Index Top 第6話 紫の訪問 |
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第3章 妖精たちの力は |
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近くの河川敷にて。 千景は大きく息を吐き出した。 「随分と走ったの」 ベンチに座っていたヅィが、紫色の羽を広げ浮かび上がった。 ベンチの近くにはリュックがひとつ置いてある。 土手に挟まれた河川敷。春と夏の境目ということもあり、緑色の草が元気に生い茂っている。土手の手前には舗装された道路が敷かれていた。五百メートルほど下流には、高架橋が見える。 千景がよくトレーニングの場所として使っている場所だった。 「今日はちょっと多めに十五キロくらいだ。職業上、体力は大事だ……。俺はあんまり体力とか力使うタイプじゃないけどな」 千景は右手を持ち上げ、小さく笑う。 白いシャツと黒いジャージという地味な服装。両手首と両足首には、重りの入ったリストバンドを付けていた。ひとつ五百グラムだが、それでもかなりの負荷となる。その状態で河川敷を下流に走り、二つ目の道路橋を渡って反対岸に移動し、それから上流へと走り、別の橋を渡ってからここまで戻る。 合計十五キロほどのマラソンだった。 「大丈夫か、シゥ? かなり疲れておるようじゃが」 ヅィがシゥを見る。 千景の少し後ろに浮かんでた。氷の羽を広げて、氷の大剣を背負っている。服装は普段と変らずブレザーのような青い上着とズボンだった。腕には銀色の小手を嵌め、腰にはポーチを付けている。千景と一緒にマラソンをしていた。正確には飛んでいた。 「だいじょぶだ。これくらい、どうってことねぇ」 青い瞳をヅィに向け、言い切る。 だが、顔色は悪く、視線も泳いでいた。かなり疲労している。重量のある氷の大剣や小手などを持っているため、普通に飛ぶよりも負担は大きいのだろう。 千景はシゥに眼をやり、 「見栄張ってるだろ、お前。少し休め」 「……休息は必要です。シゥ」 ノアがシゥの手を掴み、肩を貸す。シゥを引っ張りながら、ヅィの座っていたベンチへと飛んでいった。装備の軽いノアは、まだいくらか余裕があるようだった。 二人はベンチに座り、流れる風に身を任す。 千景はリュックを開き、水筒を取り出した。 水筒の蓋を開け、千景は中身を喉へと流し込んだ。普通のスポーツドリンクである。水分補給を怠ると脱水症状を起こしたりするので、注意しないといけない。逆に飲み過ぎると胃腸が危険なので、喉の渇きが取れる程度だ。 「なあ」 水筒の蓋を閉め、千景はヅィを見る。 「シゥやノアって、人間の感覚で言うと俺の三、四倍走ってることになるんだろ? 飛んでるけど。それに、俺の走りに普通についてきてるし。フィフニル族の基準ってのもよく分からんけど、かなり凄いことなんじゃないか?」 「シゥもノアも妖精郷では五指に入る使い手じゃからの」 休む二人を見つめ、ヅィが薄く微笑んだ。 千景の三分の一程度の身体で、千景とおおむね同じ動きをしている。ピアやミゥの動きから考えると、シゥやノアの身体能力は相当なものだ。妖精炎魔法の強化を伴えば、並の退魔師を凌ぐ力を生み出せる。 「主はシゥと殺りあったそうではないか。どうじゃ、感想は?」 緩く腕を組み、ヅィがそんな事を口にした。 シゥの睡草が切れて錯乱状態になった一件だろう。千景がストッパーになる事を証明するため、シゥと正面から殺し合った。今でも生々しく感触が残っている。 千景は右手を握り締め、 「強いぞ。充分に強い。もう二度目はやりたくないな……。もう一回戦っても勝てる自信はあるけど、俺の方も無事じゃすまないだろうからな」 その答えを聞き、ヅィが満足げに頷いていた。 青い空には、白い綿雲が浮かんでいる。遮るもののない川縁を、風が流れていく。草野はが擦れる小さな音。青い草の匂いが鼻をくすぐった。川面にさざ波が立っている。 ヅィはため息を付き、千景を見る。訝しげに。 「正直なところ、主のような腑抜け顔がシゥに勝てるとも思えぬ」 千景は口を笑みの形にし、人差し指をヅィに向けた。 「何ならお前がシゥかノアの代わりに模擬戦の相手してくれてもいいぞ? お前はピアみたいな大型儀式系得意そうに見えるから、無理にとは言わんが」 「確かに妾はシゥやノアのように直接戦闘に慣れておるわけではない」 視線を合わせ、ヅィが笑う。 背中で紫色の羽が六枚、輝いていた。川縁を流れる風。腰まである紫色の髪の毛が揺れている。ワンピースの裾が揺れ脚が見えた。写身分身による仮初の身体であるが、妖精炎は使える。本体とほぼ同等の力が扱えるだろう。 