Index Top 第8話 赤の来訪 |
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第4章 歌姫 |
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空を見上げると、太陽が西に傾き始めていた。午後三時半。 「大丈夫か……? 重くないか? 重いなら持つぞ?」 千景は隣を飛んでいるネイに声を掛けた。 両手で大きな手提げ袋を持ち、六枚の赤い羽を広げて飛んでいる。袋の中身は本である。文庫本から大きな写真集まで十五冊。一冊一冊はそれほどの重さではないが、この量になるとかなりの重量になる。 「大丈夫です。ワタシ、こう見えても力には自信あるんですよ。それに本を借りてもらった上に千景さん持たせるわけにはいきません」 千景に顔を向け、ネイが笑う。 連れて行って欲しいと言ったのは、図書館だった。司書長代理という職業柄、本や図書館に興味があるらしい。千景の図書カードを使い、借りてきた。 白い太陽を見上げる。まだ日は高い。 「そういえば、ネイってこっちの文字――というか日本語読めるのか? 喋る分には楽だけど、読むってなるとかなり面倒くさい言語だけど。翻訳系の魔法使ってるわけでもなさそうだし。普通に日本語喋ってるよな? 少し癖はあるけど」 気になっていた疑問を口にする。 普通に日本語を喋っているネイ。精霊が使う魔法には異なる言語を翻訳する魔法も存在する。だが、そのような魔法を使っている様子はない。発音も含めて覚えたようである。千景が聞いても違和感がない程度に。加えて文字も読めるらしい。 ネイが頷く。 「一応は。幻燐記憶を用いて、ヅィさんから言語系の知識を受け取りましたから」 「ゲンリンキオク?」 聞き慣れない単語に、千景は首を捻った。ピアたちが時々口にする特殊な単語は、フィフニル語をそのまま日本語に翻訳しているらしい。シゥの氷の大剣のように単純な翻訳もあれば、ノアの黒薄の帯刃のような妙に凝った翻訳もある。 ネイが頷く。眼鏡の縁が薄く光った。 「妖精炎魔法を用いた記憶や知識の受け渡しです。口付けを介して、相手に情報を渡す妖精炎魔法のひとつです。何でも――というわけではないですけど、ヅィさまは魔法力が強いですから、かなり大量の情報を受け渡せるんですよ」 口を閉じ、千景はヅィの姿を思い浮かべる。 口付けを介した情報の伝達。話からするに大量の情報を短時間で複写できるようだ。ひとつの言語系の情報を全て複写するほどならば、ほぼあらゆる知識を短時間で大人数が共有できるだろう。人間では術を用いてもそう上手くはいかない。 「色々と制約とか対価とかもありますけどね」 ネイが付け足した。苦笑とともに。 大きな効果を生み出すには、相応の対価が必要となる。言語体系丸ごとひとつを複写するとなると、かなり大きな対価が必要となるだろう。また、簡単に行えるものでもない。 その制約や対価が何であるのかは、訊かないことにする。 「あと」 ちらりとネイが下げている手提げ袋を見た。中身の本は恋愛小説にエッセイ、そして眼鏡の本が五冊。デザインの本から構造などが書かれた専門書の類まで。妙に気合いが入った選抜だった。 「お前は本当に眼鏡好きなんだな……」 「はい」 ネイは笑顔で頷いた。 「さてと」 台所の椅子に座り、一息つく。 窓から見えるやや影を帯びた空。夕食の準備をするには少し早い。かといって何かするには少し遅い。そんな微妙な時間帯だった。一人だったらなら適当に暇を潰すのだが、ネイがいるのでそのような事をしているわけにもいかない。 「千景さん」 ネイが声をかけてくる。六枚の赤い羽を広げて、宙に浮かんでいた。 本は千景の部屋の机に積んである。 「何かお手伝いすることはありますか? 