Index Top 第6話 紫の訪問

第2章 朝食の時間です


 トントン、と。
 小気味よい包丁の音がしている。
 窓から差し込む朝の日差し。
 台所で流し台に向かい、ピアがネギを切っていた。背中から六枚の金色の羽を広げ、浮かんでいる。人間用の料理台なので、身長六十センチくらいのピアは飛ぶ必要がある。頭に三角巾を巻き、エプロンを付けていた。
 新妻という単語が千景の脳裏に浮かび、消えていく。
「ミゥ、卵を割って、ボウルに入れておいて下さい。みっつです」
 包丁を止め、ミゥに指示を出す。
「わかりましたー」
 コンロの火を付け、ミゥは冷蔵へと飛んでいく。背中から木の葉を思わせる緑色の羽を六枚広げて。緑色の三角巾とエプロンという恰好。
 料理は薬の調合よりも楽とは、ミゥの言葉である。
「奇妙な光景じゃな……」
 椅子に座ったヅィが、二人を見つめ目蓋を下ろしていた。呆れたような感心したような声である。ヅィが知っている二人の姿とはかなり違うのだろう。
「オレもそう思うぞ」
 ツインテールの一房を指で弄りながら、シゥが同意する。
 千景は髪をなで上げ時計を見た。朝の七時半。平日は六時頃に起きるのだが、休みの日は少し遅くまで寝ていられる。
 ノアは椅子に座って大人しくしていた。
 ヅィに目を向け、訊いてみる。
「ピアってこういう家事、得意だったのか?」
「あやつは司祭長じゃ。他人に身の回りの世話をされたことはあっても、他人の身の回りの世話をしたという話は聞かぬ。几帳面な性格とは知ってたがのう。料理や掃除が得意とは聞いたことがない」
 と首を傾げていた。
 シゥが続ける。
「こっちに来てからは家事とか料理とかの知識集めてたぞ。ノアに細かく聞いていたみだいだし。あと、神社ん中で掃除とかの練習してたしな」
 どこかに居候するために覚えたのだろう。住わせてもらう代わりに、身の回りの世話をする。千景の所に来た時もそのような事を言っていたし、今も居候の対価としてピアたちは千景の身の回りの世話を行っている。
 それを差し引いても、ピアの家事の腕は相当なものだ。素質があったのか努力の結果なのかは千景にも分からない。
 最後にノアが口を開く。
「この国における一般的な料理から家事全般の知識を収集し、ピアに渡しました。従者が主人に仕える時の作法も一緒に頼まれたので、そちらも伝えました」
「……何を教えた?」
 ジト眼で千景は尋ねる。
 主人と従者の関係。最初の頃はそこからずれた事をしていた記憶がある。文化や考え方の違いが原因と考えていたが、それだけではないようだ。
「ごく普通の事です」
 曖昧な返事とともに、ノアはピアたちを見る。
 ピアとミゥがお盆に出来上がった料理を持って飛んできた。
「お待たせしました」
 てきぱきと慣れた動きで、千景の前に料理を並べていく。ご飯と味噌汁、卵焼きにほうれん草のおひたし。簡素な朝食だった。千景は朝食は腹半分くらいまでしか食べないようにしている。朝から食べ過ぎると一日動けなくなってしまうからだ。
 料理が並べ終わるのを待ってから、
「いただきます」
 千景は一礼してから、箸を取った。
 白い御飯を口に入れ、味噌汁を一口啜る。ご飯の微かな甘さと味噌汁の塩味と旨味。それら重なり、非常に落ち着いた味となっていた。
「これは、この国の料理か」
 ヅィがピアに尋ねている。紫色の瞳に好奇心を写して。
 日本料理は初めてみるのだろう。ヅィの知る妖精郷の料理とは違うはずだ。自分の文化圏の外にあるものは、大抵奇妙なものに映る。
「お味噌汁に卵焼き、あとほうれん草のおひたしです」
 楽しそうにピアが説明する。仕事としてだけではなく、ピアは純粋に料理や掃除が好きなようだった。好きこそものの上手なれという言葉の通りだろう。
「美味しそうじゃの……」
 卵焼きを見ながら、ヅィが呟く。
 卵焼きをひとつ口に入れ、千景は頷いた。
「実際かなり美味いぞ。プロの料理人って言って十分通じるくらいだ。こないだ作って貰ったクッキー、奪い合いになるくらい人気だったぞ」
「……勿体ないお言葉。ありがとうございます」
 照れたように頭を下げるピア。
 ピアが作ったクッキーを大学に持っていき、友人に配ったら奪い合いになった。身も蓋もない話である。事実、ピアの作るものは美味しいのだ。
 視線を感じて目を移すと、ミゥがいた。空中に浮かんだままテーブルに右手を起き、左手で自分を指差している。
「千景さん。たまにはピアだけじゃなくて、ボクの事も褒めてくださいねー? ボクも一緒にお料理してるんですよー?」
 その頭に左手を乗せ、千景は笑顔で告げた。
「変なもん入れたらまた吊るすぞ?」
「何で脅しなんですかー!」
 千景の手を掴み返し、ミゥが元気に叫ぶ。


