Index Top 第1話 初めての仕事

第7章 獲物は、かかった!


 冷たい水の中で。
「ごぼぼぼ……あばば……」
 アイディはわけもわからずもがいていた。
 吐き出した息が水中に泡となって水中に散る。だが、光が無いので、泡も見えない。上下もわからず、手は水を掴むのみ。何も聞こえない水中。水中に落ちた時の訓練は受けているが、ここに至る経緯のせいで思考は半分以上停止していた。
 不意に身体に掛かる加速度。
 どばっ。
 音の無かった世界に音が戻る。
「う。げほっ!」
 咳とともにアイディは水を吐き出した。
 何度か咳き込んでから、息を吸い込む。喉を流れる空気の感触が心地よい。
「大丈夫か?」
 クラウの声が耳に届く。
 淡い白い光が周囲を照らしていた。理術によって作られた光の粒。水の流れる轟音が耳に届く。鼓膜に痛みを覚えるほどにうるさい。すぐ真下に見える水の流れ、クラウの背中と脚。その下では水が激しく流れている。
 水面に立ったクラウが、アイディを肩に担いでいた。足元から青白い理力が展開されている。水面に立つ水雲の術だった。
「し、死ぬかと思いました」
 自分の状態を確認し、アイディは大きく脱力する。上着から下着までぐっしょりと濡れて気持ち悪い。備品であるタブレットノートなどは、厳重に防水加工がしてあるので、故障の心配はない。
 他人事のようにクラウが口を動かした。
「普通なら死んでるんだろうけど、身体は小さいのにちゃんと鍛えてあるな」
「これでも書記士ですから」
 疲れ声で返しながら、アイディは理力を組み上げる。いつまでもクラウに担がれているわけにもいかない。手早く術式を組み上げ、水面に向かって術を放つ。
「ラフトプレート」
 水面に現われた三メートル四方の四角い板。強い浮力を持つ理力の板である。わゆるイカダだった。大きさや浮力は調整可能である。このイカダは大体五百キロくらいまで耐えられるように術式を組んでいた。
 クラウがアイディをイカダに下ろし、自分もそちらに移動する。水面に立っているのは面倒なのだろう。続けてイカダを固定するための碇を作ろうとしたが、クラウが手で制してくる。流される必要があるようだった。
 碇は置いておき、アイディは左手を持ち上げ。
「カンテライト」
 手の平に現われる立方体。中には理力による光球が浮かんでいた。強い光が周囲を照らす。クラウが作った光明の術とは違い、空間そのものを明るくする理術である。
 右手を振り、クラウが光の粒を消した。
 大河の奔流に流され、イカダは進む。
 周囲に見えるのは白い砂岩化した砂だ。洞窟の大きさは幅五十メートル、高さ三十メートルほど。取水塔があった場所よりも狭い。また湿度もかなり高い。ずぶ濡れなので今更湿度はあまり関係ないが。
 地下二千三百メートルを流れる地下大河の世界。
 クラウがぼんやりと洞窟の天井を見上げている。
 自分が今できる事をやったと確認してから、アイディは大きく息を吸い込んだ。
「というか――」
 胸の奥から湧き上がる熱い感情。単純な怒りだった。その感情にまかせ、叫ぶ。
「何ですか、何なんですか……! 何なんですか、この状況はッ! なんかもー色々と、すっごく納得できませんよ、コレ! 書記士が大変な仕事っていうのは理解してますけど、どーして初仕事開始から二時間で地下大河に飛び込みしてるんですか、わたしは! 想定外どころか夢にも思ってなかったですよ!」
 わきわきと指を蠢かせながら、涙を流し絶叫した。
 怒りと悲しみと理不尽さとヤケクソと。思考から溢れるごちゃ混ぜの感情を乗せ、頭に浮かんだ言葉を力任せに吐き出していく。
