Index Top 第3話 寄り道のお仕事 |
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第2章 泥棒猫 |
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「これは、果たして仕事に含まれるのでしょうか?」 クラウと別れ、アイディは畑の中の道を歩いていた。 左右に並ぶトマト畑。青草の匂いと土の匂い、肥料の匂いが漂っている。自動工作車がセンサーでトマトを確認していた。データは本部の大型コンピューターに送られ、雑草の狩り取りや農薬の散布、果実の収穫などほぼ自動で行われる。 きれいに舗装された通用道路を進む。 「そもそも野良猫を捕まえるって……。自分で猫だって言い張るというのは、絶対猫じゃないですよね。猫は自分で猫って言いませんしね」 野良猫。バルトスはそう言っていたが、どう考えてもそれは猫ではない。猫のような何かか、猫と名乗っている何かなのか。少なくとも言えることは、普通の野良猫などより数段は厄介な相手ということだ。 「では、一体何なのでしょう?」 腕組みをして首を傾げる。 青い空には所々千切れた雲が流れていた。風は強い。大気状態が少し不安定のようだ。もしかしたら、夕立がくるかもしれない。 「ハロ〜。えぶりにゃん」 唐突に。 声をかけられ、アイディは足を止めた。 「はい?」 一瞬バルトスかと思った。声が似ていたような気がしたのだ。しかし、アイディが視線を向けた先にいたのは、バルトスではない。いや、人間ですらなかった。 黄色いぬいぐるみのような怪物体。 「はィ!」 引きつった声を上げ、アイディは固まる。 体高百二十センチほどか。直立した動物をデフォルメしたような外見で、頭にはふたつの三角耳が付いている。なだらかに膨らんだお腹と小さな足、紐のように細い両腕。指はない。簡略したような猫目と猫口。首に赤いスカーフを巻き、胸には「1」という文字が赤く記されている。右手にトマトの入ったカゴを提げていた。 次の思考が浮かんでこない。 生き物はふわふわとアイディの近くまでやってきながら、 「あー。もし私が鳥だったなら、地の果てまで飛んでいきたい、と――思う。うん、お嬢さんがもし、鳥だったなら、何がしてみたいかなぁ?」 黒い瞳を向けてくる。黒塗りのような漆黒の瞳だった。 「あ、あ……」 アイディは半歩退く。理解不能。書記士として緊急時にも対処できるように訓練を積んでいるが、これはそういう領域ではない気がする。 「何者ですか、あなたは……!」 「見ての通り、私は猫である! 猫でないというなら、何だというのだ!」 怪物体は両腕を広げ宣言した。 息を飲み込み思考を切り替え、アイディは叫ぶ。怪物体へと指を向け、 「絶対猫じゃないですよ! どこが猫なんですか! 猫である要素がありませんよ! あなたの写真を百人に見せても猫って答える人は一人か二人くらいですよ! そもそも猫は自分で猫って言いませんから!」 理不尽な感情を吐き出すように声を張り上げてから、腕を下ろした。大きな疲労が肩にのしかかる。肉体的なものではなく、精神的なものだった。 「このつぶらな瞳、ぴんと尖った猫耳!」 細い紐のような腕で、黒曜石のような瞳を、三角形の耳を、それぞれ示す。 「これこそ私が猫である証拠! それで納得しないというなら――」 ゴゴゴゴ……。 意識が鳴動している。黒く丸い瞳が、アイディを見据えていた。夜の闇のように深く、全てを飲み込むような漆黒。 「ごめんなさい」 両手を前で揃え、丁寧に一礼する。まとっていた気迫は霧散していた。 「何なんですか、あなたは……」 脱力しながら、アイディは呟く。 数歩分後ろに下がり、手を上げた。 「ふむ。お初にして、赤いお嬢さん。私は名も無き猫である。肩書きは野良猫同盟No.1にして、同同盟盟主。仲間からは頭目と呼ばれている。ちょっとハイカラにファーザーと呼んでくれても構わないよ、お嬢さん」 「遠慮しておきます」 顔を強張らせながら、アイディは告げる。よく分からない威圧感に後退しかけるも、気合いで踏み留まった。正体不明のものに対しては勇気を出さなければならない。 「なら、お父さんでも構わない」 「遠慮しておきます」 続けて言ってきた頭目に、同じ言葉を返した。 「ああ、残念だ」 横を向き、天を仰ぐ。台詞の割に残念そうではない。 (このヒト、精霊ですね。初めて見ました) アイディは眼鏡を指で直した。 人間の意識から生まれる精神生物。かつて、神や妖怪、妖精、魔物などと呼ばれた存在である。それらは総称して精霊と呼ばれていた。滅多に見かけるものではないが、いるところにはいる。 くるりとアイディに向き直り、頭目はカゴの中のトマトをひとつ取り出した。 「時に赤いお嬢さん。お近づきの印として、トマトはどうかね? 採れたてほやほやのトマトだ。とっても赤くて美味しいよ?」 「このトマト……」 瞬きをしてトマトを見る。 赤いトマトだった。 風が吹き抜け、髪の毛が揺れる。周囲に生えているトマトの葉が揺れ、微かな音が響いた。パズルを組み上げるように思考がつながっていく。 「あなた、野菜泥棒の野良猫……ですか?」 「むっ」 アイディの問いに頭目は顔をしかめた。表情は変わっていないが、しかめたらしい。そのような雰囲気があった。 目を見開き、頭目は声を上げる。 「野菜泥棒とは失――敬……なぁ?」 言い終わるより早く。 前触れもなく気配もなく音もなく。 「!」 アイディは息を止めた。 ほんの一瞬の出来事。 頭目の真後ろに現れた巨大な影。バルトスだった。口元に凶暴な笑みを浮かべ、右手に持った斧を振り上げている。鈍色の分厚い刃が、日の光に小さくきらめいた。 ドッ。 軽い衝撃が、アイディの頬を叩く。 斜めに振り下ろされた斧。刃先が地面に触れる寸前で止まっていた。あまりの風圧に土煙が舞い上がっている。だが、そこに頭目はいなかった。 斧を持ち上げ、肩に担ぎ、バルトスが視線を移す。 「ようやく見つけたぞ、野良猫――!」 「お久しぶりだな、統括官」 頭目はいつの間にかアイディの横に移動していた。 退治する両者。どのような過去があったのか知らないが、顔見知りのようである。怒りの微笑を見せるバルトスと、表情は変わらない頭目。 慌ててアイディは距離を取った。巻き添えになるのはぞっとしない。 バルトスは担いでいた斧を頭目に向ける。 「何か言い訳はあるか、この野菜泥棒が? 人の畑から野菜盗んでタダで済むなんて、生ぬるい事はァ、考えていないだろうなァ?」 片目を細め、重心を微かに落とす。猛獣が獲物に飛びかかるように。 呼吸が止まるほどの威圧感に、アイディは冷や汗を流した。自分に殺気が向けられているわけではないのに、鳥肌が立っている。 「私としても畑から直接持ってくるのは気が進まないのだが、普通のお店では野菜も売ってくれないのだよ。不気味がられてしまってね。代金は置いてあるのだ。文句は言わないでくれたまえ」 涼しげに言い放つ頭目。 「そういう問題ではないッ!」 バウッ! 重い風斬り音とともに、斧が横薙ぎに振り抜かれる。凄まじい踏み込みから、辛うじて視界に映るほどの速度で。人外の速度だが、理術による強化は行っていない。 風圧にアイディのマントが跳ねた。 躊躇無く身体を両断する太刀筋である。 「はっはっは」 だが、頭目は瞬時に飛び上がり斧を躱していた。思考を置き去りにする速度である。バルトスの一閃も非常識な速さだが、頭目の速度はそれをさらに上回っていた。 ふわふわと二十メートルほど離れた所に下りる。 「すばしっこいヤツだ」 不機嫌そうな声音で呻き、バルトスは斧を引き頭目に向き直った。数歩後ろに下がる。ちょうどアイディの横へと。麦わら帽子のツバを指で掴み、やや深めにかぶり直す。 「それでは総括官。今回はこれにておさらば!」 パッ! 頭目が飛んだ。 青い空に落ちていく黄色い点。 瞬く間にその姿が小さくなっていく。 「逃げられると思うなよ――! この泥棒猫がァ!」 バルトスが吼える。 そして、アイディの身体に腕を回し、持ち上げた。両足が地面から離れる。拒否する間もない。荷物のようにバルトスの左脇に抱えられていた。 「行くぞ、お嬢さん」 「行くって――!」 目元に涙を浮かべ、訊き返す。 「決まっているだろう!」 バルトスの身体を包む、青い輝き。理力――ではない。似ているが違う。燃えさかる炎のような力だった。通常ではない理術なのだろう。 バルトスが舗装された地面を蹴った。空気がひしゃげ、爆風が吹き抜ける。 そして、飛んだ。 「クラウさん、助けて下さいいいいいいいいい!」 全力で防御を行いながら、アイディは悲鳴を上げた。 |
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