Index Top 第8話 科学都市フィジク |
|
第5章 人の枠を越える力 |
|
「思ったより疲れるわ……」 堅めのソファに座ったまま、クキィは呟いた。 普段着ている服は脱ぎ、薄い水色の検査服を着ている。足元まであるバスローブのような服だ。後ろは尻尾の付け根まで切れ込みがあり、下を留める構造になっている。 本棟から離れた小さな建物。大きな窓の外には庭園が作られていた。 休憩所らしいが、あまり使われていないようである。 「検査は明日まであるんだ。この程度でばてて貰っては困る」 丸椅子に座ったローウェが書類を眺めながら言ってきた。 身長や体重から視力聴力、レントゲン検査など。体力を消耗することはないが、慣れない事をするのは精神的に疲れる。明日は血液検査や内視鏡検査などがあるので、それを考えるとさらに気が重い。 「それに君も私と同じ獣人なのだ。そう気弱なことを言うものではない。獣人種族たるもの誰よりも強くなければならないぞ」 「誰よりも強く、ね」 クキィは右手を握り締める。 単純な身体能力なら全種族で最も高い。術という力が無かったら、獣人種族が一番強いだろう。術が関わってくると、一概に何が強いとはいえないが。 「それでそんなに鍛えたの?」 丸太のような手足を眺め、クキィは尻尾を曲げた。年齢を感じさせない体格。非常識な鍛え方をしているのは容易に想像が付く。 「ただ頭がいいだけというのは、私も気に入らなくてな。文武両道。力と知恵、揃ってこその最強と思わないか?」 尻尾を動かし、ローウェは笑った。 クキィは目蓋を少し下ろし、天井を見上げた。白い天井。 「ここ最近、人外ばっかり見てたから……強いって何かしら?」 身体に風穴開けられても死なないとか、攻性法術弾で撃たれても平気とか、公営グラウンドを丸ごと破壊するような術を使えるとか。クキィの中では強いという言葉の意味が曖昧になっていた。 「自分を貫き通す事だ」 きっぱりと答えるローウェ。 案外そうなのかもしれない。タレットの言っていた最強の天才という言葉。単純に腕っ節が強いというだけではないのだろう。自分の意志を押し通すには腕力も必要であるし、頭の良さも必要になってくる。 「おっす」 部屋のドアを開けて、タレットが入ってきた。 ローウェは書類から目を離し、タレットを見る。 「どうだった、そっちは?」 一度頭を掻いてから、タレットは苦笑いをした。 「いつも通りですね。大きな進展は無しです。ただ、なーんかきな臭い話が出てるんですけど、どうしましょう?」 「問題ない。それなら、すぐそこに来ている」 あっさりと――本当にあっさりとローウェが窓を指差した 小さな休憩室である。窓に向かってソファが四つ並んでいる。壁際には自動販売機が二台置かれていた。休憩用の丸椅子と机。殺風景な部屋だった。大きな窓の外には庭園が造られている。使われない場所のためか、あまり手入れはされていない。 「あ。バレてタ?」 そんな呟きとともに、壁の陰から一人の少女が現われた。 十代前半の見た目の妖魔族の少女である。首の後ろを赤いリボンで縛った長いオレンジ色の髪、金色の瞳。着ているものは、身体よりもサイズの大きなワンピースだった。袖や裾には、赤、青、緑の糸で幾何学模様が刺繍されている。 ドアを開け、部屋へと入ってくる。 「どうも。お久しぶりです」 壁際に前触れ無く現われる妖魔族の男。見た目四十歳ほどで、落ち着いた顔立ち。オールバックの銀髪。眼は血のように赤い。黒のタキシードを身に纏い、裏地の赤いマントを羽織っている。 「あんたたち……」 クキィは頭を押え、二人を眺めた。何故か口元に笑みが浮かぶ。あまりに予想通りの事が起こると、緊張感よりも先におかしさが出てくるものだ。 ヴィンセント、カラ。以前、ガルガスを殺そうとしていた二人。 タレットが眼鏡を動かし、 「お前らか……。てことは、目的はガルガスか……?」 二人の狙いはガルガスである。クキィやタレット、リアはどうでもいいようだった。加えて本気でガルガスを殺せるとも思っていないようである。 「そういう事です。あなた方に向こうに行かれると自体がややこしくなってしまうので、足止めを頼まれました。ここで大人しくしていて下さい」 「あっちってリアもいるわよね。ガルガスはともかく、リアは危ないんじゃなない?」 クキィは教会のある方向に眼を向けた。 ガルガスの方には二人とは別の誰かが行っているらしい。ガルガスだけなら何か起っても自力で対処できるだろう。だが、そこに巻き込まれたリアが無事かは怪しい。それだけではなく、周囲には一般人もいるのだ。 困ったように指で頬を掻き、カラが両手を広げる。 「悪いケド、ガルガスの方に行きたかったら、ワタシたちを倒して行ってネ? 行くっていうナラ、力尽くで止めさせてもらうヨ?」 「なるほど。倒せばいいのか」 至極単純にローウェがそう呟いた。 椅子から立ち上がり、持っていた書類を椅子の載せる。両腕を持ち上げて背伸びをした。尻尾を一振りし、首を左右に振る。ポニーテイルの髪が跳ねた。 ヴィンセントとカラが笑みを消し、ローウェを見る。 「倒すって無理でしょ。こういうバケモノ相手にするのは」 クキィの指摘に、ローウェは頷いた。 