Index Top 第7話 緑の出来心

第1章 作ってみた


 人間用の椅子の上に、さらに小さな椅子を乗せ、テーブルとの高さを合わせる。
「ふあ」
 テーブルに両肘をつき、顎を手に乗せピアは欠伸をしていた。
 身長六十センチほどの女の子である。背中の中程まで伸びたやや跳ね気味の銀髪と、銀色の瞳、銀縁の眼鏡。袖や裾に銀糸の刺繍の施された白い長衣を纏っていた。肩から掛けられた茶色い鞄。
「暇ですね」
 朝の十時半。部屋の空気は暖かい。千景の身の回りの世話を行う契約だが、意外と空き時間は多い。眼鏡越しに窓を見る。天気は晴れ。
「朝ご飯の用意は必要ありませんでしたし、お昼ご飯の用意も必要ありません。お掃除も終わってしまいましたし、シゥとノアはどこかに行ってしまいましたし。さて、どうしましょう? お料理の本でも読みましょうか?」
 千景が帰ってきたのは、朝の四時だった。夜間訓練を行っていたらしい。内容までは聞いていない。とにかく早朝に戻ってきて、シャワーを浴びてそのまま眠ってしまった。夕方くらいに起きると言っている。朝食と昼食は作る必要がない。
 シゥとノアは一緒に出掛けていた。
「ピアー」
 西部屋のドアが開き、ミゥが出てくる。
 セミロングの緑色の髪に、子供っぽい顔立ちの少女だ。ピアよりもやや背が低い。薄緑色のシャツの上に、白衣のような形状の緑色の上着を羽織り、緑色のハーフパンツを穿いている。学者風の出立であり、実際学者である。
 右手に手提げ袋を持っていた。
「どうしたのですか?」
 ピアの問いに、笑顔で答えた。
「手が空いているのでしたら、ちょっとお口を貸して貰えませんか?」
「口?」
 訝る。
 ミゥは背中から六枚の羽を広げた。妖精炎が顕現した緑色の羽。どこか木の葉を思わせる形である。六枚の羽がミゥの身体を浮かばせる。
 椅子に腰を下ろし、ミゥは手提げ鞄からガラスの瓶を乗せた。
「お酒作ってみたんですよー。飲んでみません? あるものを組み合わせて作ったんですけど、なんとかなるもんですねー。味は大丈夫ですよ。ボクも飲んでみましたけど、ちゃんと形になっていました」
「お酒ですか?」
 瞬きをしてから、ピアは瓶の中身を眺める。薄い緑色を帯びた液体。
 ミゥが箱庭で育てている植物は薬草類であり、果実や穀類など酒の原料になるものはなかった。しかし、あるものを組み合わせれば、作れるのだろう。
「でも、昼間からお酒なんて……」
 もっとも、暇だからといって昼間から酒を飲むのは不謹慎である。
 ミゥは手提げからガラスのコップふたつを取り出し、そこに瓶の中身を注いでいた。
「たまには息抜きも必要ですよ。ピア。千景さんにも言われたでしょう? 時には休めって。ピアは真面目すぎるんですよ。千景さんも寝ていることですし、ボクたちもたまにはぱーっと休憩しましょう。というわけで、どうぞ」
 コップのひとつを差し出してくる。
「はぁ」