「ごちそうさま」
 お茶を一口のみ、千景は息をついた。
 茶碗は空になっている。
「それでは片付けさせて頂きます」
 ピアとミゥが茶碗を流しへと持って行く。
 興味深げな目で、ヅィが二人を眺めていた。ヅィにとっては初めて見る光景だろう。妖精の司祭長が人間に仕えて、給仕や家政婦のような仕事をしている。
 ただ、ヅィが見ているのは、ピアたちの表情だった。どこか楽しそうな笑顔。
(大変なんだろうな……)
 ヅィの顔を盗み見ながら、千景はそんな事を考える。
 それから、ピアに声を掛けた。
「明日は何だ?」
「トーストとハムエッグとサラダの予定です」
 振り返りながら、そう答えてくる。
 明日の朝食を想像しながら、千景は言った。
「楽しみに待ってるぞ」
「はい」
 笑顔で頷き、ピアはミゥと一緒に食器を洗い始めた。
 ヅィが口を開く。
「さきほどミゥを吊るすとか言っておったが……」
 呆れたような眼差しで千景を見つめた。
 千景はお茶を飲みつつ、ミゥの背中を見る。
「時々俺に薬盛ろうとするんだよ。だからお仕置き」
 簡潔に解説する。千景で投薬実験を行いたいミゥが、注射器持って夜襲掛けたり、料理に薬盛ったりする。そのたびに千景はお仕置きとしてミゥを窓辺に吊るしていた。
 おおむねの事情を察したのか、ヅィは腕組みをする。
「ふむ。しかし、主も男じゃろう。薬のひとつやふたつ飲み干してみせろ。さすがのミゥでも死ぬような薬は作るまい。それに、主は無駄にしぶとそうな顔しているから、毒を飲んでもまあ死なんだろうし」
「そうですよ。千景さん。勇気って大事ですよ?」
 ミゥが振り返ってくる。緑色の瞳に意志の輝きを灯して、千景を見つめていた。
「そういうのは勇気とは言わない」
 冷静に切って捨てる。
 ミゥは肩を落として食器洗いに戻った。
 その様子を眺めてから、ヅィが口を開く。
「まだまだ朝じゃが、これからどうするつもりじゃ?」
 食器を洗って片付けているピアとミゥ。椅子に座って大人しくしているシゥとノア。千景はお茶をすすっている。
 午前八時。これから昼まで四時間ほど時間がある。
「ボクとピアはこっちでお掃除します」
 ヅィに向き直り、ミゥが挙手するように手を持ち上げた。
 ピアとミゥはアパート内にいる事が多い。掃除を終わらせたら、ミゥはそのまま薬草の収穫や調合などの作業に移ってしまう。ピアは本を読んだりしているようだった。
 千景は椅子から立ち上がった。
「俺はシゥとノアとトレーニングするんだが、お前はどっちに付いてくるんだ?」
 シゥとノアが立ち上がり、それぞれの羽を広げて空中に浮かび上がる。
 退魔師という家系に生まれた以上、本当に休息と言える時間は少ない。学校や仕事が無い日でも、鍛錬を休むわけにはけないのだ。
 最近はシゥやノアと一緒に、三人でトレーニングを行っている。
「そうじゃのう」
 ヅィは髪を梳いた。
 細く長い髪の毛が、微かな音を立てて指の間からすり抜けていく。
 それから、千景に目を向ける。
「主についていくとするか、面白そうじゃしの」

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12/2/16