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第8章 怪物は怪物を超える |
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いくつの支流が合流する地点。地下洞窟の大きさは高さおよそ百五十メートル、幅およそ二百メートル。取水塔があった場所よりも広いだろう。いくつかの支流がぶつかっているため、水は複雑な動きを見せている。 『ゴオオオァアアアッッォオオオ!』 咆哮とともにキマイラが動く。 ドン! 右腕が水面を砕いた。 その巨体からは想像も付かない速度で動き、さらに腕をゴムのように伸ばす。物質の仕組みを無視した挙動。詳しい原理はいまだに不明だが、理術のような現象干渉構造を内蔵しているようだった。つまり、半ば物理法則を無視する。 水面を蹴り、クラウが腕を躱していた。 すぐさま壁を蹴り、キマイラへと跳びかかる。 「ひッ!」 息を呑み、アイディはクラウの首にしがみついた。書記士としてキマイラとの戦闘に同伴することは想定していたが、このような形での同伴は予想外だった。 クラウが剣を突き出す。剣身を包む膨大な理力。 組み上げられた理術が、剣身を包むように巨大な剣身を具現化させる。斬撃を巨大化させる大牙と呼ばれる術。そこに強化術を乗せた突き。刃渡り二十メートルはある半透明の刃が、キマイラを直撃した。 ――! 表面の装甲が斬り裂かれ、ガラスのように砕け、キマイラが反対側の壁に激突する。 大牙の剣身が消えた。 クラウは剣を引き戻す。柄を逆手に持ち替え、左手を剣の腹に添える。剣から展開される巨大な盾。六角形のガラス板を無数に組み上げたような構造の理力の壁。 ギィィィッ! キマイラの四本の爪が盾を削り、水面へと叩き付けられる。飛び散る水飛沫。 再び水面を蹴り、クラウは空中へと跳び上がった。 振下ろされた腕目掛け、一閃。 切断されたキマイラの左腕が水面へと落ちる。 だが、腕の切断面から新しい腕が再生を始めていた。機動力と防御力もさることながら、この再生力もキマイラの怖ろしい部分である。 何もない空中を蹴り、クラウが一度距離を取った。 「やっぱり、狭い空間だとやりづらいな」 壁に剣を突き刺し、壁に直立したまま、キマイラを見下ろす。重力に対して垂直に。水面から五十メートルほどだろう。理力で足を壁に固定している。 クラウの背にしがみついたまま、アイディは息を止めていた。すぐ目の前で放たれる大破壊力の攻防。巻き込まれたらひとたまりもない。 キマイラがクラウに向けていた顔を、横に向ける。 「………」 クラウが無言で視線を移した。キマイラと同じ方向へと。アイディも釣られるようにそちらに目を移す。地下大河の上流。つまり、取水塔があった方向へと。 「そぉこまでだぁぁッ!」 「アルベルさんッ?」 突如聞こえてきた大音声に、アイディは叫んでいた。うっすらと予想はしていた。しかしそんな事はありえないとも考えていた。だが、希望的観測は無惨に粉砕される。 理術の灯りが照らす場所へと、声の主がやってきた。 「ふははははぁっ! ようやく会えたな、バケモノ。この時を待ちこがれていたぞ!」 凶暴な哄笑を上げ、アルベルがキマイラを睨み付ける。 どのような仕組みか、凄まじい速度で水面を走っていた。葉巻を口に咥えたまま緩く腕を組み、上半身を微動だにさせず、下半身は残像となるような走り方。 アルベルが勢いよくクラウに人差し指を向ける。 「先に言っておくぞ、クラウ・ソラス! 貴様はそこで大人しく見物していろ。これ以上そいつには一切手を出すなよ。そいつは――ワシの、獲物だあああッ!」 