Index Top 第4話 青の受難

第5章 第二ラウンド


 空中に浮かぶシゥから、凄まじい冷気が渦巻いている。背中から顕現した六枚の羽が、青く輝き、氷の妖精炎を世界へと浸蝕させていた。
 夜の闇に、無数の白い氷の結晶が舞い、雪のように地面に積もっていく。
「あああああああッ!」 
 シゥが氷の大剣を振り上げた。剣身は元の大きさより二回りほど細くなり、周囲に数百の氷片を作り出している。宙に浮かぶ氷片が剣の動きと連動し、擬似的な巨大な刃を作り上げていた。
 その破片が剣身に集まっていく。シゥが両手で構えた大剣を勢いよく突き出した。集まっていた氷片が、一斉に飛び出す。巨大な氷片の剣と化して。
 千景は素早く印を結び、両手を突き出した。
「蟲硬壁」
 腕から放たれた蟲が、目の前に壁を作り上げた。鉄のように重く硬く、馬力もある鉄鬼蟲。物理的な攻防の基本となる蟲だった。分厚い壁へと成形し、さらに金剛の術による防御を重ねる。極めて頑強な防壁だった。
 大量のガラスが砕けるような狂音。
 氷片が壁に激突し、弾かれた。しかし、斬撃の威力は一番最初に喰ったものの比ではない。頑強な壁に亀裂を入れるほど。生身で受けたら、ぞっとしない事になる。
「本当に手加減なんかできないぞ……!」
 千景は左腕を伸ばした。
 手から上下に広がる鉄鬼蟲が、瞬く間に黒い長弓を形作った。強い弾力を持たせた鉄鬼蟲の弓と、霊力を圧縮した弦。そして、右手から作り出した矢。式鬼蟲の欠点である遅さを補い、さらに直接攻撃力を高めた蟲の弓矢である。
 矢を弦につがえ、千景は腕を引いた。
「死んでも……恨むなよ」
 蟲鋼壁が砂のように崩れていく。
 その先の空中に浮かぶシゥに狙いを定め、千景は矢を射った。弓と弦の張力から射ち出される黒鬼蟲の矢。空中に舞い散る霜を引き裂き、シゥへと迫る。
 シゥが青い眼を大きく見開いた。
「うああああッ!」
 氷の大剣の一振りで、矢を弾き飛ばす。
 千景は弓を構えたまま真横に跳んだ。
 さきほど飛び散った氷片が、一斉に千景に向かって飛んでくる。剣身の延長になくとも、シゥの意志で動かせるのだろう。だが、それは想定内だった。
 壁から崩したままの鉄鬼蟲を跳ね上げ、飛び来る氷片を絡め取る。
「千景ェェェェ!」
 すぐ目の前にシゥが迫っていた。青い瞳に狂気の色を灯し、力任せに大剣で突き掛かってくる。右手で柄を持ち、左手で細い剣身の中程を掴む、槍のような構えだった。
 思考は追い付かないが、身体が勝手に動いている。
 付きだした左手から広がる蟲が、氷の刃を絡め取った。
 一瞬で、表面の黒鬼蟲が凍り漬けになる。それでも、黒鬼蟲はシゥの妖精炎を喰らい、冷気の影響を最小限に止めていた。凍結は皮膚にまで達していない。
 凍った蟲の弓が崩れていく。
 シゥの動きが少し止まった。
 ドッ。
「シゥ!」
 ミゥの悲鳴。
 シゥの右腕が千切れ飛んでいる。
 さきほど千景が射った矢だった。蟲の矢はある程度制御が効く。的を外れても軌道を修正して、再び攻撃に使えるのだ。氷の鎧ごと右腕を切断し、地面を抉り飛ばした。
 右腕が回転しながら飛んでいく。手から抜けた柄が地面に落ちた。
 だが、シゥは切れた腕を意に介さず、左手を突き出す。
 千景の持ち上げた右腕が、シゥの手を受け止めた。
「しまっ――」
 判断ミスに、歯を食い縛る。今の一撃で意識が逸れたのは、シゥではなく攻撃した千景だった。己の未熟さを悔やむが、一手遅い。
 シゥの手から青白い妖精炎が輝き、千景の右腕を見る間に白く凍結させていく。冷気の妖精炎に直接浸食された結果だった。一瞬で神経まで凍結しそうな冷気を、蟲と霊力の防御で表皮だけに押さえ込む。しかし、それも気休めに過ぎない。
「離れろォッ!」
 力任せに振り抜かれた左拳が、シゥを強引に引き剥がした。
 しかし、千景の右腕は根元まで氷に覆われていた。動かすこともできず、力無く垂れ下がる。腕の感覚は無くなり、動かそうとしても動かない。
 シゥが空中で体勢を立て直した。右腕の傷口を氷が覆い、止血を行う。
「うぅぅぁぁ……!」
 獣のような唸り声を上げ、千景を睨んでいた。蒼い目を見開き氷の涙を流しながら。腕一本失えば戦意が削がれると思ったのだが、怯んでいる様子もない。
「そういう部分は壊れてるんだろうな……」
 熱の術で凍った部分を暖めながら、千景は鉢巻を撫でる。


