Index Top 第6話 紫の訪問 |
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第1章 紫電の妖精再び |
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土曜日の午前六時。 ピアたちの部屋。荷物は何も置かれていない。 床に敷かれた大きな紙。 四畳半分ほどの広さがあり、彩り鮮やかな模様と難解な文字が記されている。文字の半分は日本語だが、残りはフィフニル語であり、千景には読めなかった。儀式型の魔法を扱うための、魔法陣である。妖精炎魔法式に霊術式を組み込んだ構造。 背中から六枚の羽を出し、ピアが魔法陣に妖精炎を流し込んでいた。その向かい側に座り、千景も魔法陣に霊力を流し込んでいく。発動にはそれなりの原動力が必要だ。 ほどなく二人同時に手を放した。 「これで準備は完了しました」 魔法陣から手を放し、そう呟く。眼鏡を直して、一息ついた。大量の妖精炎を魔法陣に組み込んでいる。普通では使わない規模のものだ。千景の霊力の補給を受けているが、疲労感は残るらしい。 「妖精炎魔法と人間の術の融合。燃えますねー。萌えますねー」 両手を胸の前で握り、ミゥが楽しそうに頷いている。両足で小さく足踏みをしながら。頬が少し赤く染まっている。お祭りを見る子供のようだ。 千景は息を整えながら、横を見る。 「本当に上手く行くのか?」 目蓋を下ろして、千景を見ているシゥ。 魔法陣から少し離れた所で、ミゥとシゥ、ノアが様子を眺めていた。興奮を隠しきれない様子のミゥと、半信半疑のシゥ。ノアは相変わらず淡々としていた。 「魔法式と術式を解析した限り、大丈夫と思われます。少し癖の強いものですが、合成魔法自体は単純な構造なので、失敗の可能性は低いです」 魔法陣の内容は、ピアの作った妖精炎魔法に、千景の霊術を補助として組み合わせたものだ。構造はそれほど難しいものではない。 「では、ご主人様」 ピアの声に、千景は意識を戻した。 ピアが目を閉じ、両手を翳す。千景は両手の指を組み、印を結んだ。 『開け、幻影の扉』 「口寄せ・写身分身」 魔法陣が一度白く輝く。 円陣から色の糸が伸び、空中に小さな少女の姿を描き上げた。 身長六十センチに満たない小さな女の子。ピアたちに比べて小柄な体格である。見た目は十三、四歳くらいか。腰下まで伸ばした紫色の髪、紫色の瞳には強い意志が灯っている。薄い紫色のドレスのような服を身に纏っていた。 背中からは紫色の六枚の羽が広がっている。細長い無数の光の帯を、六枚に纏めたような形状。その根元からは、薄い稲妻が散っていた。雷の羽である。 「ふむ。上手く行ったか――」 部屋を見回し、ヅィは小声で呟いた。 右手を持ち上げ、五指を閉じて開く。感触を確認するように何度か手を動かしていた。それから納得したようで、目を閉じて頷く。 ヅィは四人の妖精に向き直った。 「姿を見るのは、久しぶりじゃな。ピア、ミゥ、シゥ、ノア」 「ヅィこそ、変わりないようで」 笑顔を返すピアとミゥ。シゥは小さく笑って片手を上げた。ノアは表情を変えずに、ヅィを見つめる。それぞれ違う反応だが、ヅィは満足したらしい。 千景は無言でその場に立ち上がる。 「そして……」 魔法陣を蹴って三対の羽に妖精炎を通し、ヅィが空中へと浮かび上がった。細長い菱形の羽が、光を増す。妖精炎魔法を用いての浮遊。妖精炎魔法式は読めないが、どうやら直接身体を空中に固定しているようだった。 口元に剣呑な笑みを張り付け、千景に紫色の瞳を向けた。 「久しぶりじゃな。千景」 「一ヶ月ちょっとぶりくらいかな?」 緩く腕を組み、千景は応えた。以前ヅィを呼んだのは四月の始め。今は五月の連休明けだった。一ヶ月ほどの時間だが、かなり長く思える。それだけ、ピアたちとの生活が濃いものだったのだろう。 千景はヅィの紫色の瞳を見つめ、組んでいた腕を解いた。 ヅィも右手を持ち上げる。 「ふん!」 千景が突きだした拳と、ヅィが突きだした拳がぶつかり合った。硬い衝突音。手首に跳ね返ってくる硬い感触。小さな拳だが、ヅィの拳は硬かった。 お互い腕を引き、握った拳を開く。 「ちゃんと実体化してるな」 感触を確かめつつ、千景はそう判断した。 ピアの妖精炎魔法でヅィの五感を召喚し、それを核に千景が仮初の身体を作り上げる。それが今回行った事だ。以前は立体映像のような身体だったが、今回は普通に触れることもできる濃い実体のある身体となっていた。 