。こんな場所で寝ていると風邪を引くぞ」
 言いながら、タドリは赤城に近づいた。軽く肩を叩こうとして、手を伸ばし。
 その瞬間。
 しゅばっ!
「ぅぉ!?」
 赤城の腕が動き、タドリの手を掴んだ。昆虫じみた唐突さで。突然の事に反応できないでいるうちに、赤城は閉じていた目を開き、大きく口を開く。
 ばくっ。
「おおおおおおおおおおおぅ!?」
 悲鳴を上げながら、タドリは後ろに跳び退った。
 右手の平を半月型に噛み千切られている。一切の躊躇無く一囓り。傷口は青い断面を覗かせていた。スライムの身体なので一部が無くなった程度のダメージに納まっているが、生身の人間なら重傷だっただろう。
「な、何すんだ――!?」
 右手を押さ、タドリは赤城を見た。囓られた部分を修復しつつ。
 もきゅもきゅと口の中身を咀嚼し、飲み込む赤城。ぱっと瞳を輝かせる。
「あ、美味しい」
「えっ……」
 自分に向けられた美味しい料理を見る眼差しに、タドリは恐怖とともに後退した。



「抹茶ミントの味がします」
 制服を着て眼鏡を掛けた黒髪の軽巡洋艦。大淀はどこか感心したように答えた。
 自分の手の欠けた部分と、大淀を交互に見つめ、タドリは首を傾げた。自分の身体が一体どのような味がするのか、自分ではいまいちよくわからなかったので、第一秘書艦である大淀に実験台になって貰ったのだ。
「美味いのか?」
「はい。シャーベットにして食べてみたい味ですね」
「………」
 笑顔で答える大淀に、タドリは困ったように視線を上げた。


「ぷっはー、効きますねー! これは、アレですね、かき氷の青色の味ですね! 提督って意外と美味しいんですねぇ。ちょっと盲点でした――」
 コップに入った青い液体を一気飲みし、ぐるぐる眼鏡の明石は元気よく頷いた。実験台その2として明石に溶けた身体を飲ませてみたが、評価は上々である。
 大淀の時とは違う味のようだが、食べる部位によって味が違うのかもしれない。
「考えてみると、提督って色々成分追加された高速修復材ですし、艦娘にとってはかなり『美味しい』ものですよね。これは、量産して売りたいのでサンプルと許可下さい」
「却下だ」
 タドリは即答した。


 それから一ヶ月ほど過ぎたある日の夕方。
「くー……」
 窓辺の長椅子に座っている一人の艦娘。長い黒髪と白い上衣、赤いスカートという出立で、今は胸当てを付けていない。赤城だった。第五海上基地最強の空母。凄まじい集中力に裏打ちされた命中と回避と武器としているが、集中が切れると全てがオフになって動けなくなる欠点を持っている。海上ではさすがに完全オフにはならないもの、演習などの後は電源が落ちたように眠っていることが多い。
「おーい、赤城。こんな場所で寝ていると風邪を引くぞ」
 言いながら、タドリは赤城に近づいた。軽く肩を叩こうとして、手を伸ばし。
 ふと既視感を覚える。
 その瞬間、
 しゅばっ!
 勢いよく伸ばした赤城の手が空を掴む。
「…………」
 タドリは素早く自分の腕を引いて、さらに三歩後退していた。とりあえず一挙動では手の届かない位置へと。立ち上がって何かしても対処できる間合いへと。
 引っ込めた手を膝に置き、赤城は姿勢を正してタドリを見る。
「おはようございます、提督。何かご用でしょうか?」
「疲れているのは分かるが、休憩室の椅子で寝るのはよくないぞ。多少面倒でも入渠ドッグまで行くように。何か食べたいなら間宮さんに行きなさい」
「分かりました」
 硬い声音のタドリの言葉に、素直に頷く赤城。
 口調も表情も変えずに言ってくる。
「ところで、食べていいですか?」
「駄目」
「何でですか!」
 即答され、赤城が驚いたように眉を持ち上げた。
 慌ててタドリも言い返す。
「何でとか訊くんじゃない!」
 しかし、赤城は引き下がらない。真剣な眼差しでタドリを見据え――目の前に置かれたお菓子を見るような眼差しで、熱く語る。
「だって提督の身体ってとっても美味しいんですよ! 甘くてほんのり酸っぱくてメロンゼリーみたいで! 口の中でとろけるというか、癖になる味というか……。むぅ。いいじゃないですか少しくらい。痛くもないですし、失った部分はすぐに再生できますし」
「そんなに食べたい……?」
「はい」
 迷わず頷く赤城。
 タドリはさらに二歩下がってから、肩の力を抜いた。赤城に目をやり、ふっと口端を持ち上げてみせる。目を細め、重心を落としながら。
「なら力尽くで――」
 言い終わるよりも速く、タドリは身体を捻った。
 ヒュゥ!
 風切り音とももに、頭の真横を貫く鉛筆。
「やっぱそうするよな……!」
 タドリは引きつった笑みを口元に貼り付ける。一切の迷いなく赤城が投げた鉛筆。この迷いの無さが赤城の強さの根本と言って差し支えないだろう。咄嗟に避けていなければ、顔に突き刺さっていた。
「提督、行きます――!」
 体勢が崩れたタドリに向かい、赤城が床を蹴る。瞳に映る本気の光。重心を落とし、腰めがけて突進してきた。崩れた体勢では反撃へ移るのが一歩遅れる。
 タッ!
 タドリは床を蹴って、大きく跳躍した。
 突進してきた赤城の真上を飛び越え、空中で一回転し、床に下りる――
「ぬるいですっ!」
「何いっ!?」
 寸前に、急停止した赤城が水面蹴りを放っていた。
 バシッ!
 赤城の足が、タドリの足を横からなぎ払う。
 足を払われ、横向きに転倒するタドリ。だが、床に付いた右手内部を即座にバネ状に組み替え、その爆発力を利用して体勢を立て直す。
「いただきます!」
 目の前には大きく口を開けて獲物に飛びかかろうとする赤城の姿があった。
 タドリは。
 右手を己の喉の奥へと突っ込んだ。
 ごぼり。
 腕を引き抜くと、巨大なハンマーが体内から引きずり出される。一メートルほどの柄に一斗缶ほどもある巨大なヘッド。側面には銀文字で「10トン」と記されていた。
「えっ?」
 瞬きする赤城。
 タドリはハンマーを振り抜いた。
 ドガゴォン!