「まあ、普通に考えれば無理だな。こいつらは超人の類だ。人が努力や知恵で行き着ける領域の外にいる。桁違いに強い。だが……」 にやりと、その口元に笑みが浮かぶ。 「次元が違うというほどでもない。頑張ればまだどうにかできるレベルだ」 「えっと……」 何と言っていいか分からず、クキィはローウェを見る。ヴィンセントとカラが規格外な相手と認めながら、それでも退ける気のようだった。勝てる理由は見当も付かないが、勝算があるらしい。 「タレット。人呼んで来い」 「先生、できるだけ穏便にお願いします……。ここ病院ですよ」 顔を引きつらせ、タレットが言い返す。 「善処してみる」 答えながら、ローウェが小指から手を握り込みんでいた。全身から炎のように赤い輝きが燃え上がる。高密度の妖力だった。もしかしたらこのような自体になることを予想して、人気の無いこの部屋で休憩をしたのかもしれない。 それでも十二分に傍迷惑な事だが。 タレットがため息をついて、部屋を出て行く。 ヴィンセントとカラはそちらを一瞥もせず、ローウェを見ていた。 一秒、二秒、三秒と時間が経過し。 ドッ。 部屋の空気が爆ぜる。 「!」 砕けた窓ガラスと一直線に引き裂かれた庭園。辛うじて視界に引っかかるほどの速度である。ローウェの拳がカラの顔面に突き刺さるのが、一瞬だけ視界に映った。飛び掛かってきたカラを真正面からカウンターで殴り飛ばす。さながら拳の砲撃だ。 土が石が芝生が木が、削られたように舞い上がる。 ゴッ。 割れたガラスが落ちきるより早く、爆音が響いた。 壁に開いた大きな穴。ローウェがヴィンセントの顔面を蹴り抜き、その身体を外まで吹き飛ばしていた。黒い姿が一瞬で消えている。 攻撃が終わるまで本の二、三秒。 「ちょっと――」 ソファの陰に避難しながら、クキィは尻尾を縮込ませてローウェを見る。 全身を包む妖力の赤い輝き。身体強化に特性を絞っているようだ。タレットのように術の才能が無いから妖術で特性を絞ったわけではなく、得意分野をさらに特化させるために妖術を選んだのだろう。 「これでも足りないくらいだ」 ローウェが右手の親指を下の牙に引っかけた。そのまま、親指で牙を押す。 ズン……! 鈍い衝撃が空気を揺らした。ローウェの纏う妖力が密度を増し、勢いも増す。 限開式という言葉をクキィは記憶の隅から引っ張り出した。無理矢理術の許容量を広げて、限界以上の力を引き出す技術である。無論、負担は効果に見合って大きい。 「あいつらの目的は私だろう。人が人の枠を越える力は、君が考えているより多く存在している。現に私もその力をひとつ持っている。あいつらはそれを排除したいようだ。その気持ちは分かる。重要な会議に無駄に人を増やすのは迷走の元だ」 説明しながら、両手を胸の前で組んだ。指と手首を曲げ、印を結ぶ。 音もなく。 何もない虚空から一振りの大刀が現われた。 ローウェはそれを右手で掴む。刃渡り一メートルはある四角い片刃。身幅は二十センチほど。それに布を巻いた木の柄が取り付けられている。喩えるなら、巨大なスイカ切り包丁のような見た目だ。刀身にはあちこち傷があり、刃先も所々欠けている。かなり使い込まれているようだった。 「だからといって、こいつを渡してやる義理はない」 大刀を持ち上げ、笑うローウェ。その大刀が人の枠を越える力らしい。 切り裂かれた庭園を、カラが歩いてくる。思い切り殴られたというのに目に見えるダメージはないようだ。信じられないことだが、納得もできる。 「ウン・ティーア……」 呟きながら、カラは腰に巻いていた帯を取った。 「……何?」 続けて起った変化に、クキィは息を呑んだ。 カラの身体が大きくなっていく。身長が伸び、手足が伸び、体格も変わっていく。子供から大人へと。人が数秒で大人に変化するのは不可思議な光景だった。大きかったワンピースが身体に合ったものになる。身体を成長させたのか、元に戻ったのか、クキィには判断できなかった。 外した帯を腰に巻き直し、カラは捲っていた袖を直した。 「こっそりと盗み取るつもりだったけど、そうはさせてくれないようね。なら力尽くで奪い取るしかない。その力は放置していいものではないわ」 金色の眼をローウェに向ける。今までの子供っぽい口調は消え、大人びいた雰囲気を纏っていた。力も相応に強化されているのだろう。 壁の穴からヴィンセントが入ってくる。 「これがあなたの決断ならば、死んでも恨まないで下さい」 右腕が黒い霧のように溶けていた。肩や脚なども煙が立ち上るように黒い霧へと変化を始めている。こちらもクキィの知らない高度な術なのだろう。術を越えた力なのかもしれない。 とにかく理解しがたい現象だった。 霧の一部が固まり、鍵刃の付いた槍を作り上げる。 ヴィンセントがその槍を左手で掴み、一振りした。 「クキィ、下がっていろ。巻き込まれたら死ぬぞ」 大刀を肩に担ぎ、ローウェが無責任に言ってくる。 |
妖術・身体能力強化 ローウェが扱う妖術。身体機能を単純に強化する。 限開式 妖力の許容量を無理矢理広げる術。一時的に普段の数倍の力を出せるようになるが、反動は大きい。 |
12/8/2 |