左手で口元を隠し、ヅィが笑う。 「前はすり抜けてしまったが、実体を持った身体なら問題なく主を殴ることもできる。前回の借りは利子付けて返しておきたいところじゃ」 「できるものならな? ケンカは買うぞ。飯と風呂と寝てる時以外は」 千景はそう返す。 横に視線を向けてみると、ピアが頭を抱えていた。背中から顕現していた金色の羽は消えている。苦笑いをしているミゥと呆れているシゥ。 「楽しそうだな、お前ら……」 目蓋を半分下ろし、シゥが独り言のように囁く。 ノアは無表情のまま手で自分の髪の毛を撫でていた。 ヅィに目を戻し、息を吐く。 「しかし、その小さい身体で、俺と殴り合いは無理じゃないか?」 身長六十センチにも満たない身体。ピアたち四人と比べても小さい。一番小柄なノアと同じくらいだ。体格と力が比例しないのはシゥで分かっているが、ヅィは戦うのが得意というわけではないだろう。 「妾たちフィフニル族は身体こそ小さいが……侮ると大怪我するぞ」 紫色の瞳を千景に向け、ヅィは目蓋を下げる。両手を腰に当て、挑発するような薄笑いを浮かべていた。背中の羽が淡く輝いている。 前触れなく、部屋の空気が一段重くなった。 「ご主人様、ヅィ……」 「………」 掛けられた声に、動きを止める。 その声はピアのものだった。普段の落ち着いた声音とは違う、唸るような声。 ピアが静かに千景とヅィを見つめている。眼鏡越しに銀色の瞳で。物理的圧力すら覚えるほどに気迫に、千景は口を閉じる。ヅィも冷や汗を流しながら固まっていた。 ミゥがシゥに抱きついて震えていた。シゥも半歩足を引いて、ノアの袖を掴んでいる。 「で、だ。うん」 千景はヅィに向き直り、咳払いをした。 平静を装いながら、問いかける。 「何の用だ? ピアたちとは連絡取ってるって話だし、わざわざ遠隔操作の分身作ってこっちに来る必要も無いんじゃないか?」 ピアたちが千景の部屋に居候するようになってから、ヅィとはほぼ毎日連絡を取り合っている。話によると電話に近いものらしい。情報交換ならばそれで事足りるだろう。しかし、こうして実体のある分身体まで作ったのは、ヅィの要望だった。 空中に浮かんだまま、ヅィは両腕を広げる。 「我が盟友がこっちで元気に暮らしておるのか、妾も気になっていてのう。直接この目で見られるなら、それに越した事はない。ということで、やってきたわけじゃ」 と、ピアたちを見る。 ピアは纏っていた殺気を収め、眼鏡を直している。眼鏡のサイズが合っていないわけではないが、単純に眼鏡を動かすのが癖らしい。ピアが元に戻った事に、安堵するミゥとシゥ。ノアは変らず。 「向こうは平気なのか?」 「今のところ問題はないの。妖精郷の復興は順調に進んでおる」 そう言ってから、ヅィはため息をついた。 「だがやはり、大樹を破壊した事が響いておるな。新たな大樹が育つまで、しばらくは生まれる者が少なくなるだろう。分かっていたことじゃが、問題は山積みじゃ」 吐息してから、窓の外を眺める。 白い綿雲が空の半分を埋めていた。雲の隙間から青い空が見える。春先に比べると、気温は随分と上がってきた。朝方はまだ肌寒いが、昼間はもう暑いと感じるほどだ。 「こちらではピアたちが世話になっているようじゃが」 ヅィの言葉に、千景は曖昧な返した。 「どっちかというと、俺が世話になってるけどな」 と、ピアを見る。 照れたように頬を染め、ピアが微笑んだ。 「そう言っていただけると光栄です」 ピアたちがここに住む対価として、四人で千景の身の回りの世話をする。その約束はきっちりと守られていた。ピアが中心になって、家事全般を請け負っている。部屋はいつもきれいで、また栄養バランスの取れた美味しい料理を食べることができた。 四人の働きで、千景の生活はかなり向上している。 ミゥが右手を挙げ、満面の笑顔を見せる。 「要望があれば、栄養剤の調合もしますよー?」 「それは却下」 即座に千景は告げた。 「残念ですー」 両腕を下ろし、ミゥが吐息する。千景に自作の薬を飲ませたがっているミゥ。吊るされたりピアに怒られたりしたいせいか、最近そのような行動は取っていない。だが、諦めているわけではないようだった。 「今日一日、よろしく頼むぞ?」 ヅィが目を細めて、千景を見つめた。 |
口寄せ・写身分身 他人の分身を手元に作る術。相手と全く同じ姿を作れる。分身の元となる相手の協力が必要で、またその相手にも高い技量が必要とされる。 |
12/2/9 |