Index Top 第1章 初めての仕事 |
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第9章 試験の結果 |
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キマイラの破片が水面に浮いている。 さきほどまであった金属的な質感は消えていた。今は古びたプラスチックのような質感になっている。核の支えを失った結果だった。 「よし、終わったぞ」 キマイラの残骸の上に立ち、アルベルが口から紫煙を吐き出す。やって来た時から咥えていた葉巻だ。何度も打ち倒され、壁や水面に叩き付けられたはずなのに、なぜか無事である。上着やズボンも多少よごれている程度だった。 原理はわからない。 「終わったな」 クラウがぼんやりと呻いている。 アイディが改めて作ったイカダの上に立っていた。今度はしっかりとアンカーを下ろしているので、流されたりはしない。 クラウの横に立ち、アイディはおずおずと声を掛けた。 「あのあの。アルベルさん」 「何だね、お嬢さん?」 視線を向けてくるアルベルに、訊く。 「アルベルさんって人間ですよね?」 「まごうことなき人間だ。まぁ、この星に住んでいる以上、移民時の遺伝子操作の結果は残っているから、生物学的に厳密な人間とは言えぬかもしれぬが――。ワシは紛れもなく人間だ。機械でもバケモノでもない」 と、アイディとクラウを見る。 人間が移民船からこの星に移る際、この星の環境に身体を適合させるために遺伝子操作を行った。その結果は現在の人間全てに受け継がれている。そういう意味で、この星に住む人間は純粋な人間ではない。 「全然説得力ありません」 肩を落としながら、正直に言う。 アルベルは眉を持ち上げ、 「失礼な。ワシには父も母もいるし、妻もいるし、血の繋がった娘もいるぞ」 しかし、アイディは食い下がった。ここで諦めてしまってはいけない。自分でもよくわからない何かを守るように、必死に声を上げる。 「でも、おかしいじゃないですか! 絶対におかしいですよ! 何をどうしたら生身でキマイラを倒せるんですか! せめて理術使って下さい! 人間業じゃないですよ!」 素手でキマイラと殴り合い、なおかつ大きなダメージもなく破壊し、さらに拳の一撃で頑強極まりない核を殴り壊す。守護機士であるクラウでも同じことはできないだろう。 ふっと紫煙を吐き出し、アルベルが笑う。 「人間の底力を侮ってはいかんぞ?」 「底力とかそーゆーレベルではないです!」 びしっとアルベルに人差し指を向け、アイディは言い返した。 人の枠を超えた力。人の枠どころか、物理法則の枠を踏み越えている。人間の底力と本人は主張しているが、説得力はない。 「わがままなお嬢さんだな」 肩を竦めてから、アルベルはポケットから携帯灰皿を取り出した。三分の二ほどの長さになった葉巻を灰皿に入れる。葉巻はそのまま自然に消えるだろう。 足元のキマイラの残骸も随分と小さくなっていた。 「ま、いい。ワシは先に帰るぞ」 タッ。 軽い音を立て、アルベルが跳ぶ。 衝撃で崩れた破片が水面の下へと沈んでいった。 アルベルは平然と水面を走り、闇の奥へと消えていく。取水塔の位置は把握しているようだ。灯りが無くとも方向も分かるらしい。その辺りも底力の範疇なのかもしれない。 「行っちゃいました」 「僕たちも帰るぞ」 クラウがアルベルが走っていった方向を指差す。 アイディは術式を動かし、イカダを走らせた。 「疲れました……」 応接室のソファに座り、アイディは大きく息を吐き出した。 時計は午後六時を指している。枝分かれした水脈を戻り取水塔から水源管理局に戻り、濡れた服を着替えてから、すぐさまキマイラ討伐の報告会議へと呼ばれた。守護機士であるクラウが呼ばれた事で、アイディも同伴し、今まで延々と会議が続いていた。 さきほどようやく終わったところである。 「えっと」 マントの内ポケットから、アイディはノートタブレットを取り出した。書記士の備品であるノート。左右に開き、ペンで液晶画面を操作する。頑丈さが売りであり、アイディと一緒に地下大河に落ちたというのに、問題なく動いた。 筆記ソフトを立ち上げ、ペンを走らせる。 書き込まれる内容は特殊な速記文字だ。この記録方法は書記士ごとに個性が出る部分である。単語を一記号として書き込み、ソフトが文章へと変換していた。