Index Top 第1話 浩介、キツネガミになる

第4章 無事帰宅?


 浩介は隣の部屋に戻って、座布団に座る。
「変化は長時間維持できぬから、そのつもりでいろ。連続九時間が限度じゃ。時間がくれば、変化が解けて、翌日になるまで変化の術は使えぬ」
「大学の授業時間ぎりぎり……。何とかならないですか?」
 授業は朝九時十分に始まり、夕方四時三十分に終わる。授業を受けるだけならば、問題はない。しかし、漫研に参加するとなると、問題が発生する。部室で変化が解ければ、大学にいられなくなるだろう。
 草眞は困ったように頭をかいて、
「これは、法力の量や、技術ではなく、尻尾の数が理由じゃからの。変化を維持するには、最低でも尻尾が二本必要なのじゃ。さすがに、二本も尻尾を渡すわけにはいかぬ。ちなみに、尻尾を一本増やすのにかかる修行の時間は、およそ百年……」
「百年って……大学自体終わってますよ」
「学生ならば、休み時間や昼休みに変化を解け。それだけでも、大分楽になる。それでもと言う時は、潔く諦めろ」
 無情に告げてくる。
 人のいる前で変化が解けたら、社会的な死を意味するのだ。変化できる時間を計算して行動しなければならない。実に面倒である。
「それが嫌ならば、空いている時間は女として過ごせ。尻尾と耳を消して髪を黒くするのは、丸一日維持できる。変化の術の応用じゃ、難しくはないだろ」
「そうですかねぇ」
 浩介は首を傾げてみせた。
「最後に、尻尾抜きの術じゃが、尻尾を布地に当てて押し込むだけじゃ」
「説明が手抜きですね」
「尻尾抜きは狐火よりも簡単な術じゃから、感覚でできるじゃろ。むしろ言葉で説明するほうが難しいわ。尻尾を布に通すのが嫌で、服に細工する者も多いが、それは個人の好き嫌いじゃな。ちなみに、わしは細工しておる」
 自分の尻尾を撫でてから、笑う。
 浩介はパジャマのズボンを撫でた。腰の真後ろ、ズボンの裾から五センチほどの切り込みがあり、上を紐で止めている。さっきはそこに尻尾を通していた。細工とはこういうことだろう。裁縫はできるので、気が向いたらやってみることにする。
「で、わしの話はこれまでじゃ」
 草眞は終わりを示すように、指を動かした。
「正直、人間をこの家に泊めるわけにはいかぬのでな。色々と見られてはならぬものも多い。悪いが、今日はここで帰ってくれ」
「こんな時間に……車で山道を……?」
 浩介は窓の外を見る。どう考えても、車で山道を下ったら事故を起こす。それに、家に着くのは、夜中の二時頃になるだろう。
「わしが法術で飛ばしてやる。家の場所を教えろ」
 言って、草眞は地図帳を取り出した。
 東京都の地図を広げて、机の上に広げてみせる。
「どこに隠し持ってるんですか?」
 さっきの小箱もこの地図も。いきなり取り出して見せた。どこに隠しているのか分からない。服に隠し持っているわけでもなく、机の下に隠しているわけでもない。
「乙女にそのようなことを訊くな」
「草眞さんって、何歳ですか?」
「んー。そうじゃの、八百五十歳くらいかの? わしが生まれた頃には、まだ鎌倉幕府はできてなかったと思うが」
 しれっと答える。
 神というものは、外見年齢と実年齢とが一致しないのだろう。これ以上何か言ったら、被害をこうむるような気がするので、追求はしない。
「お主が住んでいる家はどこじゃ?」
「ええとですね」
 訊かれて、浩介は地図をめくった。