掃除でもお洗濯でもやりますよ」 眼鏡越しに千景を見つめ、ネイは頷いた。多少ズレた部分もあるが、真面目な性格である。宿を借りていて、何もしないのは気が済まないのだろう。 千景は腕組みをして首を捻る。 「うーん、これといってやって欲しいことはないんだよな。大体のことはピアたちがやっちゃってるし……。掃除はともかくとして、料理とかは無理だろ?」 「幻影界では、自分で料理作ったりしていたのですが……」 困ったように微笑むネイ。 何かさせようにもやることがない。掃除などはピアたちが毎日やっているおかげで、今更やる必要もない。ネイができるような事はなかった。 「こっちの食材の調理法知ってるわけじゃないだろうし、本読んでもその味通りにできる保証はないからな。少し手伝いはしてもらうけど、ネイができるのはそれくらいだな」 手を動かし、千景はそう告げる。 料理ができるといっても、ネイはこちらの食材を知らない。知っていても、いきなり料理ができるとは思えなかった。人間の使う調理器具にも慣れていない。それで料理を作らせるのは勇気がいる。 「そうですね。他にワタシができそうな事といったら」 ネイは顎に指を当て少し首を傾げてから、 「歌……でしょうか?」 「歌?」 千景の問いに、得意げに頷く。自分の胸に手を当て、 「ワタシ、向こうでは歌姫を務めていましたから」 赤い瞳に映る自信の輝き。口元に浮かぶ淡く力強い笑み。 千景が視線で続きを促すと、ネイは静かに口を開いた。 「妖精舞踏の歌い手のことです」 声に込められた意志。 「妖精舞踏とは三人から三十人ほどが輪になって踊る妖精郷の伝統的な踊りです。ワタシはその歌い手を務めさせて頂いていました」 「凄いんだな」 素直に感心する。 色鮮やかな妖精たちが輪になって躍る姿が頭に浮かんだ。幻想的な光景である。歌姫とはその中心となる役割だろう。そう簡単になれるものではない。 ネイは頷いた。 「自分で言うのも何ですが、そうです。大舞踏会の時は幾度も歌わせて頂きました。実力のある歌い手しか歌えないと言われる大舞踏会で百回を超えて歌ったのは、わたしの誇りのひとつつです」 「それを聞かせてくれるのか?」 「はい。千景さんの耳障りでなければ」 ネイが微笑む。 千景は時計を見た。歌といっても長くなるものではないだろう。千景自身聞いてみたいし、ネイも歌いたいようだ。どちらにも断る理由はない。 「せっかくだ。頼む」 「――では、失礼致します」 背筋を伸ばすネイ。息を吸い込む。 千景は息を止めた。意識を圧倒するような意志力が見える。頭に浮かんだのは真剣を用いた訓練だった。本気という意志が作り出す圧力。 そして、ネイが歌い始めた。 「――。―――♪ ――――、―――♪」 小さな口から流れ出す軽やかな旋律。フィフニル語なのだろう。どのような歌詞なのかは分からない。それでも心に染み込むような響きがあった。 「これは……」 息を呑み、歌に聞き入る。 さきほどまで聞こえていた街の喧噪や車や機械の音も消えていた。音の消えた世界で流れる、ネイの歌。周りの景色すら薄く消えていく。歌に呑み込まれてしまうような錯覚。それは不思議な心地よさがあった。 「――いかがでしたでしょうか?」 「!」 そう声をかけられ、千景は我に返った。 一呼吸してから乾いた唇を舐める。周囲に喧噪が戻ってきた。幻想から現実に戻ったような感覚である。聞き入ってしまったらしい。 時計を見ると三分ほどの時間が経っていた。 両手を持ち上げ、千景は軽く手を打ち合わせる。 「凄いよ。俺はこういう芸術系には疎いから、気の利いた事は言えないんだけど、きれいな歌だった。また機会があったら聞いてみたい」 率直に感想を述べる。 「あ、ありがとうございます」 照れたように頬を赤くし、ネイは一礼した。 |
13/1/20 |