Index Top 第8話 赤の来訪 |
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第2章 歩きながら |
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靴がアスファルトの地面を叩く微かな音。暑い空気が頬を撫でる。 千景が歩く傍らをネイが音もなく飛んでいた。三対の赤い羽を広げ、空中を移動している。羽から展開されている魔法式。異国の文字を読むようでどのような魔法式なのかは分からない。それでも何となく意味は読めるようになってきた。 「ピアさんたちは、こちらでどのような生活をしているのですか?」 ネイがそんなことを訊いてくる。ピアたちがこちらでどのように暮らしているかは、聞いていないようだった。機密事項扱いなのかもしれない。 どう答えるべきか少し考えてから、千景は口を開いた。 「俺の所に居候して、家事手伝いやってる。料理とか掃除とか洗濯とか。住み込みの家政婦みたいな感じだな。対価だって当人たちは言ってるけど」 「家政婦、ですか?」 驚いたように、ネイ。 ピアたちは妖精郷ではかなり高い地位に就いていた。それが異郷の地で家政婦をしていると聞けば驚くだろう。当人たちの考えでは、居候の家賃代わりらしい。 千景は頭を掻きながら、気の抜けた声を出した。 「俺のこと、ご主人様とか呼んでる……。ピアだけだけどな。どうもノアに何か吹き込まれたらしい。俺はそういうガラじゃないけどよ。訂正する機会失って今に至る」 千景のことをご主人様と呼んでいるピア。情報収集を行ったノアに教えられたらしい。この国では家政婦は雇い主をご主人様と呼ぶ、と。間違ってはいないが、正しくもない。 「ご主人様……。ご主人、様……」 視線を下ろし、ネイが小さく呟く。微かに頬を赤く染めていた。 その様子に若干不安を覚えつつ、千景は続ける。 「ピアとミゥが料理担当で、シゥとノアが掃除担当かな。シゥとノアは料理とかは得意じゃないらしい。ミゥは料理はそれなりにできるけど、薬やら何やら入れたがるから、ちと厄介だ。ピアは――本当に何でもできるな。料理も掃除もプロ級だし、もしかしたらそういう才能あるのかもしれない」 ピアは料理から掃除、洗濯まで家事全般をそつなくこなす。生真面目に何事にも集中できる性格もあるだろうが、それ以前に純粋に家事の才能があるようにも思えた。 「そうなんですか」 ネイが頷いている。 「あいつらが望めばもっといい待遇は得られるんだろうけど、本人たちがそれを望んでないって感じだな。謙虚っていうよりも、あんまり目立ちたくないみたいだ」 千景の元に居候して家政婦のようなことをしているピアたち。本人たちが望むなら、もっと良い待遇が得られる。しかし、それをしない。謙虚さもあるようだが、目立つ事を避けているように感じられた。 ふと、千景は横を見る。 そこにネイの姿が無かった。 立ち止まり振り変える。 「ん。どした?」 ネイが立ち止まっていた。立ち止まるという表現は厳密には正しくないが。 赤い瞳は、近くの眼鏡店に向けられていた。白い壁と大きな窓ガラス。きれいに整った店内には、多種多様な眼鏡が並んでいる。ネイはそれをじっと見つめていた。 「眼鏡? 珍しいのか?」 千景はネイに近付く。 ふと我に返り、ネイが小さく笑う。 「妖精郷には、このような眼鏡のお店はありませんでしたから」 ヅィの身体に意識を接続された時を思い出す。少しだけだが、妖精郷の様子を見る事ができた。整った街並。そこに眼鏡店は無かったように思える。眼鏡をかけている妖精もいなかった。 うっとりと目蓋を下ろし、ネイは店内の眼鏡を眺めていた。 「たくさんありますね。色も色々ありますし、材質も色々ありますし……。眼鏡かけてる人もいっぱいましたし、こちらでは普及してるんですね……羨ましいです。あちらでは眼が悪くなるほど本を読む人というのも少ないのですけど」 「好きなのか、眼鏡」 「はい」 千景の問いに、ネイはきっぱりと答えた。 眼鏡フェティシズムと呼ぶのだろうか。ネイは眼鏡に並々ならぬ興味があるようだ。 ネイがかけている眼鏡。材質は分からないが、セルフレームに似たやや太めの赤いフレーム。レンズは四角い。レンズの上側にはフレームのないアンダーリム型。かなり凝った作りだった。 身近にいる眼鏡を掛けたフィフニル族を思い出しながら、千景は尋る。 「もしかしてピアの眼鏡作ったの、ネイか?」 「はい。頑張って作りました」 嬉しそうにネイが笑う。 「向こうじゃ……レンズ職人かなんかやってるのか?」 