Index Top 第4話 青の受難

第4章 全て吐き出せ!


 シゥの睡草が無くなってから、四日目。
 テーブルに置かれた白い段ボール箱。横には退魔師協会のラベルが貼られている。千景は中身を順番に取り出し、テーブルに並べていった。
「もう少し時間掛かると思ったけど、何とかなるものだな」
 ミゥに頼まれた薬である。どれも一般の薬局などでは手に入らない霊薬の類。事情が事情なため、思ったより簡単に集めることができた。
「ありがとうございます。これで、シゥの治療がはかどります」
 正面の椅子に立ったミゥが、薬を並べて確認している。安心するように頬から力を抜いていた。薬の半分以上は、浄化や清めに関するものである。手持ちの薬とは別方向からの治療を行うつもりらしい。
「そういえば、千景さん」
 ミゥが口を開いた。やや抑えた口調で。
 ちらりと振り返り、千景の部屋を見る。今はシゥが眠っていた。色々文句や愚痴を言いながらもシゥは千景といる事が多い。自分が弱っている姿をあまりピアたちに見せたくないようだった。
 緑色の眼を千景に向け、ミゥが続ける。
「先日のケンカは、千景さんはシゥより強いって言った事が原因なんですよね?」
「まー。あれは……」
 頭を掻き、千景は目を逸らした。今回の騒動の原因となったシゥとの私闘。突き詰めればどっちが強いかという子供のケンカのような理由である。
 ミゥは視線を逸らさぬまま、訊いてきた。
「では、質問です。千景さんは、全力で暴れるシゥに勝てますか? 見栄や謙遜は必要ありません。単純に答えて下さい。千景さんとシゥが本気で殺し合いをした場合、千景さんはシゥを倒せますか?」
 手を下ろし、千景はミゥに目を戻した。
 先日のシゥの姿を思い返す。氷の剣を展開し、冷気を纏った姿。本人はまだ三割くらいと言っていた。その後、ノアに捕まって無力化されていたが。
「勝てるだろ。楽勝とは言わないでも、まず勝てる」
 慎重に言葉を選び、だが断言する。
 シゥは強い。経験や技術は千景よりも格段に上だ。しかし、火力が千景には届かない。単純に身体が小さいからである。異論は多いが、身体の大きさと出力は相関するのだ。もしシゥが人間と同じ体格なら、確実に千景よりも強いだろう。
 ドアの開く音。
 振り向くと、ピアが千景の部屋から出てきたところだった。シゥが心配で、様子を見ていたようである。いつも通りの眼鏡と肩掛け鞄。
「ピア、丁度いいところに」
「どうかしたのですか、ミゥ?」
 眼鏡を動かし、ミゥを見る。
 ミゥは微かに笑い、あっさりと言った。
「シゥの記憶を、少しの間だけ戻せますか?」
「何をするつもりですか。あなたは」
 銀色の目を見開き、ピアが眼鏡越しにミゥを凝視する。病魔に侵された自分の故郷を壊滅させた事が原因で、シゥは心が壊れてしまった。その虐殺の記憶を封じる事で、理性を維持している。ピアの話はおおむねこのようなものだ。
 その記憶を戻せば、シゥは間違いなく暴走する。
 固まるピアを余所に、ミゥは小さな紙束を取り出した。カルテのようなものらしい。
「ショック療法ですね。シゥの不安の正体は、自分が誰かを殺すというもの。だから、一度全力で暴れてもらって千景さんに倒してもらい、自分を止めてくれる人がいると認識してもらいます」
 と、千景に目を向ける。
 千景は目蓋を半分下ろし、ミゥを見つめ返した。
 千景はシゥよりも強い。それは、この荒療治において必要な条件のようだ。千景がシゥに負けたら意味がない。
「記憶に関しては、一度戻してから、終わったら閉じます。でも、ほんの少し残るようにしてください。そろそろシゥも自分の過去と向き合う準備をしなければなりません。いつまでも睡草に頼る訳にもいきませんからねー」
 ピアを見つめ、片目を閉じる。


