Index Top 第8話 赤の来訪

第3章 好奇心


「きれいなお部屋ですね」
 台所を眺め、ネイが呟く。
 きれいに掃除された床や壁。クロスの敷かれたテーブルときれいに並べられた椅子がよっつ。棚や流しもきれいに掃除されていた。
「半分以上はピアたちのおかげだ。俺だけじゃもっと散らかってる」
 言いながら、千景は椅子をひとつ引いた。そこを手で示す。
 椅子の上に小さな椅子が乗せてある。ピアたちが使うには人間の使う椅子は大きすぎるのだ。そこで丁度いい大きさの台を作り、二段の椅子にしている。作ったのはノアだった。本人曰く工作は得意らしい。
 ネイが椅子に座るのを確認してから、反対側へと歩いていく。
「とりあえず――お客にはお茶でも出すのが普通なんだろうけど、お前らこっちじゃ食事しないからな」
「お気になさらず」
 笑顔で答えるネイ。
 茶と菓子のひとつも出すのが礼儀であるとは分かっているが、フィフニル族はこちらでは何も食べず何も飲まない。無理に食べることはできるだろうが、消化も吸収もされない。そのため素っ気ない対応になってしまう。
「さて、どうしたものか?」
 椅子に座り、千景は腕を組む。
 連れてくるまでは考えていたが、それより先は考えていなかった。
 思いついたようにネイが口を開く。。
「千景さん。ピアさんは、千景さんの事を『ご主人様』と呼んでいるのですよね?」
 赤い瞳に灯る、好奇心の光。
「一番最初に会った時は千景さんて呼んでたけどな」
 街外れの神社に隠れ住んでいたピアたち。そこに手紙を持っていった時は千景さんと呼んでいた。が、居候が決まってからはご主人様と呼んでいる。
 口元に手を当て、ネイが視線を下ろした。
 数秒考えてから、再び顔を向けてくる。
「千景さんは、ピアさんの事をどう思っています?」
「真面目なヤツだと思う。必要な事を、しっかり実行できるってのは、凄く難しい。ただ生真面目すぎて無茶しすぎるきらいがあるから、時々理由付けて休ませてるけど」
 眉を寄せながら千景は答えた。お世辞ではなく正直に。
 真面目な優等生。努力家で勤勉で、大人しそうに見えて行動力も凄い。なによりも精神力が桁違いだった。ただその頭の性能に、身体がいまひとつ追い付いていない。思考や感情の力だけでも、十二分に凄いのだが。
「いえ、そういう意味ではなく――」
 ネイは首を振った。
 やや目を乗り出し、赤い瞳を千景に向ける。
「千景さんは、ピアさんのことが好きですか?」
「待て、コラ……」
 目蓋を下ろし、千景はネイを睨んだ。
 レンズ越しに見える、赤い瞳に映った好奇心の光。
 ネイは自分の胸に手を当て、
「ワタシたちフィフニル族は、女性体だけですから、異性との恋愛というものはよく分からないんです。本では読んだことがありますけど。ピアさんたちは、千景さんに恋愛感情のようなものを持っているように思えます」
 きっぱりと言ってくる。その発言に何の意図があるのかを考えるが、深い意図は無いのだろう。単純に疑問を口にしているだけのようだった。
 千景は目を逸らしつつ、
「……恋愛感情とは、少し……違う、かもな……」
 ピアたちから好意を向けられている事は自覚している。それに気付かないほど鈍感ではない。しかし、それが人間の恋愛感情のようなものかと問われれば、否だろう。
「それで、千景さんはピアさんたちをどう思っているのか気になりまして」
 ネイは恋愛というものに興味があるらしい。
 知識としては知っているが、単性で生殖という行為も行わないフィフニル族では、実物を体験することはできない。生物的な本能から起こるものではないが、ピアたちは千景に好意を持っている。本物ではないが本物に近いものと認識しているらしい。
「その質問の意図を理解しかねるのだが」
 緩く腕を組み、千景はジト眼でネイを睨んだ。つまるところ、この言葉である。何を考えているのか分かるようで分からない。
