Index Top 第7話 夏の思い出?

第1章 リリルの感性


「なあ、コースケ」
 声を掛けられ、浩介は読んでいた漫画から目を離した。
 夏休みの金曜日、雨の日の午後。やることもなく、ベッドに寝転がってぐうたらと漫画を読んでいる時だった。エアコン除湿をかけてあるため、部屋は適度に涼しい。
「ん?」
 横を見やると、ベッドの横にリリルが立っていた。
 ぴくりとキツネ耳を動かし、浩介は瞬きをした。
「リリル、今日は出かけるとか言ってなかったか?」
「いや、雨天中止」
 短く答えてくる。
 浩介は窓の外を眺めた。雨はかなり勢いよく降っている。八月は毎日晴れていることが多いのだが、今年は例年以上ににわか雨が多い。今日は朝方は晴れていたのだが、昼過ぎに急に降り出した。日没頃には止むだろう。
「それで、何の用だ?」
「いや、用ってほどの用でもないんだが。さっきふと気づいてな」
 リリルは何かを探すように部屋を見回した。いつもと変わらぬ自分の部屋。男一人暮らしにしては、非常に片付けられている。しかし、リリルの捜し物は視界内には置いてないようだった。
「お前、アタシの服どこにやった?」
「服? 着てるじゃないか」
 浩介はリリルを指差した。白い猫耳帽子と、白いワンピース。首からは小さな赤い石の首飾りを下げている。見慣れた格好だった。他の服を着ているのを見たことがないというのが正しいだろう。
 額を押さえて、首を左右に振るリリル。
「いや、この服じゃなくて、アタシが一番最初に着てた服だよ。お前の遣い魔になる前に着てた、黒い服。あれ、どこにやった?」
「……ああ」
 リリルの言いたいことを理解し、浩介は漫画を傍らに置いた。
 一番最初、浩介の元に来た時に着ていた黒い服。丈の短いタンクトップ型のジャケットと、ホットパンツ、スカート後ろ半分のような腰布、編み上げのブーツ。材質は光沢のある皮革に似た布だった。その他シルバーアクセサリがいくつか。
 浩介は身体を起して、ベッドに腰を下ろした。仰向けで寝ていたためか、尻尾の付け根が少し痛い。その痛みを取るように尻尾を動かしながら、首をかしげる。
「あれ……どこにやったかな?」
「おい」
 呆れるリリルを手で制しながら、浩介は目を閉じる。
「いや、ちょっと待てよ、うん。脱がせてから洗濯かごに入れたんだよな、確か。えっと、それから、洗濯して、乾かして……取り込んで畳んだ。うん。畳んだんだ。畳んだ所までは思い出したぞ……」
 記憶を辿りながら思い出したことを口にしていく。リリルが来た時はまともな精神状態でなかったため、記憶が非常に曖昧だった。主観的な記憶としては、気づいたらリリルが遣い魔になっていたといっても言い過ぎではない。
 それはさておき。
「それから、俺の部屋の押し入れにしまい込んだ……ような気がする」
 と、浩介は部屋の押し入れを指差した。
 リリルは無言のまま押し入れの戸を開ける。下の段にはプラスチック製の収納ボックスと、私物の入った段ボール箱が収められていた。上の段には冬用の布団や毛布などが収められている。ほんのりと漂う防虫剤の香り。
 三段の収納ボックスを順番に開けてから、リリルが振り向いてくる。
「無いぞ」
「そこに無いとなると、リビングのクローゼットか……? いや、タンスの中かな? まさか物置にしまったとは思えないし。思い出せない……」
 最終的に片付けた場所が思い出せず、浩介はため息を吐いた。狐耳と尻尾が力なく垂れている。しまい忘れはよくあることとはいえ、慣れるものではない。
「まあ、今すぐ必要ってわけでもないからいいけど」
 呆れたように呻くリリル。
「ちゃんと探しとけよ。あれはアタシのお気に入りなんだからな。見つからなかったら、同じものオーダーメイドして貰うからな」
 椅子に腰を下ろしてから、きっちりと付け足してくる。金色の瞳に灯る強い意志。どうやら、あの服はリリルにとって特別なもののようだった。
 しかし、気になることがひとつ。
「それにしても、魔族ってみんなあんな変な服着てるのか?」
「いや」
 浩介の問いに、リリルは首を振った。
「ああいうデザインの服着るのは、アタシの知る限りアタシくらいだろう。他のヤツには似合わんだろうし。てか、変な服とか言うな。あの服はデザインから仕上げまで全部アタシ一人でやったんだぞ。ハンドメイドだぞ」
 口元から牙を覗かせ、言い切る。
