Index Top 第4話 青の受難

第2章 応急処置


 大学から戻り、千景は西部屋のドアを開けた。
「シゥ。どうだ、具合は?」
 部屋の隅に座り、シゥは壁に背を預けている。青い上着とズボンという恰好、青いツインテールも変わらず。氷の剣は鞘に収められ、傍らに立て掛けてあった。
「ま……。なんとか、な」
 千景に青い眼を向け、小さく答える。 
「あまり大丈夫そうには見えないが」
「そうだな」
 笑いながら、千景の指摘に同意して見せた。どう見てもただの空元気である。酷く疲れた様子で、目にも輝きがない。睡草が無くなってまだ一日も経っていないが、シゥは確実に不安定になっている。
 心配そうに見つめるピア。無表情のまま近くに立っているノア。
 千景の傍らにミゥが浮かんでいた。木の葉を思わせる緑色の羽を広げ、
「そうですねー。明後日くらいで完全に薬の作用が消えます。そうなれば、はっきり言いまして暴れ出しますね。シゥは睡草の作用で強引に精神を安定させている状態ですから、効果が切れれば錯乱状態に陥ります」
 ミゥの声は明るかった。無理矢理明るく振る舞っている様子である。
 視線を向けると、シゥは目を逸らして乾いた吐息を吐く。
「色々と、ありましたから」
 微かに俯き、ピアが小さく答えた。眼鏡を動かし、盗み見るようにシゥに目を向ける。あまり話したくない事らしい。少なくともシゥのいる場所では話さないだろう。
 窓の外には夕方の景色が広がっていた。紫色の空と、灰色の羽根雲。きれいな夕焼け空である。こういう機会でなかったら、少し眺めていてもいいかもしれない。
 ミゥの声が、思考を引き戻した。
「そこで、千景さんにお願いがありますー。新しい睡草が出来るまで、シゥを肌身離さず抱きかかえておいてもらえますか? 大体一週間くらい」
「何を……?」
 シゥが顔を上げてミゥを凝視する。
 ミゥは空中を滑るように飛んでいき、シゥの傍らに降り立った。緑色の瞳でシゥを見つめてからにっこりと笑いかける。瞬きをして驚いたように固まるシゥ。
 両手でその身体を抱え上げ、ミゥは千景の元へと飛んできた。
「千景さんの霊力には、ボクたちの妖精炎を回復させる作用と、体調や精神を安定させる作用がありますから。それを利用して、シゥの妖精炎と体力を回復させ、精神状態を安定させます。あくまで応急処置ですけど、それなりに効果はある計算になりますねー」
「了解、分かった」
 差し出されたシゥを、千景は両手で受け止めた。両腕を身体に回し抱きしめる。拘束するという表現が正しいかもしれない。直接抱えてみると分かる鍛えられた体躯。
「こら、待て、待て――! オレはまだ了解してないぞ!」
 我に返ったシゥが暴れ出す。首と両足を動かし、千景の腕から逃れるように。本気で暴れているわけではないが、抱えているのには不自由する。
 その背中に、千景は右手を触れさせた。普段羽を作り出している部分へと。そこは身体の内外の壁が薄い箇所である。
「う……ん?」
 動きを止めるシゥ。
「おい、何した?」
 怪訝そうに瞬きをしてから、顔を向けてきた。青い瞳に映る警戒の光。千景が手を触れている辺りから、淡い青色の光がこぼれている。羽を作るまでは至っていないが、妖精炎の輝きだった。
 ピアも不思議そうな顔をしている。
「軽く霊力を流し込んでみたんだが、どうだ? 少しは気が楽になったか」
「少し、な」
 肩の力を抜き、シゥは不服そうに答えた。先ほどよりも目に見えて回復している。千景の霊力を自分のエネルギーに変換した結果だろう。少量の霊力でも相当量の妖精炎を回復できるとは、以前のミゥの言葉だった。
「そういうわけでお願いしますねー」
 ミゥが笑顔で言ってきた。