 七時にもなると、外は暗い。
 電気の付いていない千景の部屋も暗かった。カーテンは半分閉めてあり、隙間から外の明かりが入ってくる。電気を付けると、蛍光灯の白い光が部屋を照らした。
 部屋に入った千景とピアとミゥ。準備をしていたら、時間がかかってしまった。
 髪をほどいたシゥがベッドで眠っていた。枕元には、木の鞘に収められた氷の大剣が置かれていた。本人の話では、近くに置いていないと不安だという。
 変わらず傍らに付き添っているノア。
「ここん所、ずっと寝てるけど、苦しそうだな」
 微かに顔を歪めているシゥを見つめ、千景は眉根を寄せた。
 初日に比べると目に見えて弱っている。千景の霊力を用いてある程度の回復はしているものの、気休めにしかなっていない。
「昼の三時から五時間、睡り続けています」
 黒い瞳でシゥを見つめ、ノアが答えた。ほぼ不眠不休でシゥを見張っている。苦痛や疲労を表に出さない気質のため、疲れているのか平気なのか分からない。
 眉を傾け、ピアが心配そうにシゥを見ている。
「悪い夢を見ているようですね。眠ってしまえば、起きている時の恐怖や不安は感じないですけど、眠っても完全に消えるわけではないですから……」
「ピア。さっき説明した通りです。やってください」
 表情を消したミゥが、静かに言う。
「はい」
 ピアが鞄の留め金に触れた。
 白い妖精炎が閃き、鍵が外れる。鞄を開け、取り出したのは、一冊の本だった。白い表紙で、大きさは新書ほど。人間が見ると普通だが、ピアたちの体躯に比べるとかなり大きな本である。他者の記憶を記すことのできる、記憶の書。
 千景は大人しくピアの動きを眺める。
 再び白い妖精炎が閃き、本が開かれた。封印系の妖精炎魔法であることは推測が付くのだが、その妖精炎魔法式は複雑過ぎて読む事ができない。
 横書きの文字が見えるが、記されている言葉は読めない。ピアたちの使っている小物にはフィフニル語が記されているが、それとも違うように思えた。
 ピアは本のページに手を置き、唱える。日本語ではない言葉で。
『時の記憶よ。書の戒めは解かれたり。汝の居場所は在るべき場所』
 白い文字が浮き上がり、空中に消えた。
「う……うぅ――」
 苦しげに顔を歪めるシゥ。そのまま目を開け、上半身を起こした。肩で息をしながら、脂汗を流している。その姿は、何かに怯えているようだった。これが、シゥの記憶から削られた恐怖なのだろう。天井の蛍光灯、半分開いたカーテン、千景に目を留める。
 挨拶代わりに、軽く手を挙げた。
「千景、か……。え? ピア、ミゥにノア?」
 千景の横にいるピアたちを見つめ、瞬きする。
 半分閉じられていた青い瞳を、次の瞬間目一杯見開いていた。身体に乗っていた布団をはね除け、枕元に置いてあった氷の大剣を掴み上げる。
「え? え? あれ……オレは? あれ? あ――あ……!」
 背中から顕現する氷の羽。部屋の空気が一気に温度を下げた。皮膚に刺さるような冷気に、呼吸が止まる。空気中の水分が凍り、小さな結晶となって床に落ちていった。右手に持った氷の大剣。木の鞘が砕け、表面から剥がれるように氷片が分離していく。
 以前見た時と同じ、大剣の展開。
 シゥは青い瞳を恐怖に見開き、千景を凝視している。寝間着姿のまま。氷の羽を動かし、窓際へと移動する。移動と言うよりは、逃げるように。
「こないだの続きを始めようか。俺とお前、どっちが強いか?」
 千景は一歩前に踏み出し、ポケットに手を入れた。
 取り出した手に握られた、白い無地の棒鉢巻。それを額に巻き付け、後ろで縛る。子供の頃からの習慣のようなもの。それは自分自身に本気と伝える合図だった。意識が鋭く絞られ、手足の末端まで力が流れ込む。
