Index Top 第1話 浩介、キツネガミになる

第5章 From 草眞 To 浩介


 浩介は身体を起こした。
 薄暗いリビング。テレビの上に置いてある時計を見やる。
 夕方の七時七分。
「……寝ちまったか」
 額を撫でながら、尻尾を一振りした。
 十二畳のリビング。フローリングの床に、ソファがふたつとリビングテーブル。大型テレビ。キャビネット。この家はちょっとした屋敷なので、それなりの広さがある。定期的に掃除をしているおかげで、埃はほとんど落ちていない。穿った言い方をすれば、生活感が薄い。一人暮らしなので、当然とも言える。
 浩介はソファに寝ていた。
 金曜日は午前の授業しか取っていない。大学で昼食を取った後、家に戻ってそのままソファに倒れこむようにして眠ってしまった。変化を解いた記憶はないが、寝ているうちに解けたようである。尻尾はズボンとトランクスを突き抜けていた。無意識に尻尾抜きの術を使っていたらしい。
「なんか、変だ……」
 浩介はソファから立ち上がった。
 ひどい違和感を覚える。試すように右手を握って、開いた。自分の意思で動かし、実際に手が動いている――のだが、まるで他人の身体を動かしているような感じ。
「実際にそうなんだけどな」
 呻きながら、浩介はキッチンに向かった。
 火曜日から、引き始めの風邪のような体調が続いている。授業にも集中できないし、漫研にも顔を出していない。家に戻ったら、そのまま何もせずに眠ってしまう。
「俺、このまま死ぬかもしれん」
 半ば本気で呻いた。
 リビングとキッチンの電気をつけたところで、テーブルの上の箱に気づく。
「……荷物?」
 一抱えほどのダンボール箱。上には、紙が貼り付けてあった。
『樫切浩介へ。草眞より』
 宅配便が来た記憶はない。神が宅配便を使うとも思えない。法術でここまで転送させたのだろう。便利である。
「何だ?」
 蓋を開けてみる。
 中には色々なものが入っていた。
 順番に取り出していく。
 本が十五冊。作りたてらしく、仄かにインクの匂いがする。中身は印刷だが、言葉遣いは古めかしい。読めなくはないが、読みにくい。内容は術の使い方だろう。
 ガラス瓶に入った乳白色の塗料と、刷毛。蓋を開けてみると、墨汁のような匂いがした。市販の墨汁よりも粘り気がある。用途は不明。
 大小七つの判子。解読不能の文字が、数個から十数個刻まれている。縦書きのようだが、日本語ではない。アルファベット系の文字でもない。アラビア語に似ている、かもしれない。やはり、用途は不明。
 金属の輪が十個に、羽根飾り二つにリボン。用途不明。
 糸巻きに巻かれた白い糸に、プラスチックの手錠。やはり用途不明。
 最後に、金属の小箱。十センチ角の立方体。蓋はないように見えた。
 が、いじってみると、上面が横にずれる。
「開くのか」
 一センチほどの隙間が開くと、何もしていないのに蓋がずれていく。
 コトン、と音を立てて、蓋が床に落ちた。
 蓋の裏側に書かれている文字。
「封……って、え?」
 浩介は慌てて箱を眺めた。
 中には何も入っていない。
「何だ、これ?」
「その箱には、魔族が封印してあったんだよ」
 浩介は横に跳んだ。
 身構えながら、声の主を睨む。
「よう」
 二十歳ほどの女が、手を上げた。
 身長は浩介と同じくらい。百七十センチほど。淡い褐色の肌に、セミロングの銀髪、前髪だけが赤い。ボーイッシュな顔に気楽な笑みを浮かべて、金色の瞳を浩介に向けていた。細長い尖り耳、両頬に見える黒い稲妻のような模様、黒い鞭のような尻尾。肉感的な身体を、露出の多い黒衣で包んでいる。
「……メルディ」
 脳裏の浮かんだ某テイルズの某セレスティアンの名を呟いてから、肌の色しか似ていないことに気づいた。慌てて首を振って、
「何者だ?」
 警戒しながら、尋ねる。
 女は腰に手を当てて、答えてきた。男勝りな口調で、
「アタシはシェシェノ・ナナイ・リリル。魔界じゃ八階位の魔族だ。日本の級位に直すと、三級位ってとこか? あ、リリルが名前だから注意しろよ」
 三級位。妖怪で言えば、土地長級。狐神族で言えば、尻尾四本くらい。高位に属する。退魔師の力を持たぬ浩介では、逆立ちしても勝ち目がない。
 リリルは尻尾を振りながら、陽気に続ける。
「ちなみに、何で封印されてたかっていうと、ちょっと出来心で神界の本殿に盗みに入ってたんだ。見つかって暴れまくって二十人くらいぶっ倒したところで、ソーマの婆さんが出てきて、負けちまった。ハッハッハ」
 あっけらかんと笑ってから、周囲を見回した。
「今、何年だ? 西暦で答えろ」
「……2007年だ」
「おー。とうとう二十一世紀になったんだなー」
 感心したように頷くリリル。
「で、お前は誰だ? ソーマの婆さんに似てるけど、別人だよな」
 問われて、浩介は息を呑んだ。
 緊張感に、尻尾の毛が逆立つ。鋭利な刃物のような、リリルの視線。殺気も敵意も感じない。だというのに、息苦しいほどの圧迫感を覚える。
「浩介だ……」
「コースケねぇ。男みたいな名前……つうか、お前男だろ。身体はキツネの女だけど、魂は人間の男……明らかに変だな。何があったんだ?」
 訝しげに訊いてくる。
 狐神の女になった経緯は、一言では表せない。
 浩介が何と答えようか迷っているうちに、リリルは思い出したように、周囲を見回した。自分が言った質問は、もうどうでもいいらしい。
 別の質問をしてくる。
「それより、何でお前がアタシの封印を解いたんだ?」
「草眞さんから、送られてきた荷物に、あんたの入った小箱があった」
 浩介はダンボール箱を指差した。
「ほう」
 リリルは感嘆の声を漏らす。テーブルに並べられた本やガラス瓶、判子や装飾具を眺めた。金属の輪や、羽飾りを掴みながら、
「へー。こりゃ、えらく強力な封力法具だな。こんなモンつけられたら、いくらアタシでも動けなくなるわ。こっちのハンコは呪印かぁ。従属契約印に制動契約印、服従契約印、不可反逆契約印ふたつ。魔力の全開放印に、魔力結合の崩壊印、放魔印まであるのか。この墨は法印染料。この糸は、法力で作った拘束糸だな。なるほど、なるほど。おもちゃの手錠はよく分からんけど……ま、大体分かったわ」
 一人納得したように頷く。
「ソーマの奴、アタシをお前の遣い魔にしようとしたみたいだな」

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