 午後九時過ぎ。四月の終わりだが、空気はそこはかとなく冷たい。
 軽くノックをしてから、ドアを開ける。
 部屋は散らかっていた。無造作に置かれた大量の薬類と調剤器具、数十冊の本。それらのせいで、部屋に立ち入ることはできない。普段とは別人のような厳しい表情で本や薬品を睨んでいるミゥと、それを手伝っている様子のピア。
 千景に気付いて、ピアが声を上げた。
「ご主人様……シゥは?」
「今は眠ってる」
 千景は自分の部屋の方を示す。
 ミゥから渡された薬を飲んだ直後に、シゥは眠ってしまった。今は千景のベッドに寝かせている。完全に寝入っている事を確認し、こうしてやってきた。
 部屋を見回し、尋ねる。
「ピア、今いいか?」
「どうぞ」
 短くミゥが答える。無機質で事務的な口調だった。
 持っていた薬の瓶を置き、ピアは光の羽を広げて浮び上がった。散らかった部屋を歩いて移動するのは無理だろう。音もなく千景の前までやってくる。
 間を取るように改めて部屋を見回しながら、千景は唇を舐めた。畳部屋を照らす蛍光灯の白い光。窓はカーテンが閉められて、外の様子は伺い知れない。あまり余計な時間は作れない。そう観念して、質問を口にする。
「単刀直入に訊くけど、シゥが睡草を吸ってる理由って何なんだ?」
 シゥ自身自分が睡草を吸っている理由を知らない。ピアに訊けば話すかもしれないと言っていた。おそらくは記憶自体を封じてしまったのだろう。
 眼鏡を動かし、ピアが息をつく。
「私たちが、かつて妖精郷から魔物を退けた話を覚えていますか?」
 無言で頷く。
 ピアたち故郷に魔物が現れ、多大な犠牲を払って退けた。フィフニルの大樹も病魔に侵され、枯れかけた。ピアたちが大樹の接ぎ木を行い、滅亡は免れたものの、禁忌を犯した罪で四人は追放された。
「朽枯れの魔物……。病魔によって全てを朽ちさせる大災厄です」
 重い表情でそう前置きすピア。妖精郷に現れた魔物。話振りから見るに、妖精郷の滅亡も覚悟するほどのものだったようだ。
「その魔物の作り出した病魔に、シゥの故郷の村が取り憑かれたのです。シゥは病魔の拡大を止めるため、魔物化した住人を全員殺し、村のものを全て破壊して。そのおかげで病魔の大きな浸蝕は免れましたが、シゥは一度心が壊れてしまいました」
 目を伏せ、淡々と語る。
 ふと目を移すと、ミゥがメモ用紙に何かを書いていた。
 ピアは肩から掛けている鞄に手を伸ばす。初めて会った時から身に付けている、布製の茶色い鞄。使い込まれた学生鞄のようにも見える。ミゥは中身はピア本人に訊くように言っていた。白い妖精炎が瞬き、留め金が外れる。
「これは、フィフニル族の宝物のひとつ、記憶の書です」
 ピアが鞄から取り出したのは、一冊の本だった。白い表紙で、大きさは新書ほど。人間基準では普通の大きさだが、ピアたちにとってはかなり大きな本だろう。
「この本には、他者の記憶を主観的体験として記録、再生する極めて高度な魔法が組み込まれています。非常に危険なものなので、鞄も含めて多数の封印が施されていますし、たとえご主人様でも中身は見せられません」
 説明してから本を鞄にしまい、金具を留める。小さな金属音。再び白い妖精炎が瞬いた。妖精炎魔法式は読めないが、封印に関係するものだろう。
 ピアが続ける。
「本来は記憶の複写のみを行うものですが、シゥの記憶は完全に切り取り、記憶の書に移しました。それで、シゥは故郷を滅ぼした事を忘れたのですが……それでもやはり、不安や恐怖まで削り取ることはできませんでした」
「厄介だな」
 千景は右手で額を押えた。
 率直な感想である。ある程度重い話は覚悟していたが、予想以上のものだった。原因が深すぎて、治療も回復も容易ではないだろう。
「千景さん」
 名前を呼ばれ、意識を戻す。
 ピアの横にミゥが浮かんでいた。さきほどの硬い表情は引っ込めている。
「すみません。この薬品を手に入れたいのですが、何とかならないでしょうか?」
 右手に持ったメモ用紙を差し出してきた。
 千景はメモ用紙に目線を這わせる。どこで調べたのか、書かれているのは薬の名前だった。一般に流通するものではなく、霊薬の類である。それが二十数種類。
「これは……注射器以上に面倒臭いぞ」
「実家のツテとかコネでお願いします。ちゃんと対価は払いますから。シゥの長期的治療に必要なんです。シゥが睡草依存症になったのは、ボクにも責任がありますから」
 縋るように声を絞り出してから、ミゥが深々と頭を下げる。
 千景が目を移すと、ピアも頭を下げた。
「分かった。何とかしてみる」
 メモ用紙をポケットに入れ、千景は頷く。ど
 れも高価な薬で、自分の手の届かないものが多い。それでも入手が絶対不可能なものはない。事情を説明して実家や宗家に頼めば何とかなるだろう。
 顔を上げたミゥを見つめ、千景は眉を下げた。
「あと、ミゥも昨日から寝てないんじゃないか? 人間よりも頑丈らしいけど、そう不眠不休を続けられるもんじゃないだろ。少し休んだ方がいい」
「お気遣いありがとうございます。千景さん」
 小さく微笑み、ミゥがそう返してくる。しかし、休む気がないのは、目を見れば明らかだった。今日も徹夜で薬の制作を行うのだろう。
 千景は何も言わずに部屋を出た。ドアを閉じ、肩から力を抜く。
「妖精郷を救った英雄か。無理してるんだな、まったく」
 誰へとなくボヤいてから、自分の部屋に戻る。
 いつもと変わらぬ自分の部屋。シゥは千景のベッドで眠っていた。ツインテールをほどき、普段着から寝間着に着替えている。ミゥが飲ませたのは強い鎮静剤のようだった。寝る時も一緒にいるようにと言われている。
「ノア」
「はい」
 ベッドの傍らに佇む、黒衣の妖精。
 シゥがピアたちといた時もずっと控えていた。シゥが千景と一緒にいる時も、ずっとシゥの近くに控えている。気配もなく、置物のように佇んでいた。
「お前は、何してるんだ?」
「シゥが暴走した時に、それを止めるのは自分の役割です」
 淡々とノアが答える。目付きも表情も変えずに。
 予想通りのものだった。睡草の安定効果が完全に切れれば、シゥは錯乱状態になる。戦闘力に優れたシゥを止めるのには、ピアやミゥでは力不足。ノアでなければ、止められないのだろう。
 ベッドに腰を下ろし、静かに寝息を立てるシゥを眺める。
「そうならないことを祈るがな」
「肯定」
 ノアが頷いた。

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朽枯れの魔物
妖精郷を襲った魔物。病魔によって全てを朽ちさせる大災厄。


記憶の書
ピアが持っているフィフニル族の宝物。白い表紙の本で、大きさは新書ほど。
他者の記憶を写し取る、極めて高度な魔法が組み込まれている。他人が複写された記憶を主観的体験として再生することもできる。非常に危険な力を持つので、鞄も含めて幾重にも厳重な封印が施されている。ピア自身、滅多に鞄を離すことはない。
他者の記憶を全て切り取る事も可能で、シゥの記憶を封じた。

11/7/14