アイディの手の動きも含めて、相当な速度で情報をまとめることができる。 「これ、どうやって記録したらいいんでしょう? 起こった事を正確に記しても、信じて貰える自信がありません……。写真とか記録している余裕もありませんでしたし」 クレセント市に着き、クラウと会い、アルベルにキマイラ退治に連れていかれ、地下大河に突き落とされ、アルベルがキマイラを素手で破壊した事。それらを事実として書き記していく。本来は写真なども資料として加えるのだが、今回は写真を撮る暇も無く全て文字による記録となった。 ふと、ペンが止まる。 「書記士資格失ったらどうなっちゃうんでしょう?」 背筋を撫でる寒気。天空人。特権階級とも言われるが、その反面非常に規律が厳しく、その罰則も重い。それを重い鎖で縛られた神たちと表現する者もいた。 事実をそのまま報告したら、虚偽報告の認定を受けるかもしれない。書記士が正確な情報を記録できなければ、容赦なく資格は剥奪される。資格を剥奪された書記士がどうなるのか、アイディは知らない。 「それは大丈夫だ」 クラウが言ってきた。 目を閉じ、壁に背を預けている。会議では慣れた様子で報告を行っていた。六時間近い会議を経ても、疲れた気配も見せていない。 目蓋を持ち上げ、鈍い金色の瞳をアイディに向ける。 「ここはそういう場所だ。それは天空都市の連中も知っている。お前がどんな非現実的な報告をしても、それを虚偽と疑うことはない」 「………」 口を閉じ、クラウを見る。 数秒迷ってから、アイディは率直に訊き返した。 「それは、どういう意味ですか?」 天空都市の連中。クラウが指しているいるのは、天空都市中枢部の者たちだ。同じ天空人であるアイディから見ても、何を考えているのかよく分からない者たち。 その中枢部の者たちは、アルベルのような超人の存在を認識している。 褪せた黄色の眉毛を寄せ、クラウは視線を少し落とした。 「ここは色々と特殊なんだ。詳しい事は――天空都市の惑星管理局の連中に訊け。僕が言うことじゃない。たとえば、お前がここに来る時、この街の情報そんなに渡されなかっただろ? アルベルの事知らなかったし」 「………」 沈黙を返す。 アイディにはクラウの周辺の情報はほとんど渡されていない。もっとも、情報を記録する際に変な偏りが出ないように、あえて記録対象周辺の情報を持たせないことがある。その類と思っていた。 だが、それとは微妙に意味合いが違うらしい。 「あと、お前が僕の書記士を務めるって試験は合格だ」 「そ、そうですか?」 瞬きをし、アイディは気の抜けた声を返す。 キマイラの破壊という危険な仕事に同行し、情報を記録する。非常に危険な事であり、クラウはアイディが戦闘に巻き込まれる事を心配していた。テストである鬼ごっこがうやむやになってしまったが、巻き込まれる形とはいえ実際にキマイラ討伐に同行し、合格と判断したようである。 クラウは右手で頭を掻きつつ、 「実を言うと、身体能力的に問題ない。ただ、精神面の柔軟さにちょっと不安があった」 「何ですか、それは? 精神面の柔軟さ……?」 その言葉が何を示すのか、いまひとつ想像が付かなかった。 目を閉じ眉間にしわを寄せ、クラウは顎に手を当てる。言葉を選んでいるような仕草。どのように説明するか考えているようだ。 十秒ほど考えてから、口を開く。 「そうだな……。結論から言うと、この街には生身でキマイラ破壊できる人間が十人以上いる。アルベル含めて、な。つまり、そういうことだ」 「え……っと」 頬を流れ落ちる冷や汗。 ごくりと喉が鳴る。 生身の人間がキマイラを一人で倒すことは一応可能だ。天賦の才を持った者が長年鍛錬を積み、強力な理術を使えば倒すこともできる。逆を言えば、キマイラを倒せる人間はそれほどの希有な存在なのだ。 それが、この街には十人以上いる。 明らかに異常なことだ。 「……もしかしてわたし、交代要求送られていた方が、幸せだったんでしょうか?」 頭に浮かんだことが口に出る。軽率な発言である自覚はしているが、言わずにはいわられなかった。普通の街に見えて、その実常識の通じない奇怪な場所。クラウはアイディがこの街で書記士として仕事ができると判断した。精神面の柔軟さ。 つまり、今後も常識を置き去りにした意味不明な状況に遭遇するということ。 「否定はしない」 苦笑いとともに、クラウは応えた。 |
13/6/6 |