 凍り付いた一帯。
 公園を中心に、周囲の木々や地面、家の屋根や壁、道路まで、真っ白に凍結していた。所々に突き刺さった氷の柱。空気温度は氷点下数十度にまで下がっている。月の光を受けた氷の結晶が舞っていた。
「お前一人なら、そう苦労はしないと言ったけど、あれは嘘だったな……」
 肩で息をしながら、千景は呻いた。
 右腕に加えて左足も凍り付き、まともに動かない。あちこちに凍傷を伴った切傷があった。流れ出した血も、すぐに凍って固まっている。意識と思考が擦れるほどの体温低下。急所へのダメージが無いのが幸いだろう。
 目を向ける先にシゥがいた。
「あ……ぐ……」
 鉄鬼蟲の杭二本に腹と胸を貫かれ、後ろの木に縫い付けられている。根元から千切れた左足が、近くに転がっていた。纏っていた氷の鎧も砕けている。黒鬼蟲に妖精炎のほとんどを奪い取られ、もはや動ける状態ではない。
 しかし、これほどの致命傷を負っても、死ぬ気配はなかった。ミゥの言っていた通り、千景が想像する以上に頑丈なようである。
「ここにノアが加わったら、俺は死んでたかも」
 空笑いをしながら、千景は横を一瞥した。
 厳しい表情で事を見守るピアと、泣きそうな顔のミゥ、そして無表情でミゥの腕を掴んでいるノアがいた。途中、ミゥが飛び出そうとしたのをノアが捕まえているのだ。
「でも、今は俺の勝ちだ」
 シゥに指を向け、千景は告げる。
 苦しげに顔を歪め、シゥが千景の指を睨んでいた。半ば錯乱状態で暴れていたが、どこかで醒めた思考が働いていたのだろう。それでも、これが限度だった。
 諦めたように片目を閉じる。
 その顔に向けて、千景は続けた。
「お前たちが暴れても、俺が止める」
「くっ……」
 どこか皮肉るような笑みを浮かべ、シゥは両目を閉じる。
 俯くように頭が落ちた。青い髪の毛が微かに揺れ、身体から力が抜ける。気迫が途切れたせいで、意識を失ってしまったようだ。妖精炎によって作られていた冷気が、少しづつ消えていく。
 鉄鬼蟲の杭が崩れて、シゥは縫い付けられていた幹から落ちた。降り積もった霜に、うつ伏せに倒れる。失神しているため、受け身を取る事もできない。
「シゥ!」
 緑色の羽を広げ、ミゥが飛んだ。シゥの傍らに降りると、意識の無いシゥを抱え上げ、穴の空いた胴体に手をかざす。緑色の妖精炎が輝き、傷口から血が止まった。
 遅れてピアとノアが羽を広げて飛んでくる。千切れた手足を持って。
「ピア、ノア、傷口の消毒をお願いします。傷は深いですが、回復は十分可能です。この場で腕と脚の応急縫合をします。それから部屋に運んで、治療します」
「はい」
「了解」
 てきぱきとシゥの応急処置を進めていく。
「俺はほったらかしかよ……」
 左手で額の鉢巻を取り、千景は数歩後ろに下がった。
 シゥの方が重症なので、この反応も仕方が無いのかもしれない。
 しかし、冷気と失血によるダメージは深刻である。化学反応だけで動く普通の人間なら、失血と低体温症で倒れているだろう。化学エネルギーに加えて霊力を活動エネルギーにしている術師だから、辛うじて立っていられた。
 降り積もった霜を踏む足音が聞こえる。
「死にそうだね、千景くん。でもよく頑張ったよ」
 横を向くと、黒髪の女が立っていた。コートにマフラー、帽子、手袋まで着込んだ秋奈である。極地にでも行くような防寒装備。千景とシゥの私闘という名目だが、不測の事態に備え退魔師十数人が待機していた。秋奈もその一人である。
 秋奈は自分の背中を示し、
「医務所まで負ぶっていこうか?」
「自分で歩いていく」
 千景は即答した。
 目を向けてくるピアに大丈夫だと手を持ち上げてから、歩き出す。凍った左足を引きずりながら、秋奈の横を通り過ぎようとして――
「見栄張らないの」
 ゴキッ!
 視界が跳ね、音が消える。平衡感覚が消え、重力も消えた。反応する余裕も無く、避ける余力も無い。顎から脳まで突き抜ける衝撃。傾いていく視界。
 目を点にしたピアを見ながら。
 千景は意識を失った。

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蟲鋼壁
鉄鬼蟲を壁状に作り出す術。高密度に凝縮され、さらに金剛の術をかけられた防壁で、極めて高い防御力を持つ。

蟲の剛弓
鉄鬼蟲を用いて弓を作り、圧縮した霊力の弦を張る。式鬼蟲の欠点である遅さと直接攻撃力の力不足を補った形状。蟲を矢の形にして、相手を射撃する戦闘方法。攻撃範囲は狭まるが、速度と貫通力は非常に高まる。
矢は軌道をある程度操ることができる。
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