Index Top 第4話 青の受難 |
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第3章 朝、目が覚めて |
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目を開けると、小さな握り拳があった。 ゴッ。 「っ……」 鼻を殴られ、千景は無言で顔を押える。 後頭部まで抜けるような痛みに、声を呑み飲み込み背筋を震わせた。頭に掛かっていた眠気の霞が、一気に吹き飛んでいる。それほど強い力で殴られたわけではない。しかし、顔面の急所を殴られるのは、普通に痛かった。 窓から朝の日差しが差し込んでいる。 ベッドの横に、シゥが浮かんでいた。 「何でお前がここにいるんだよ。いや、何でオレがお前の布団の中にいるんだよ」 六枚の氷の羽を広げ、両手を腰に当てて、ジト眼を向けてくる。バスローブか浴衣のような寝間着は、ミゥが着せたものだった。足首辺りまで伸びた青い髪の毛。あちこちが寝癖になって跳ねている。 「昨日の事覚えてないのか?」 布団から起き上がりながら、千景は鼻を撫でる。 「覚えてるさ。お前と違って記憶力はいいんだよ。ったく、普段一緒にいることは納得したけどな。寝る時くらいは別にさせろよ……。一人じゃ眠れないとかいう年でもないってのに。あー、髪ボサボサじゃねぇか。最悪だー」 寝癖だらけになった髪を指で梳きながら、顔をしかめた。 千景は小さく息を吐いてから、 「大事にしてるんだな、その髪の毛」 「オレもよく覚えてないけど、大事なんだよ……」 眼を伏せ、シゥが小声で答える。 戦いでは不利となる極端に長い髪の毛。シゥはそれを切らずに保ち、丁寧に手入れもしている。妖精炎による保護も行っているようだった。それほどに大事にする理由。それはピアによって封じられた記憶の中にあるのだろう。 千景は手招きをした。 「背中こっち向けてくれ」 言われた通り、シゥはベッドに降りて、千景に背中を向けた。不服そうな顔をしているものの、口に出して文句は言ってこない。顕現していた氷の羽が消える。 背中の髪の毛を、シゥが手でどかした。 羽の根元辺りに手を触れさせ、霊力を流し込む。小型の術を一回使う程度の量。 「ん……」 シゥが身体から力を抜いた。千景の霊力を吸収して、妖精炎を回復。そこから、妖精炎を体内に還元して体力の回復や体調の安定化を行っているらしい。 「ん?」 ふと気付いて千景は瞬きをした。 今まで気付かなかったが、ベッドの傍らに黒い妖精が立っている。 同じく気付いたシゥが声を上げた。 「ノア」 音もなく声もなく、気配すらない。存在感すら希薄にする、そのような技術かもしれない。置物のように微動だにせず佇んでいる。今まで気付かなかった。 千景たちの反応に気付き、ノアが黒い目を動かす。 呆れたような戦いたような顔のシゥ。 千景は尋ねた。 「一晩中そこにいたのか?」 「肯定」 「寝てないのか?」 「肯定」 素直に頷くノア。 昨日の夜から一睡もせず、シゥを見張っていたようだ。一晩中特定の相手を見張るというのは、相当に神経を消耗する。だが、ノアは思考や感覚が普通とは違うらしい。かといって平気とも思えない。 「ちょっとこっち来い。お前にも少し霊力分けてやるから。体力回復にはなるだろ」 「感謝します」 黒衣の裾を引きずり、ベッドの横まで来ると、穿いていたサンダルを脱いだ。羽を使わず跳び上がり、ベッドの縁に降りて、千景に背中を向ける。 シゥは寝癖だらけの髪の毛を、妖精炎で手入れしていた。 千景はノアの背中に手を触れ、霊力を体内へと流し込む。 手を放してから、 「どうだ?」 一拍の沈黙から、ノアが向き直ってきた。 「妖精炎がほぼ全回復しました。消耗した体力を回復させても、まだ充分に余裕があります。自然界に来てからここまで妖精炎が高まったことはありません。しかし、これほどの霊力で、ここまで回復するのは予想外です」 いつもと変わらぬ無表情で、感情も見せてはいない。だが、言葉はいつもとは違った。予想以上の回復に、驚いているようだった。 「身体の構造上、お前らは物凄い効率いいんだよ。人間とかの生き物は化学物質ベースだけど、お前らが情報エネルギーベースだからな」 自分の手を見つめて、説明する。 人間は多種の化学物質から構成されているが、精霊などはその身体の多くを魔力などの特殊なエネルギーで構成されている。そのためエネルギー伝達に無駄が無く、非常に燃費が良い。