眼鏡を作るには精度のよいレンズを作る必要がある。また、顕微鏡などの微細領域から、望遠鏡などの遠距離領域まで。科学や研究の分野において、レンズは非常に重要なものだ。ネイのこだわりようからして、レンズ職人を営んでいるのかもしれない。妖精炎魔法を用いれば、かなり高精度のものが作れるだろう。 しかし、千景の推測は一蹴される。 「いえ。ワタシは中央図書館司書長代理ですけど」 「……」 千景は何も言えずに眉間を押さえた。 「うらめしやー!」 目の前に突如現われた、上下逆さまの女。 「ッ!」 息を止め、千景は一歩後退する。 長い黒髪に白いシャツ。秋奈だった。道に伸びた木の枝に脚をかけ、千景の前に現われた。姿は見えなかった。気配も無かった。術で姿を隠していたのだろう。 「いきなり何やってんだ、お前は!」 「ちょっとしたジョークだよ」 声を荒げる千景に、秋奈は笑って答えた。 枝から脚を外し、その場に一回転して着地する。 「な、何者ですか……あなたは……!」 ネイが声を強張らせていた。赤い眼を見開き、秋奈を凝視している。目の前に見知らぬ女が逆さ吊りで登場したのだ。当然の反応である。 だが。 「待て、コラ……」 千景は小さく呻いた。今は秋奈のことは後回しである。 「はい?」 「何だソレは? ハンマー……か?」 ネイが両手で構えている槌。 全長百六十センチほどの柄に、縦横三十センチ、長さ六十センチほどの四角い頭部が取り付けられている。長大なスレッジハンマー、もしくは長めの一斗缶に棒を突き刺したような代物だ。所々に炎のような装飾が付けられていて、材質は赤黒い金属。表面にはひび割れのような模様があり、その奥に赤い輝きが見えた。固まりかけた溶岩のように。 何らかの魔法で取り出したか実体化させたかしたのだろう。 なんにしろ、無茶な代物である。 「これは――盟約の戦槌です。炎の妖精竜によって作られた業物ですよ」 戦槌を動かし、ネイが説明した。 さすがに両手を使ってはいるが、自身の三倍以上ある得物を造作なく動かしている。人間とは構造が違うので、質量はさほど気にしなくていいのかもしれない。 「シゥの氷の剣もかなりデカかったけど、それはあれよりもデカいだろ。明らかにお前の体格で振り回すのは無理に見えるんだが。もしかして流行か、流行なのか? 妖精郷じゃそういう無茶なくらい大型の武器が流行ってるのか?」 冷や汗を流しながら、千景は問い詰めた。 シゥは普段から自分の身長と同じくらいの剣を持っている。ネイの戦槌はその比ではなかった。明らかに大きすぎる。ただその考えはあくまでも人間である千景のもので、妖精郷では大型の武器が主流なのかもしれない。 「フィフニル族は身体が小さいですから、大きい怪物を相手にするには、どうしても大きくなってしまうんです。でも、妖精炎魔法の補助があれば、楽に振り回せますよ」 ネイは戦槌を横に一振りする。 千景の顔を撫でる熱い風。戦槌から作られる熱気だった。 大きい怪物。朽枯れの魔物が現われる前から、それなりに厄介な外敵はいたらしい。職業的に外敵と戦う機会は無いだろうが、色々と事情があるのだろう。千景はそこまで訊くつもりはなかった。 「なるほどね」 秋奈が首を縦に動かしている。 千景はジト眼で秋奈を眺めた。ネイの反応を見るために、わざとおかしな登場をしたようである。武器を取り出したのは想定外だっただろうが、それは決して不利益ではない。武器や道具は大きな情報源となる。そのような打算的な行動を自然に行えるのは、秋奈の才能と言えた。 「ンで、何の用だ?」 一応訊いておく。 新たに現われたフィフニル族であるネイの調査。それが仕事面での主目的であるが、それ以外に趣味的な主目的が他にある。そんな公私混同も秋奈の癖である。 「新しい子が来たって聞いたから見に来たんだよ」 ネイに眼を向け、親しげに笑う。 それからポケットから折り畳んだ紙を取り出し、千景に見せた。 「あと、デートプラン考えてきたんだけど、いる?」 人差し指を秋奈に向け、千景は迷わず言った。 「よし、ネイ。せっかくだからそのデカブツでそいつを思い切りぶん殴ってくれ。殺す気でやっていいぞ。俺が許可する。どうせ死なないから」 「えっ……?」 瞬きしながら、ネイが少し後退する。 |
盟約の戦槌 ネイが所有している、巨大な戦槌。炎の妖精竜によって作られた業物。 妖精炎によって膨大な熱量を生み出す構造。自分たちより大きな怪物類を相手に戦うために作られたらしい。 ネイの身体に対して非常に長大だが、妖精炎魔法の補助により割と楽に振り回せる。 |
12/12/28 |