 浩介は眉間に親指を当てた。脳裏に弾ける違和感。いや、この違和感自体は以前からあったものである。それが、今更に大きくなった。
「前から思ってたんだけど、リリルって美的感覚おかしくないか?」
「いきなり何言い出すんだよ。美的感覚がおかしいって、失礼なヤツだな……」
 不愉快そうに銀色の眉を寄せて、リリルが言い返してくる。
 浩介はくるくると右手の人差し指を回した。
「いや、リリル。自分で家具とか作ってるだろ、本棚とか机とか。お前の部屋に置いてあるやつ。どこからか買ってきた木材使って」
 リリルの話では草眞に言われた簡単な仕事をして、報酬を貰っている。その金で、どこかの材木屋から買ってきた木で家具を作っていた。木は魔法で加工しているらしい。出来合の家具を買うよりも安く、自分の欲しいものを作れるからだと言っていた。
 一拍ほどの沈黙。窓の外から聞こえる雨音が少しうるさい。
 リリルは腕組みをしながら、首を捻る。
「それがどうかしたのか? 普通の家具だろ」
「形は普通だけど、装飾や彫刻の模様がおかしい。妙に凝ってある割に、上手く表現できないんだけど……俺の感覚じゃあれは変だ」
 浩介は自分に言い聞かせるように頷いた。他に上手い表現方法が見つからない。異国情緒漂うと言えば聞こえがいいものの、実際に見てみると構成として不自然だった。下手ではないが、奇妙。秩序ある無秩序とでも表現するべきだろうか。
「せめて前衛的と言え」
 腰に手を当てて、リリルは断言した。
「芸術のなんたるかを知らんお前には分かんだろうし、無理に理解する必要もない」
 浩介は尻尾の先端を指で摘む。微かな痛みが、淡い痺れとなって尻尾を通り背中を賭け上がって行き、消えた。リリルの言葉を頭の中で何度か繰り返し、
「……芸術、なのか?」
 訊く。
 リリルはこれ見よがしにため息をついてみせた。
「まあ、お前には言ってなかったけど、アタシの生き様は芸術だ。標的を定めていくつもの仕掛けをかいくぐり、目的のお宝を盗み出す。盗みは美しく華麗に――というのはアタシの信念だ。お前には分からないだろうけどな」
「全然分からん」
 額を押さえて、浩介は呻いた。言っている言葉は分かる。だが、その言いたいことは理解できなかった。やはり、リリルの感覚はおかしい。
 両手を広げて首を左右に振ってみせる。大袈裟な呆れの仕草だった。
 その姿を見ながら、浩介は口を開いた。
「それにしてもお前、完全従属の契約とかいうのがあるはずなのに、全然俺に服従する気ないよな。命令には従うけど、明らかに俺のこと見下してるし」
 完全従属。契約の中では最も重いものと言われる。遣い魔は使役者に絶対的な服従を強いられるというもの。確かに、リリルは浩介の命令に一切逆らえない。
 しかし、一方で命令に従う以上のことはしない。敬意を払うこともなく、普通にタメ口。浩介を見下すような態度を取ることも多い。
 リリルは肩を震わせ、口元を押さえた。笑いを堪えるように。
「そりゃそうだろ。お前はアタシを支配しようなんて考えてないからな。だから、アタシは自由でいられる。お前は、アタシを支配したいと思うか?」
「いや、全然」
 浩介は即答した。
 家事などは手伝うように言っているものの、それ以上のことは言っていない。浩介はリリルを妹のように扱っている。自分の思い通りに使おうと思ったことは微塵もない。以前慎一にこの事を言ったら、妥当な態度だろうと言われた。
「そのことには感謝してるよ。完全従属の契約に縛られりゃ、奴隷以下の扱いになることもあるらしいからな。アタシも人生終わったかと思ったけど、割合気楽に過ごせてるし。寝床もあるし、飯美味いし、暇潰しには事欠かないし」
「そうか。よかったな」
 苦笑いをしながら、浩介。
「お前は俺の家族だ。困ったことがあったら言ってくれ。できる範囲で協力する」
 続けて言ったその言葉に。
 リリルは数秒動きを止めた。
 浩介はそっと視線を背ける。思わず出てしまった本音。
 しかし、リリルはそれについては何も言い返してこなかった。軽く背伸びをしてから、歩き出す。浩介の本音ノブを掴んでドアを開けながら、
「んじゃな、アタシはちょっとやることあるから」
 台詞の終わりとともに、ドアが閉った。
 閉じた木のドアを三秒ほど眺めてから、浩介は再びベッドに身体を投げ出した。

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