 ぱち、と前触れなく目を開ける。
 浩介は枕元の時計を見た。朝八時五分。
 窓から差し込む朝の光。夏の始まりのほのかに暑い空気。
「あれは、夢か……」
 と呟いてから、声に気づく。
 自分の声ではない。若い女の声。
 右手を上げてみると、きれいな女の手であった。動かしてみると、やはり自分の手であると思い知らされる。
 浩介は胸を触った。柔らかい乳房がふたつ。
 ジーンズに手を入れてみる。何もない股間。
 それを確認してから、手を引っ込める。
 頭を撫でると、キツネ耳。腰の後ろに手を回すと、尻尾。ジーンズを押しのけて生えている。ぱたりと跳ねた。
「夢じゃないし」
 額を押さえてうめく。
 草眞の法術によって、車ごと家の前まで転移させられたのが昨日の夜。シャツとジーンズを着せられ、女物の服を一式貰い、餞別に油揚げを渡された。車を車庫に入れてから家に戻ると、眠気に襲われた。疲れていたし、現実逃避の意味もあったのだろう。術も解かずに自室に戻り、倒れるように眠ってしまった。
 寝ているうちに術が解けていたらしい。
「今日一日、変化の術が維持できるのか、自信ないけど」
 ふらふらと浩介はベッドから起き上がった。
 割とすっきりした八畳の部屋。コミックとライトノベルがぎっしり詰った本棚に、机の上にはデスクトップパソコン、プリンタ、スキャナ。毎日掃除しているので、周囲はきれいに片付いている。テレビは置いていない。
 浩介はジーンズを脱いで、ベッドに放った。
 尻尾でめくれたトランクスを見て、なんとなく尻尾を下ろしてみる。
 すっと滑らかな動きで、尻尾が布地を通り抜けた。尻尾抜きの術。簡単とは言われていたが、予想以上に簡単である。
 くねくねと尻尾を動かしてみても、さほど不都合はない。
「んじゃ、着替え、と」
 クローゼットを開ける。
 浩介は扉についた鏡を見やった。
 黒いTシャツとトランクスの若い女。明らかに誘っている格好である。細くきれいな手足に、メリハリのついた身体。バストは適度に大きく、ウエストは細く、ヒップは大きくもなく小さくもなく。実になまめかしい。
 浩介は右手を胸に当てた。柔らかく張りのある乳房。それを包み込むように、指を動かす。手の動きに合わせて形を変える膨らみ。
 左手をトランクスの中に滑りこませる。産毛も生えていない、女性器。割れ目の横を人差し指で押してみた。瑞々しい弾力が、指に伝わってくる。
 胸を右手で揉みながら、割れ目を指で撫でて――
「ふっ……」
 吐息とともに、浩介は両手を引っ込めた。
 あきれた顔で鏡に映る自分を見つめる。
「アホらし」
 女になったのだから、女の快感というものを味わってみたい。思いはしても、実行する気にはなれなかった。気分が乗らない上に、実際に触ってみても気持ちよくない。
 それに……
 浩介は右手を眺める。
 一度手を握ってから、開いた。
「何か、変な感じがする」
 昨日のうちは気づかなかったが、今は身体に違和感を覚える。何と表現していいのか分からないが、奇妙な感覚。あえて言うなら、身体がずれているような感覚。狐神の身体を人間の魂が動かしているというのは、無理があるのだろう。
「草眞さんは、大丈夫とか言ってたけど、あんま信用できないからな」
 クローゼットからズボンとシャツを取り出して、ベッドに放る。
 ゆっくりと深呼吸をしてから、法力を右手の腕輪に集中させた。腕輪に通した法力を全身に送っていく。一度同じことをやっていることもあり、前よりも簡単にできた。
 一分弱で全身に法力を行き渡らせる。
 吐息してから、浩介は両手を動かした。ぎこちなく、四種類の印を結ぶ。
「変化!」
 筋肉が引きつるような淡い痛みとともに、身体の組織が組み変わった。三秒ほどで、女から男の身体に変化する。
 浩介は鏡に映った自分を眺めた。以前の姿と寸分の狂いもなく、変化できている。この姿だけ見れば、自分がキツネ娘とは思えない。
「よくできてるよなぁ。原理は分からんけど」
 自分の顔を撫でてから、クローゼットを閉めた。
 Tシャツを脱ぎ捨てる。
「腹減った。朝飯だな」

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