 両手の指を組み、ネイは真顔で言ってくる。
「種族の壁を越えた禁断の恋って素敵だと思いません?」
「お前、なんか、凄いな……」
 顔を手で押さえ、千景はため息をついた。いわゆる天然というものだと認識する。ノアとは少し違う方向に振り切れた性格だ。
「そうでしょうか?」
 不思議そうに首を傾げているネイ。
 千景は目を閉じ、いくらか考えてから、
「俺がピアたちを好きかって問われると、正直俺にもよく分からないんだよ……。好意というものはある。それは認める。けど、それが恋愛感情かと問われるとかなり怪しい。強引に喩えるなら……」
 ネイに目を向け、口を閉じる。
 千景自身がピアたちに向けている感情。それは好意と呼べるものだが、いわゆる恋や愛と呼ばれるものとは形が違う。普通の人間なら本来持ち得ない感情だ。それを強引に言葉することはできるが、ネイに言うべきことではない。
「ま、そういう事はさておいて」
 話題を変える。
「ネイは、どこで寝るんだ?」
 ピアたちの部屋のドアを手で示す。
 ネイもそちらに目を向けた。木の引き戸である。
「ピアたちの部屋で寝るのが、妥当なんだろうけど。今いないからな。勝手に寝床作るのもマズいだろうし。結構よく分からないものが置いてあるし、主にミゥの」
 よく分からない薬品類を散らかしているミゥ。本人は危ないものは外には出していないと言っているが、千景はその言葉をあまり信用していなかった。さすがに出掛ける時にまで何かを出しっぱなしにはしないが。
 それでも住人のいる部屋に、ネイの場所を作るのも問題があるだろう。
「ワタシならどこでも構いませんよ。ここでも構いませんし。文句は言いません」
 ネイがそう言ってくる。その言葉は本気だろう。
 しかし、客人を台所に寝かせたりするのは礼儀作法として問題である。余所で宿を取ってそちらに泊まってもらうのが妥当なところであるが、退魔師協会はフィフニル族を千景の元に置いておきたいようだった。
「……俺の部屋でいいか? 布団とかは用意する」
 千景は横の自室を示した。
 ネイが口元を手で隠す。
「会って間もない男女が同じ部屋で夜を過ごす。――危ない香りがします」
「そう言う事はしないから」
 否定するように手を動かしながら、千景は呻いた。
「でも千景さんは既に四人を手込めにしたと――ヅィさんが言っていましたし」
 頬を赤く染めながら、ネイが胸元に手を当てる。
 顔をしかめて目を逸らしながら、千景は冷や汗を流した。
「ま、それは色々あった上での流れだから、うん……。別に俺が女の子だったら誰でも見境なく遅うようなケダモノってわけじゃないからな。そこの所は勘違いしないでくれ」
「でも、千景さんなら、ワタシも構いませんけど」
 小声で、ネイが呟く。
「………」
 無言のまま千景は身を乗り出した。息を吸い込み、吐き出す。何と言っていいのかは分からない。ただ心に浮かんだ感情をそのまま行動に移した。
 べし。
 ネイの頭に手刀を打ち込む。
「あう……」
 頭を押さえるネイ。力は入れていないので痛くはないはずだ。
「どこからどこまで冗談なのかは敢えて聞かないとして、だ……」
 椅子に座り直し、千景は手を動かす。右から左へと、区切りの線を引くように。普通に話しているだけでリズムを崩される。奇妙な感覚だった。適当に話をリセットしないと明後日の方向へと吹っ飛ばされてしまう。
「ネイはどこか行きたい所とかやってみたい事とかはあるか? せっかくこっち来たんだから、俺の時間と金の許す限りは案内するけど」
「そうですね……」
 考え込むように、ネイが視線を動かす。
「では、お言葉に甘えまして」
 それから口を開いた。

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13/1/10