ただ、物質を含んでいないため、不安定という欠点もある。 トントン、と、ドアがノックされる。 「失礼します」 「おはようございますー」 部屋に入ってきたのは、ピアとミゥだった。昨日からほぼ不眠不休で調剤などを行っていたせいか、ミゥの顔色は優れない。それでも無理矢理明るい笑顔を浮かべている。 ミゥは小さな薬箱を持ち、ピアは畳んだ青い服を持っている。 「シゥ。着替えを持ってきました」 「おう。ありがとよ」 ピアから服を受け取るシゥ。 「あと、お薬も持ってきました。苦いですけど、ちゃんと飲んで下さいねー」 ミゥが薬箱を持ち上げる。 それを見て、シゥは一瞬嫌そうな顔をした。薬は好きではないらしい。 千景はベッドから腰を上げる。 「じゃ、着替――」 と、言いかけたところで動きを止める。シゥが着替える最中は部屋から出ていようと考えたのだが、既にシゥは寝間着を脱いでいた。 「ん?」 シゥが不思議そうに顔を向けてくる。 スポーツ用下着のような、胸と腰をしっかりと覆うブラジャーとショーツ。色は深い青色だった。無駄なく引き締まった腕や脚。積み重ねられた鍛錬が見て取れる。 「前々から感じてたんだが、お前らって他人に裸晒す抵抗無いのか?」 訝りながら、千景はピアに問いかけた。 シゥはシャツを身に付け、ズボンを穿き、ベルトを締め、青い上着を羽織る。手早い着替えだった。青いリボンで髪の毛をツインテールに結い上げる。 ピアは眼鏡を動かしてから、口を開いた。 「人間の基準で言えば、薄いです。私たちフィフニル族には"異性"という概念がありませんから。ただ、人前で服を脱ぐのはあまりお行儀のいいことではありません」 と、着替え終わったシゥを見る。 「減るもんじゃないし、別にいいだろ」 茶色のウエストポーチの中身を確認してから、シゥは口端を持ち上げた。シゥ自身、礼儀作法関係にあまり興味は無いようだった。 ミゥがシゥの前に移動し、薬箱から薬包紙に包まれた薬を取り出す。 「シゥ。お薬ですよー。安定剤と鎮静剤ですね。飲んでしばらくすると眠くなると思いますけど、その時は素直に寝ちゃってください」 千景は大人しくその様子を眺める。 「薬って嫌いなんだよな」 シゥが渡された薬包紙を開けると、丸薬が三つ出てきた。緑色がひとつと白がふたつ。人間が飲む錠剤とほぼ同じ大きさ。シゥたちにとってはそれなりに大きいものだろう。水を使って飲む薬ではないようだった。 「みっつもかよ――」 大袈裟にため息をついてから、シゥは丸薬を指で摘んで口に入れる。パリポリと硬いものが割れる音が聞こえてきた。 「不味い……」 露骨に渋い顔を見せる。 千景は入り口の二人に声を掛けた。 「ピア、ミゥ。ちょっとこっちに来てくれ」 「はい」 言われた通り、二人が千景の前まで歩いて来る。 床に立ったままの千景は二人を見下ろした。幼児くらいの背丈で、少女と呼べる体躯を持っている。幻界に住む住人たち、人間の常識から外れた生き物。ピアたちが非日常の存在なのだと、改めて考えさせられる。 さておき、千景は続けて指示を出した。 「回れ右」 言われた通りに、二人が回れ右をする。千景に背中を向ける姿勢。 千景はその場にしゃがんでから、二人の背中に手を触れさせた。怪訝そうな気配が伝わってくるが、逃げるようなことはない。シゥやノアにしたように、霊力を少し流し込む。 ピアの背中から、金色の光がこぼれた。 「え? え? なんか、すごい……?」 慌てて振り返ってくるピア。銀色の目を大きく見開き、千景を見上げている。にわかに信じられないらしい。両手を持ち上げ、具合を確かめるように手を握ったり開いたりしていた。その手を薄い燐光が包んでいる。 ノアの反応から推測するに、妖精炎がほぼ全回復しているのだろう。 「千景さん、これって」 ミゥがうっすらと顕現している緑の羽を指で示した。 「二人とも疲れてるようだったから、俺の霊力少し流し込んだ」 妖精炎の回復。体調や精神の安定化。弱ったシゥを回復させるのに使っているが、ピアやミゥにも効果はあるのだ。疲れを取る意味で霊力を渡してみたものの、過剰に回復させてしまっているようにも思える。加減が難しい。 ミゥは自分の手や背中の羽を見回しながら、何度も頷いていた。 「いえ、まさか……本当に。これほどのエネルギーになるとは――予想はしていましたけど、想像以上ですよ。ただ、回復量が大きすぎて、制御が大変ですねー」 と、苦笑いを見せる。 |
11/7/21 |