紫色の瞳に浮かぶ、剣呑な光。 「しかし……妾の魔法を甘く見て貰っては困るぞ?」 人差し指の先に灯る小さな稲妻。妖精炎魔法によって具現化された雷だ。 妖精炎魔法。ピアたちが使う魔法。それを眺めていて、千景はそれを極めて強力な幻術のようなものと判断していた。無生物にも及ぶ精神支配。精霊という存在も相まって、極めて高い現実変換能力を持っている。妖精炎魔法は、自分の理想を極めて強い形で、周囲に実体化させる。 パチパチとヅィの身体から稲妻が散る。 「上等……!」 千景の身体を包む、白い霊力の輝き。ズボンのポケットから取り出した白い鉢巻を頭に巻き付け、きつく締める。微かな痛みと研ぎ澄まされていく感覚。 手の皮膚から現われる黒い蟲。千景が使役する、式鬼蟲。 既に一触即発の臨戦態勢だった。 「おい。お前ら、勝手にケンカ始めるな」 シゥが千景たちを眺めながら呻く。呆れているようだが、止めるつもりはないようだった。ノアは隣で何も言わぬまま座っている。 「千景くん」 突然の声に、千景は身体の前後を入れ変えた。 土手の階段を下りてくる、木野崎秋奈。 二十代半ばの女だった。背は高くもなく低くもなく。肩下まで伸ばした黒髪に、おとなしめの顔立ち。普通に見るなら、どこにでもいる女性だろう。白い半袖の上着と青いプリーツスカートという、どこかセーラー服を思わせる恰好だった。 ヅィのことはひとまず置いて、千景は秋奈を睨み付けた。 「厄介姉妹姉、何しに出てきた……?」 微かに重心を落とし、そう尋ねる。 「厄介姉妹、姉?」 ヅィが不思議そうに呟いた。千景から視線を外し、現われた秋奈を眺める。ピアたちと情報交換をしているが、全ての情報を把握しているわけではないのだろう。 千景は目蓋を落とし、顔をしかめた。 「ああ、そうだよ。名前通りのヤツだ。他人を厄介事に巻き込むのが大好きな姉妹がいていな。その姉の方だから厄介姉妹姉。妹の方はまだいくらか話通じるけど、こっちは無自覚に災厄まき散らす天災だからな。俺も子供の頃から酷い目に遭ってきたわ……」 「よくわからぬが、主も大変よ」 左手で髪の毛を撫で、ヅィは他人事のように呟いた。 秋奈は千景の近くまで歩いてきてから、ヅィに向き直る。落ち着いた笑みを浮かべて。 「はじめまして、ヅィさん。わたしは木野崎秋奈です」 「妾はヅィじゃ。よろしくのう」 ヅィも秋奈に向き直り、簡単な挨拶をする。 千景は腕を組み、秋奈を睨み付けた。 「何の用だ?」 訊いてはいるが、答えは分かっている。いきなり私闘を始めようとした千景とヅィを止めにきたのだろう。そこは想像が付く。だが、秋奈はそれ以上の事をしようとしていた。過去の記憶から容易に想像が付いてしまう。 「模擬戦するんでしょ?」 千景と、ベンチに座っているシゥとノアを眺め、秋奈は楽しそうに笑った。 「わたしが相手してあげようか?」 「そうだな」 千景は数歩後ろに下がってから、ヅィを見る。 「そこの紫妖精じゃ歯応え無さそうだからな。お言葉に甘えさせてもらうわ」 「て、何でオレたちの襟首を掴んでるんだよ!」 「千景さま。自分たちはもうしばらく休憩していたいのですが」 シゥとノアがそれぞれ言ってくる。 千景の両手は二人の襟首をしっかりと握り締めていた。逃げられないように。 そして、霊力を流し込み、二人の体力を回復させておく。今の疲労状態から秋奈の相手をするのは難しいだろう。 「一対三ね。そういうのも、面白いかな?」 秋奈は背中に手を回し、一本の釣り竿を取り出した。 黒いカーボン製で長さは一メートルほど。先端から針と錘の付いた糸が伸びている。秋奈の武器は釣り竿だった。本来武器ではないものを武器とする。そういう退魔師は少ないながらも存在していた。 襟首を掴まれたまま、シゥが勢いよく秋奈を指差す。 「お前も何でオレたちを頭数に入れてるんだよ!」 「これがおそらく死亡フラグというものです」 ノアは淡々と呟いていた。秋奈との戦いは避けられないと悟ったようである。 「頑張るんじゃぞ」 ヅィが他人事のように、右手を挙げていた。 「暢気に眺めてないで助けろ!」 シゥが言い返すが、助ける気配はない。 千景は二人の襟首から手を放し、その手を持ち上げた。皮膚をすり抜け体内の黒鬼蟲が外へと現われる。霊力によって増える式鬼蟲。黒い砂のような大量の蟲。沼護一族の基本にして切り札だった。 秋奈は動かぬまま、その様子を眺めている。 「ああ、チクショウ……。やってやるよ……やってやろうじゃねえか!」 自棄気味に吐き捨て、シゥが背負っていた氷の剣を正面に構えた。 ノアが長い袖に隠れた両腕を前に出す。 千景は全身に大量の霊力を流し込んだ。 「行くぞ、秋奈!」 |
12/2/23 |