Index Top 第4話 我ら野良猫!

第1章 ボクと契約して――


 それは行きつけの総菜屋でコロッケを買い、食べる場所を探している時だった。
 学者帽子と白衣を纏い、肩掛け鞄を提げた茶色の猫のような生物。
 野良猫同盟五番、ギゴだった。
「おっ?」
 足を止め、運河沿いの公園を見る。
 白いタイルがしかれた清潔な色合いの公園だった。北西地区二十三公園。丁寧に掃除されているため、ゴミは落ちていない。きれいに手入れされた街路樹や植え込み。公園に建てられた時計は、午前七時半を示している。
「何やってんだ、ハチべぇのやつ?」
 視線の先にいたのは、同胞である。
 猫のような白い身体だが、三角猫耳からウサギの耳のような長い毛が生え、尻尾は狐のようにもふもふしている。背中には数字の「8」が描かれていた。
 足音もなくハチべぇが歩いていく。
 時計の下に立っている女の子へと。
「やぁ、はじめまして」
「え?」
 声を掛けられ、女の子が驚いたようにハチべぇを見る。
 淡い色の髪の毛を二つ結びにしている女の子だ。着ているものは、白い制服とプリーツスカート。近くの中学校の制服である。
「あ、あなたは?」
 瞬きをしながら、少女はハチべぇを見る。誰でも猫もどきが自分に話しかけてきたら困惑するだろう。
 少女を見上げ、ハチべぇは一度頷き自己紹介をする。
「ボクはハチべぇ。野良猫同盟八番、そして魔法の使者さ」
「魔法の使者?」
 だが、少女は意味が分からなかったらしい。不思議そうに眉を寄せている。
 ハチべぇは少女を見上げ、
「うん、お嬢さん。ボクと契約して魔法少女になってよ」
「契約……?」
 呆然としている少女に、ハチべぇはマイペースに話を進めていく。
「うん。契約だ。願いを叶える代わりに、君は魔法少女になり、魔法少女としての仕事をこなす。それが、ボクの提示する契約さ」
「願いを叶えるって何ができるの?」
 少女の瞳に光が灯る。願いを叶える。その契約に微かな興味を持ったらしい。もしかしたら、何か叶えたいことがあるのかもしれない。
 ギゴは後足で首元を掻いた。
 ハチべぇは右右の触手を持ち上げる。
「あらかじめ言っておくと、どんな願いも叶えられるわけじゃないよ。それは覚えておいてね。契約の内容に見合った願いしか叶えられない。数も、内容も、ね。例えば……世界征服とか規模の大きいものは無理だよ」
 そう説明してから、足音もなく川辺へと移動する。街に水を運ぶための運河だった。幅はおよそ五十メートル。浄水された水はきれいで、魚も放流されている。
 運河の向こうには、無数のビルが建ち並んでいた。対岸は商業地区となっている。
 ハチべぇの視線を追うように、少女も対岸を見る。
「魔法少女の仕事はおおむねボランティア活動だ。困っている人を助けたり、街を掃除したり、時に悪い人をやっつけたり。契約期間は半日お試しコースから、一ヶ月、半年、一年、十年、一生涯コースまであるよ。詳細は要相談だ」
 つらつらと説明しているが、少女はよく分かっていないようだった。いきなりおかしな猫もどきが現れ、さらにいきなり魔法少女になって欲しいと言われる。その状況が理解できる者は多くない。
 ハチべぇは続ける。
「叶えられる願いは、魔法少女の契約期間が長くなるほど大きくなる。そして、個人の素質にも左右されるんだ。君は、魔法少女としての非常に高い才能を持っている」
「わたしが、魔法少女の……才能……?」
 少女は自分の胸元に握った手を当てた。
「あの子、強い潜在魔法因子でも持ってるのかね?」
 ギゴは少女を眺めた。誰でも因子を持つ理術と違い、魔法の素質は生まれつき有無が決まっている。ハチべぇは魔法因子の強弱が分かるらしい。
「そう。だから、ボクと契約して魔法少女になって――」
 ストッ!
 乾いた音を立て。
 ハチべぇの眉間に細いナイフが一本突き刺さった。
「!」
 少女が後ずさる。
「その淫獣の話を聞いてはだめよ」
 カツカツと靴音を立てながら、長い黒髪の少女が歩いてきた。二つ結びの少女と同じ制服を着ている。同じ学校の友達なのだろう。
 驚いたようにそちらを見る、ふたつ結びの少女。
「ホムちゃん……」
「ごめんなさい。人生と言う名の道に迷っていたら少し遅れてしまったわ」
 長い髪の毛を手で払い、やたら自信たっぷりに説明する。
 耳の触手で眉間に刺さったナイフを抜き、ハチべぇは黒髪の少女を見上げた。
「ああ、君か。久しぶりだね。でも、いきなりナイフを投げるなんて酷いじゃないか」
「これでも、あなたとの付き合いはそれなりにあるのよ。だから、あなたがナイフくらいでどうにかなるほど繊細でないことは、知っているわ」
 黒髪の少女がハチべぇを睨み付ける。
 それから二つ結びの少女に向き直り、
「魔法少女になっては駄目よ。目先の利益に釣られてなるものではないわ。魔法少女になったら、きっと後悔する。だから、こいつの甘言に騙されないで」
「う、うん……」