右手を引き戻し、手を握り締める。拳の形に。 大きく顎を開き、アルベルへと飛び掛かるキマイラ。標的を変更したようだ。 生身の人間がキマイラと対峙したら何もできずに殺される。それが普通だ。しかし、アルベルは一人でキマイラを倒せると言い切っていた。 アルベルが吼える。水面を蹴って跳び上がり、 「よくも我らBF団の施設をぶっ壊してくれたなクラァァッシュゥゥ!」 ドゴォン! 爆音を上げ、天井へと叩き付けられたキマイラ。 巨大な頭が半分、洞窟の天井にめり込んでいた。砕けた岩の破片が水面に落ちる。大蛇のような身体が、天井からだらりと垂れ下がっていた。そこはかとなく滑稽である。 「………」 言葉を失うアイディ。 アルベルが拳でキマイラの顎を打ち上げていた。自身の数千倍はある質量を、拳の一撃で百メートル以上も上の天井まで吹っ飛ばす。もはや理屈や常識を因果地平の彼方に放り投げたような光景だった。 『ゴオオオォォゥゥゥォォォオオ!』 頭を引き剥がし、キマイラが右腕を振下ろす。まだ空中にいるアルベルへと。 ボッ! 自身の何倍もある腕に打たれ、アルベルが水面に叩き付けられた。高速で動く物体に対し液体はほとんど個体として振舞う。何度か水面を跳ね、 「ぬぅ。やるな!」 水面を手で叩き、アルベルはあっさり体勢を立て直した。 空中で身体を捻り、再び水面を走る。キマイラの横に回り込むように、 「だが、ぬるい!」 右腕を突き出す。 バオッ! 超音速の掌打から放たれる衝撃波。目に見えない豪打がキマイラの身体を直撃し、吹き飛ばす。桁違いの強度を持つ装甲が砕けた。もはやそれは砲撃である。 「あのあの……」 アイディはクラウに小さく声をかけた。 近くに浮かぶ理術の灯りが、洞窟を明るく照らしている。光明の届く距離はおよそ百メートルだが、こぼれた光は周囲三百メートルくらいまで届いている。 キマイラと戦闘を開始したアルベルを見下ろしながら、クラウが返す。 「何だ、手短に言え」 「アルベルさんどうやって水面走ってるんでしょう? 術は使ってませんよね?」 下半身のみを動かす奇妙な走法で、アルベルは水面を疾走していた。振下ろされる腕や尻尾を躱し、拳や蹴りや衝撃波を叩き込んでいる。理術を使えば水面を走るのは難しくないが、アルベルはそのような理術を使っていない。 もうひとつ、さきほどから見る限り一度も止まってはいない。 やる気無くクラウが答えてくる。 「右足が沈むよりも早く左足を踏み出して、左足が沈むよりも早く右足を踏み出して、それを高速で繰り返せば水面も走れるらしい。理論上は可能だ。実際ああして走ってるから可能なんだろう」 「凄いですねー」 他人事のようにアイディは感心した。単純な理屈であるが、理論上は可能である。地球には水面を走るバシリスクというトカゲが存在した。アルベルの水上疾走とはかなり仕組みが違うが。止まらないのは、止まったら沈むからだろう。 鞭のように唸る尻尾が、アルベルを薙ぎ払う。 「ぬぅんっ!」 呻き声を上げながらも、アルベルは両腕を交差させ防御した。腕の十字防御で防げるものではないが、そんな常識はもはや用をなさない。それでも運動エネルギーは防げず、吹き飛ばされる。 が――あっさりと空中で体勢を立て直した。 飛ばされた先の壁を蹴り、水面を蹴り、跳び上がる。 「首肉〈コリエ〉フリット!」 ガコン! 真下からキマイラの首を蹴り上げた。 砕けた装甲が周囲に飛び散る。 無言のまま、クラウが右手を払った。手刀から放たれた理力の刃が、飛んできた破片の軌道を逸らす。割れた破片が散弾のように近くの壁を吹き飛ばした。 「えっと――」 何かが浮かんでくるが、形になる前に消える。 アイディはアルベルに目を戻した。 