 その気迫に、シゥの顔が恐怖に引きつった。
「千景、チカゲッ! 何で何でッ! イヤだ。来るな――!」
「シゥ……」
 辛そうに歯を噛み締め、ミゥはシゥを凝視していた。両手を強く握り締めている。厳しい表情とは対照的に、顔色は悪い。この荒療治を考えたのはミゥだが、実行を決めるのには相当な勇気が必要だったのだろう。
 両目から涙を流しながら、シゥが叫ぶ。
「ミゥ、オレに近付くな! もうオレは、殺したくない! 嫌だ、嫌だ嫌だ! 嫌だァ! 来るな来ないでくれ! もう嫌だ! 誰も殺したくない!」
「ご主人様、お願いします」
 静かに、ピアが声を出す。殺気の渦巻く部屋とは対照的に、落ち着いた声音だった。狼狽えてはいるものの、冷静さを保つだけの精神力は残っている。
「まかせろ」
 千景は険しい微笑を浮かべながら、さらに一歩踏み出す。皮膚に痛みすら覚えるほどの鋭い冷気。それを打ち消して余りある、意識の灼熱。シゥの姿を見ていると湧き上がってくる感情。それは、怒りだった。何に対してなのかは自分でも分からないが。
「殺したくない、ね……。舐められたもんだな! 俺は中里千景! お前に殺されるほど弱くはねぇ! 殺せるものなら、殺してみろ!」
「うあああああああああ!」
 シゥが大剣を振った。横薙ぎの一閃。大剣から剥がれた百以上の氷片が、流星のように襲いかかってくる。家具を砕き、壁を切裂き、テレビや机やパソコンを壊しながら。冷気を纏った氷の刃。さながら氷の流星群である。
 千景は腰を落とし、両腕を前に突き出した。二本の腕の間で渦巻く、黒い砂のような鉄鬼蟲。砂鉄の重量と、鋼の強度を持つ、物理攻防用の式鬼蟲である。
「飛べ――!」
 鉄鬼蟲の渦が、爆裂するように飛び出した。巨大な蛇のように、黒い奔流のように、押し寄せる冷気を引き裂き、シゥの身体へと突き刺さった。
 ガラスが砕け、シゥが部屋の外へと弾き飛ばされる。
 しかし、千景の左腕と胸に氷片が刺さっていた。皮膚が凍っている。
「シゥ! 千景さん!」
「来るな! こいつの相手は俺だ」
 近付こうとしたミゥを一括し、千景はベランダに出た。
「第二ラウンド開始、ってね」
 既視感を覚えながら、式鬼蟲に霊力を注ぎ込んでいく。退魔師協会の用意した結界術によって、多少暴れたくらいでは周囲に被害は出ない。今回は全力で戦える。
 アパートの正面にある公園。その中央にシゥが浮かんでいた。
 背中に顕現された六枚の氷の羽。普段の数倍の輝きとなり、周囲に冷気と氷の結晶をまき散らしている。右手に構えた氷の剣。分厚かった氷の剣身も、細身のものへと変化していた。その形状は、刺突剣のタックを思わせる。周囲に漂う氷の破片。そして、氷片がシゥの身体に氷の鎧を構成していく。
 公園には氷漬けになった鉄鬼蟲が落ちていた。
「千景ェェ!」
 恐怖と狂気を帯びた形相で、シゥは千景を睨み付けている。両目から流れた涙が、頬を伝う間に凍り、小さな氷片となって逆巻く冷気に吹き飛ばされる。
 その目を真正面からにらみ返し、千景は咆えた。
「――全部残らず吐き出せェ、シゥ!」

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蟲螺穿
両腕から放った鉄鬼蟲を、回転させながら伸ばして相手に叩き付ける技。巨大なハンマーを撃ち込むような攻撃で、強化術を使わずとも威力は大きい。

氷の大剣 展開2
大剣を無数の氷片へと展開して、鎧として身体に纏う。また、操る氷片も増える。残った剣身は身幅が無くなり、切るよりも突き刺す事に向いた形状となる。

11/7/28