 しばしして。
 がばと跳ね起き、赤城が目を丸くする。頭にたんこぶを作ったまま。
「な、何ですか! 何ですそれ! 何ですか、それは――!?」
「問答無用艦娘制裁装置10トンハンマーくんだ」
 どしっ、とハンマーを床に突き、タドリは胸を張って言い放った。人間相手にこれを振り抜けば洒落にならない事になるが、頑丈な艦娘なら凄く痛い程度で済む。暴力は良くないが、時には愛の鞭も必要だろう。
「というかどうやって収納してたんですか!?」
「ふっ。提督には秘密のひとつやふたつあるものだよ」
 ニヒルな笑みとともにタドリはハンマーを持ち上でた。大きく口を開き、タドリはハンマーを体内に押し込む。もごもご、と。明らかに胴体より長いものが体内に消えた。
 口元を撫でつつタドリは苦笑いを見せる。
「ま、諦めてくれ」
「むー」
 不服そうに赤城が頬を膨らませた。未練がましく見つめてくる。
 数秒おいて、タドリは小声で尋ねてみた。
「本当に食べたい?」
「はい!」
 ぱっと表情を輝かせる赤城。どこか小動物じみていて、かわいいかもしれない。食べられるのが自分でなければだが。
 タドリは両手を持ち上げた。
「少しだけならいいぞ。食べてどうなっても知らんけどな」
「むふん!」
 大きく鼻息を吐いてから赤城が近づいてくる。
 タドリの右手を掴み、大きく口を開けた。
「いただきます!」


「ごちそうさまでした」
「流石赤城。躊躇無く喰いおった……」
 手首から先が無くなった自分の両腕を眺め、タドリは目蓋を下ろした。多少遠慮するかと思ったがそんな事もなく、両手を完全に食べ尽くしている。肌色の表皮と青いゼリーのような内部。見た目こそ人間であるが、その実内部は人間では無い。
 手しか食べていないのは、腕の方はあまり舌に合わないかららしい。贅沢である。
 タドリは近くの椅子に腰を下ろし、満足げな赤城を見やった。
「ところで赤城」
「何でしょう」
 視線を向けてくる赤城に。
「背中」
 つつぅぅーっ。
 タドリは"手"を動かし、赤城の背中に人差し指を走らせた。
「うひゃぅ!?」
 突然の刺激に、気の抜けた悲鳴を上げる赤城。背筋を反らせてその場で小さく跳び上がった。長い黒髪が跳ねる。慌てて背後を振り返るが、人の姿はない。
 背中を押さえ、赤城はタドリを見る。
「提督、私に何をしたんですか……?」
 手首から先が無くなって腕を、しかし何かを掴むように持ち上げるタドリ。意地の悪い笑みを浮かべ、赤城を眺めながら。
「ちょっとイタズラを、ね?」

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19/7/20