「あの人、普通にキマイラと殴り合ってますよ」 「殴り合ってるな」 無感情にクラウが同意した。 「キマイラって守護機士とか軍隊とか、大火力作れる人たちが頑張って倒すような災害ですよね。生身の人間が素手で殴り合えるようなものじゃないですよね?」 「普通はな。だけど、目の前で起こってる事が現実だ。受け入れろ」 投げやりに、クラウが言ってくる。 「衝撃のォ――」 アルベルが右手を振りかぶった。壁を蹴り、一直線にキマイラへと突っ込んでいく。 「ファーストブリット!」 ドゴン! 身体の中程を一撃され、キマイラがへし折れた。 アルベルはキマイラの身体を蹴り瞬時に離脱。水面、壁、天井、壁と。空間を三次元的に跳び回り、反対側へと一瞬で移動する。再び拳を引き絞り、 「そして、セカンドブリットォ!」 ガギンッ! キマイラの頬を力任せに殴り飛ばす。キマイラは右腕を振り上げ防御していたが、アルベルの拳は腕をへし折り、顔面へと衝撃を叩き込んでいた。 千切れた腕が落ちていき、折れた牙が散る。 再び瞬時に離脱するアルベル。壁、水面、天井と跳び移り、 「さらに、ファイナルブリットォォッ!」 ズドンッ! 真上からキマイラの脳天へと拳を打ち下ろした。 冗談のような威力に、キマイラが水面へと叩き付けられ、巨大な波が壁へと広がる。水飛沫がアイディたちのいる場所まで飛んできていた。 「これのどこが現実だって言うんですかぁぁぁ!」 泣きながら、アイディは叫ぶ。 生身の人間がキマイラと素手で殴り合う。それだけでも理不尽な光景なのに、明らかにアルベルが押していた。さすがにダメージはあるものの、動きに支障はない。自身の数千倍の質量を持つ怪物の攻撃を何度も受けて、元気に動き回っている。 しかもキマイラは再生が追い付かないダメージを受け、あちこちが崩れていた。 「駄目押しのォ、ヒールアンットゥッ!」 ドォォン……! 脳天を蹴り抜かれ、キマイラが水面化へと沈む。 アルベルが反動で天井へと跳び上がっていった。 クラウの背にしがみついたまま、アイディはぽんと手を打つ。無茶苦茶な現実だと思っていたが、たった今納得のいく理由を閃いた。 「これってアレですか? 夢ですね。夢なんですね! わたし、うっかり飛行機の中で眠っちゃってるんですね。昨日の夜緊張して少し寝付きが悪かったから、きっと居眠りしちゃってるんですね。あー、わたしったら、うっかりものです」 「気持ちはわかるが諦めろ」 無慈悲なクラウの台詞に、アイディは再び滝のような涙を流す。 「だって、クラウさん! これをどう理解しろっていうんですか! 生身の人間がキマイラ押してるんですよォ! 絶対におかしいじゃないですかァ! 夢だっていいじゃないですか、夢オチ最高じゃないですか! それに、常識って大事なモノなんですよ!」 『ゴオオオアァァ!』 大きく口を開け、キマイラがアルベルへと飛び掛かる。砕かれた腕は再生していない。ダメージが大きく再生機能が追い付いていなかった。 にやりとアルベルが笑う。犬歯を見せる凶暴な微笑だ。天井を蹴り、空中で二、三度回転して勢いを付けてから、右足をキマイラめがけ振り抜く。 「嵐脚〈ランキャク〉凱鳥〈ガイチョウ〉!」 脚先から放たれる衝撃の刃。目には移らぬ波が、翼を広げた鳥のような形を画くのが見えた。実際に目に移ったのか、ただの錯覚なのか、アイディにはわからない。 ズッ。 強大な衝撃波の刃に、キマイラが両断される。まるで鋭利な包丁で切ったように、頭から水面まで一刀両断されていた。水面も一文字に切れ目が入っている。 『ォォォ……』 動きを止め、崩れていくキマイラ。その断面に白い結晶が見えた。一メートルほど大きさの透明な正八面体と、その奥に輝く拳大の暗い紫色の球体。