「それに、アルベルさんも何なんですか! 本気で殺すような事してるのに、わたしたちが死ぬって全然考えてませんよね! はっきり分かりましたよ! もう一体全体何がしたいんですか、あの人は! 遊んでるんですか! わたしたち遊ばれてるんですかー!」
 肺の空気を全て吐き出してから、アイディは深呼吸をした。
 両腕を下ろし、ぐったりと脱力する。
「気が済んだか?」
「一応……」
 クラウの問いに、弱々しく返した。
 地下大河に落ち、イカダを作ったものの、水流に流され取水塔から離れていく。今自分たちがどこにいるのかも分からない。碇も作っていないので、水の流れに逆らうこともなく取水塔から遠ざかっていく。
「どうしましょう? これから」
 まずは取水塔まで戻らなければいけない。
 水流を逆に辿れば行き着くかもしれないが、単純に逆に辿っても取水塔に行き着く保証はない。地下大河は網の目のように枝分かれしている。
「お前は大丈夫だろ。これあるし」
 クラウがアイディの左手を掴み、持ち上げた。
 左手首に銀色の輪っかが取り付けられている。アイディを放り投げる前に、アルベルが取り付けたものだろう。文字盤のない腕時計のような形状。
「発信器?」
 形と質感から見当を付ける。
「アルベルさん――何が目的なんですか?」
 目を閉じ、アイディは問いかけた。
 ――君はあいつほど頑丈ではないだろうから、ちゃんと探してあげよう。
 ――だから、死なないように頑張りなさい。
 アルベルの台詞が浮かぶ。クラウとはぐれてもアイディは探す気だったようだ。クラウは何もせずとも死なないと考えているらしい。
 砂岩質の天井を見上げ、クラウが濡れた髪を手で払う。
「言ってただろ。敵がどこにいるか探さないといけないって。それについては僕も同意見だ。僕が落とされてなかったら、僕がアルベルを突き落としてた。タイミング崩されて一手遅れたけど。少し勘が鈍ってたかな? 不覚だ」
 と、ため息。
 クラウとアルベル、どちらにしろどちらかが地下大河に落ちていたらしい。
「……つまり、どういう事なんです?」
 流れが理解できず、呆けたようにアイディは問いかけた。
「ようするに囮だよ、オトリ。休止状態のキマイラ見つけるには、直接『外敵』が近付いて起動状態にするのが一番手っ取り早い。キマイラは機械類よりも生き物を優先的に攻撃するからな。一応僕は生き物に分類される」
 鈍い金色の瞳を、クラウは周囲に向ける。
 言われてみれば単純な話だった。キマイラが外敵として認識するものが近づき、起動状態にさせ、発見する。起動状態へ移行させるのにもっとも確実なものは生物だ。かなり生物に近い構造のクラウも生物として認識される。
「納得しましたけど、納得できません」
 顔を強張らせながら、アイディは反論する。
 方法としては手っ取り早いが、普通は実行しない。理由は単純で危険だからだ。だというのに、何の迷いもなくその危険な方法が実行されている。
「ちょっと訊きたいんだが」
「はい?」
 クラウの声に、アイディは顔を上げた。
 クラウが右手を伸ばし、アイディの掛けている眼鏡を指で掴んだ。
「お前の眼鏡はどうなってるんだ? あの高さから落ちて、水流にもみくちゃにされて外れてると思ったけど、がっしりくっついてるな」
「あっ、引っ張らないで下さい! これ大事なものなんです、特注品なんですよ!」
 眼鏡を取ろうとするクラウに、アイディは両手で眼鏡を押さえて抵抗する。
 あっさりと諦め、クラウは手を引っ込めた。目蓋を下ろしつつ、
「そこまで大事なものなのか?」
「はい。眼鏡は顔の一部なんです」
 腰に手を当て胸を反らし、アイディは断言した。
 昔から愛用している眼鏡である。レンズの大きさや曲面、ツルの形状など、全てアイディに合わせた特注品である。しっかりと顔に固定され激しい動きをしても外れない。大河に落ちて水流に揉まれても、何事もなくくっついている。