「うーん?」
 ピアが首を傾げている。
 空になった瓶を眺めながら、ミゥはこっそりと微笑んだ。飲んだのはお互いコップ三杯である。あまり酒に強くないピアは、既に目の焦点があっていない。頬が赤く染まり、眼鏡が下がっていた。
「なんだか……身体が熱くなって来ましたよ……?」
 頬を赤くしているピアに、ミゥはあっさりと白状した。
「千景さんの汗や唾液から抽出した成分を入れていますからねー」
「何をしているのですか、あなたは……」
 銀色の目をミゥに向け、ピアは呆れたように呻く。普段より動きや声の勢いが鈍い。
 千景の体組織はフィフニル族の身体を活性化させる。高濃度の栄養剤のようなものだ。唾液や汗を摂取するだけで、数日間妖精炎が数倍の強さになる。その副作用なのか摂取直後は発情したような状態となり、応用すれば簡単な媚薬にもなる。
「面白いかなー、と思いまして――」
「面白いって……」
 ピアは落ちかけた眼鏡を手で直す。最近こそ大人しくしていたが、ミゥが面白そうという理由で自分含めて周囲を実験台にするのは、よくある事だった。
 両手で肩を抱きしめるピア。
「熱いです」
「へへ、ボクもそんな感じですよー」
 コップに残った酒を飲み干し、ミゥは笑った。
 身体の芯から湧き上がる熱。胸や下腹部が疼いている。
 自覚してしまったら無視できない。色欲とはそういうものだ。ミゥ自身、実験として千景の唾液を薄めたものを飲んだことがある。発情発作自体は放っておいても三時間ほどで収まる。もしくは何かしらの方法で身体の疼きを発散させてしまうか。
 酔いと火照りで朦朧としているピアに、ミゥは提案した。
「ふたりで千景さんに襲ってもらいましょう」
「襲って――」
 言っている事が無茶すぎて、言葉が出てこないらしい。
 固まるピアを余所に、ミゥは羽を広げて椅子から降りた。床には着地せず、歩くように宙を移動する。テーブルを回り込み、ピアの隣まで。
「ピアももう一度千景さんに抱いてもらいたいって考えていますよね? ボクも実はそうなんですよー。あれはかなり気持ちいいですからねー?」
 半分溶けたような銀色の瞳を見つめ、ミゥはピアの手を取った。
「せっかくの機会ですから、ボクたちから襲っちゃいましょう!」
「何を言っているのですか、あなたは……」
「ふふふ」
 ピアの手を掴み、椅子から降りる。
 とっ、と床を叩く軽い音。人間用の椅子にさらに小さな椅子を乗せているので、高さはミゥ自身の背よりも大きい。しかし、バランスを崩すこともなく両足をついた。
「あれですよー。お酒の勢いってヤツです」
 左手を握り締めて宣言する。
「さあ、一緒に行きましょう!」
「ま、待ちなさい、ミゥ」
 右手でピアの手を掴んだまま、ミゥは走り出した。
 酔いのせいで足元がままならないピアを引っ張り、千景の部屋の前までやってくる。ピアの手を放してから羽を出し、床を蹴って宙に浮んだ。手で勢いよくドアを開ける。
「千景さーん!」
 床に下り、再びピアの手を引っ張りながら、部屋へと入る。
「抱いて下さい!」
「…………」
 しかし、返ってきたのは沈黙だった。
「千景さん? いませんでしょうか……?」
 部屋を見回してみるが、千景の姿はない。
 空っぽの机とベッド。明け方に夜間訓練から帰ってきてから、部屋で寝ていたはずだ。夕方まで起きないと言っていたし、部屋から出てくる所も見ていない。しかし、現実として部屋は空っぽである。
「お出掛け中ですか……?」
 そう尋ねてみる。
 夜間訓練。訓練というものは、その当日だけで終わるものではない。ミゥとピアが酒盛りをしている間に、呼び出しを受けて窓から出て行ったのかもしれない。やや強引だがそんな考えが浮かんだ。
「まずいですねー」
 じっとりと背中を熱が撫でる。
 身体の火照りと疼きをどうにかしないといけない。発情発作が治まるまで待っているのはかなり辛い。ピアと一緒に千景を襲う計画は頓挫してしまった。
「これは予想外で――うぁっ」
 前触れ無く肩を掴まれ、ミゥは放り投げられた。
 軽い衝撃とともに、ベッドに下りる。
「ピア――?」
 目を開けると目の前にピアの顔があった。
 白い髪の毛と丸い眼鏡。銀色の瞳がミゥを見つめている。そこに普段の理性が映っていない。頬が赤い。口元に緩い笑みを浮かべていた。酔っぱらっているのは分かる。しかし、このような酔い方をした記憶はない。
「あの、どうしちゃったんですか?」
 口元を引きつらせミゥは訊いた。熱を帯びた身体を撫でる小さな寒気。
 両腕はピアの両手に押えられている。意外と強い力だった。
「ミゥってこうして見ると可愛いですよね?」
「何言ってるんですかー!」
 ミゥはただそう言い返す。

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12/4/19