身体を両断するほどの力を受け、それでも破壊できない部分。 「エンド・コア……」 アイディは囁く。 キマイラの核部分。エンド・コアと呼ばれるものだ。それを破壊すればキマイラは完全に機能停止する。しかし、コアの外殻は表皮装甲よりもさらに高い強度を持つ。外殻を破壊し、コアを砕ける者はそう多くはない。 守護機士とその武器は、外殻ごとコアを破壊できる稀少な力だ。 「これでトドメだ!」 「えっ?」 瞬きをするアイディ。軽い現実逃避から非現実的な現実へと引き戻される。 「全てを原子に打ち砕け!」 大きく吼え、アルベルが天井を蹴った。 「ビックバン――」 右拳を腰溜めに構え、一直線にコア目掛けて飛んでいく。既にキマイラは機能を停止し、反応することもできない。両断されたキマイラの裂け目へと飛び込み、 「パンチ――!」 鉄骨を引き千切るような音を轟かせ。 アルベルの拳が、外殻ごとコアを粉砕した。 |
大牙 手に持った武器を芯として、数倍から数十倍の大きさの半実体の巨大武器を作り出し、それによって相手を攻撃する。一振りで一回という使い方をされる。破壊力は大きいが、効果は一瞬なので意外と理力消費は少ない。 クラウ・ソラスの形状をなぞっているため、非常に鋭利な刃を持つ。キマイラを攻撃するときは同時に強化術を乗せ、さらに威力を高める。 クラウの対キマイラ用基本攻撃。 破鉄の術 武器攻撃力強化の術。込める理力の量によって破壊力は増していく。ただし、使用する道具の許容量以上は強化できない。 クラウがキマイラの腕を切断した。 鉄硬壁の術 逆手に構えた剣から展開される巨大な理力の盾。六角形のガラスを無数に組み合わせたような外見。高い硬度を持ち、キマイラの攻撃を受け止める。 壁歩きの術 足の裏と壁を理力で貼り付ける術。壁や天井を歩いたり走ったりすることが可能となる。壁と身体の間に擬似的な引力を作っているような構造。 多少身体が離れても問題は無いが、あまり離れすぎると落ちていく。 飛燕の術 手や武器から攻撃を飛ばす術。攻撃は芯となったものの形状をなぞったものとなるが、ある程度形の調整は可能。 飛んできたキマイラの破片を、手刀から放った理力の刃で砕いた。 水上疾走 高速で水面を蹴り、その反動を利用して水上を走る技術。右足が沈む前に左足を踏み出し、左足が沈む前に右足を踏み出すという原理。上半身を動かさず下半身のみを高速で動かす独特の走り方が特徴。 理術による浮力は作っていないため、止まると普通に沈む。 首肉〈コリエ〉フリット 相手の首を真下から蹴り上げる足技。 衝撃の三連打 ファーストブリット、セカンドブリット、ファイナルブリットの三連打を相手に叩き込む技。高速移動を用いて一撃ごとに殴る場所を変えることが多い。やっている事はただのパンチだが、アルベルの超人的身体能力から繰り出される拳は、キマイラをも吹き飛ばす。 ヒール・アンド・トゥー 加速から放つ蹴り。 嵐脚〈ランキャク〉凱鳥〈ガイチョウ〉 身体を何度か回転させ勢いを付けてから、脚を振り抜き衝撃波の刃を放つ。その刃は大きく翼を広げた鳥のような形。キマイラを縦に両断するほどの切断力を持つ。 ビッグバン・パンチ 突進から繰り出される突き。 エンド・コアを外殻ごと粉砕する破壊力を持つ。 エンド・コア キマイラの中枢である核。直径十センチほど紫色の球体。これを破壊されるとキマイラは完全に機能を停止する。キマイラとの戦いでは、基本的にコアを破壊することが最終目的となる。しかし、コアは桁違いな強度を持つ外殻に包まれ、容易に破壊はできない。 外殻はエンド・クリスタルと呼ばれることもある。 |
13/5/30 |