 顔を引きつらせ、頷いている。
 ハチべぇが口を挟んだ。
「その言い方は酷いと思うよ。君だって魔法少女になって自分の願いを叶えたじゃないか。それにノリノリで『リリカル☆ホムホム★プリンセスフォーム!』って変し――へぶっ!」
 黒髪の少女のつま先が、ハチべぇの喉を直撃した。少女の額に浮かぶ怒りのマーク。動きに躊躇も無い。堅そうな革靴の先端が、きれいに喉の急所を蹴り抜いている。
 ボールのように宙を舞うハチべぇに、少女は拳を握りしめた。手に込められる理力と強化術。理力は弱いが術式ははっきりしている。
「ホォムホムホムホムホムホムホムホムホムホムホムホムホムホムホムホォムゥ!」
 ドガガガガガガ! ドンッ!
「ぎゅっぷい!」
 力任せのラッシュから、思い切り殴り飛ばした。
 くるくると吹き飛び、木の枝にぶつかり跳ね返るハチべぇ。手足はあらぬ方向に曲がり、首も明後日の方へと向いていた。まるで壊れたぬいぐるみにように。
 ジャギン!
 間髪容れず、少女は鞄の中から大量のナイフを取り出した。細身の投擲ナイフである。一体どこに収納されていたのか、三十本はあるだろう。ナイフに込められる理力。
「ホムリィリイイイイイイッ!」
 強化と誘導の理術をかけ、投げる。
 サクサクサクサクサクサクッ!
 全身にナイフを食らい、ハチべぇは地面に落ちた。
 その様子に、二つ結びの少女が顔を青くしている。
「ほ、ホムちゃん……!」
「狼狽えないで。こいつはこれくらいじゃ何ともないわ」
 少女の前に左腕を差し出し、きっぱりと告げる。
「すぐに再生できると言っても、刺されると普通に痛いんだよ」
 むくりと起き上がるハチべぇ。耳の触手や前足、尻尾を使って刺さったナイフを抜いていく。慣れた動きだった。傷口からは血も出ず、一瞬で塞がってしまう。
 動じることもなく、黒髪の少女は鞄を地面に下ろした。
「私もあなたと半年コンビを組んで、いくつか分かった事があるわ」
「それは興味深いね。自分の事となると案外分からないものだから」
 最後のナイフを引き抜き、ハチべぇは少女を見上げる。
 少女は鞄に手を入れ、ブロックをふたつ取り出した。どこにでもある白いコンクリートブロックである。真ん中に穴が空いていた。
 中学生の学生鞄に入る大きさではない。
「……空間収納の術でも使ってるのか、ゴルァ?」
 ギゴは誰へと無く訊いてみる。答えはないが、おそらくそうだ。自分で作っているわけではなく、知り合いにそこそこ力のある理術士がいるのだろう。
 ゴト。
 ブロックをハチべぇの左右に置き、少女は口を開く。
「あなたの再生力は桁違い。刺しても斬っても潰しても燃やしても爆発しても、数秒後には元通りになってるわ。私の知っている方法じゃ、殺すことはできない」
「こう見えても精霊だからね。人間の技じゃ、ボクを本当に傷つけるのは難しいよ」
 得意げに尻尾を持ち上げ、ハチべぇが宣言する。
 生死の境界が曖昧で身体構造もかなり単純。物理的な肉体の薄い精霊は、やたらと頑丈である。普通の方法では重傷を負わせることもできない。
「素早さは猫くらい――なんだけど、本気を出して動くことは少ないわね。案外面倒くさがり屋なのよね、あなたって」
「あまり本気で動く必要も無いからね」
 ヂャラヂャラ。
 黒髪の少女が鞄から銀色の鎖を取り出した。長さは二メートルくらいだろう。光沢からすると耐腐食処理のなされたステンレス製。かなり重そうな代物だ。
「力ははっきり言って弱いわ。ひいき目に言って仔猫くらいかしら?」
 鎖をブロックに通してから、ハチべぇの身体に巻き付ける。さらに針金で固定。
「おいおい、ヤバいんじゃないか、これ?」
 ギゴは冷や汗を流す。
 対して、ハチべぇは首を傾げていた。
「君は一体何をしようとしているんだい?」
 同盟内でも図抜けて再生能力があるためか、ハチべぇは自身の危険に疎い。苦痛にも鈍感であるため、命の危険という概念自体も無いに等しいのだ。黒髪の少女はそれらの性質を承知した上で行動している。
「そして、あなたと過ごした時間で、確実に分かった事があるの」
「ふむ」
「泳げない」
 黒髪の少女が断言する。
「なるほど。それは確かに。それで、これは一体何の儀式なんだい?」
「この状態で運河に沈めようと思ってるわ」
 訝るハチべぇに宣言した。
「あ。それはヤバい。さすがにヤバい!」
 今さらながら暴れ出すが、抜け出せない。
 運河は水深五メートル。重り付きで沈められたら、もう浮かんでは来られない。泳げる泳げないはもはや関係ないだろう。ハチべぇには身体を変形させる能力はない。窒息死はしないが、誰かが引き上げるまではそのままだ。
 黒髪の少女がハチべぇを持ったまま、運河へと歩いていく。
「おーい、ちょっと待ってくれ、お嬢ちゃん!」
 叫びながら、ギゴは公園へと飛び出した。

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14/2/9