 音もなく。
 淡い寒気が背筋を撫で上げた。
「ん?」
 アイディは息を呑み、周囲を眺める。
 さきほどから変わらない洞窟。黒い水面と白い壁と天井。白い砂岩が剥き出しになっていた。地表を覆う砂の下層部が長い年月で固まった岩である。この星に存在するもの全般に言えるものだが、やたらと硬い。
「非常に嫌な予感がするんですけど」
 言いながらクラウを見る。
「ああ」
 応えながら、クラウは右手を横に動かした。
 手の平から一瞬で剣が構成される。全長およそ二メートル。柄はおよそ五十センチ。白い刃はおよそ百五十センチで身幅は三センチほど。柄から左右に伸びた五十センチほど棒状の鍔。まるで十字架のような形状の大剣だ。
 クラウ・ソラスの名を持つ兵器。
「嫌な予感ってのは大抵当たるもんだ。思ってたよりも近くにいたな。探し回る事も考えてたけど、これは運が良いかな?」
 クラウが身を翻した。
 アイディの身体に手を回し、抱え上げ、そのまま跳び上がる。
『ゴォォァァァァァアアアアァァァ!』
 轟咆とともにイカダが砕け散った。
 水面から飛び出した怪物が、イカダを噛み砕く。
「えっ、ぅえええっ!」
 クラウの背にしがみつきながら、アイディは喉を引きつらせた。
 空中で一回転してから、クラウが水面に落ちる。が、沈む事はなく水面に立っていた。足元から展開された水雲の術が、身体を水上に固定している。
 アイディの傍らについてきた理術の灯り。
「これが――」
 魔獣キマイラ。その単語が浮かぶ。
 目の前のキマイラの形は、喩えるなら全身に装甲板を纏った大蛇だった。もっとも実物の蛇とは違い、二本の大きな腕を持っている。水面から出ている部分は十五メートルほど。そこから後ろに二十メートルほど離れた場所に、尻尾の先端が見えている。全長は六十メートルほどだろうか。
 機械の軋むような音を立てながら、キマイラがクラウに目を移す。瞳のないアイセンサーのような眼。口元から除く刃物のような牙。
「ほ、本物……です、よね?」
 間の抜けた質問が、アイディの口から出る。
 この星の旧文明の置きみやげ。自動生成される自律兵器。その姿は一定せず、時に生物的な、時に機械のような、時に意味不明な形を作り上げる。そして共通している事は桁違いに強いという事。災害と表現されるほどに。
 アイディを背負ったまま、クラウは両手で剣を構えた。災害の怪物であるキマイラを破壊するために作られた機械の戦士、守護機士。その一体クラウ・ソラス。
「本物だ。僕に掴まってろ。離れたら死ぬぞ」
「は、はひ……」
 アイディは力無く言葉を返した。

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光粒の術
小さな理術の灯りを作り出す術。
光量は大きくない。

水雲の術
足裏から理術を展開し、水面に立つ技術。立つだけでなく水上を走ったりもできる。水上での戦闘を行う時の必須術。

ラフトプレート
四角いイカダを作る理術。
イカダの大きさはかなり自由に設定できる。アイディが作れる最大はおよそ二百メートル四方。浮力も調整できる。放っておけば水に流されるが、任意で動かすことは可能。

カンテライト
灯りを作り出す理術。
直方体の枠の中に、光球が浮かぶ構造。周囲を照らすだけではなく、灯りの周囲の空間そのものの光度を上げる効果を持つ。特に術式を設定しなかれば、アイディの近くを漂っている。

地下大河のキマイラ
二本の腕を持ち、装甲を纏った大蛇のような外見。全長およそ六十メートル。取水塔を攻撃し、機能停止にした後、休止状態になる。
地下大河に落ちたクラウとアイディに反応し、起動状態となり襲いかかった。

13/5/16