Index Top 第8話 科学都市フィジク |
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第4章 ここに来た理由 |
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石造りの白い壁と柱。床は白い石畳。無機質で直線的な作りだ。 フィジクの片隅にある月の教会の廊下を、リアとガルガスが歩いている。リアは右手に教杖を持ち、左手にトランクを提げていた。ルート市での一件についてガルガスの話しを聞き終わった後である。 「そういえば」 リアは隣を歩くガルガスに目を向けた。 カツカツと石突きが床を叩く音が規則的に辺りに響いている。靴音はない。足音を立てない靴と、足音を立てない歩き方。意識しているわけではないが、身体は自然とそう動いてしまう。 「何だ?」 目を向けてくるガルガス。 黒い髪の毛と黒い瞳。一見人間種族に見えて微妙に違う顔立ちと雰囲気だ。 「こうして、わたしと二人きりで話すのは久しぶりでしたね」 「そう言われてみるとそうかもしれない」 リアの言葉にガルガスが同意する。 周囲に人の気配はない。廊下にはリアの杖の音と、ガルガスの足音だけが響いている。クキィを連れて旅を初めてから一ヶ月半ほど。リアがこうしてガルガスと二人きりになるのは、初めてかもしれない。 「ガルガスさんは、何故わたしたちに協力してくれるのですか?」 リアは迷わず尋ねた。天気の話しでもするように。 丁寧に拭かれた窓から中庭の様子が見える。きれいに手入れのされた芝生に、大きさの違う月輪樹が三本植えられていた。 ガルガスもさらりと答える。 「友人を助けたいからだな」 「その友人とは誰の事でしょう?」 続けて訊く。 ガルガスが何故鍵の盟約に参加しているのか、リアにはわからなかった。何を考えているかわからないようで、その実非常に分かりやすい男である。だが、根っこの所は何も分からないのだ。それが引っかかっていた。 つまるところ、ガルガスは最終的に味方なのか敵なのか。 頭を掻きながら、ガルガスが目を逸らす。 「うーん、そこは秘密ということにしておいてほしい」 答える気はないようだった。 真に重要な事は表に出さない。当たり前と言えば当たり前すぎることだ。それを何の対価もなく教えて欲しいというのは、都合が良すぎるだろう。 「もしその友人を助ける事で世界が滅ぶとしても、あなたは友人を助けるのですか?」 「ああ、助ける」 リアの問いにガルガスは迷わず答えた。 「そうですか」 正面を向き、頷く。 近いように感じて遠い。それでありながらすぐ側にある。ガルガスを見ていて感じるのは奇妙な距離感だった。蜃気楼のような実体の薄さ。その不自然さにリアは気味の悪さを覚える。人智を越えたものを常人の感覚で計ろうとすれば、思考が追い付かないのは仕方のないことだが。 (ひとつくらい切り札は持っているべきでしょうね) 顔には出さず、リアはそう判断する。 味方にしてもいまひとつ頼りないが、敵に回せば極めて厄介な男だ。 問題はその切り札の作り方である。火器も術も通じず事実上の不死身で、逆に前に進む時はどんな障害をも突き破っていく。半ば冗談のような、自分の意志を貫き通す力。殺すにしろ退けるにしろ、まともな方法が一切通じない。 (その手段はおいおい考えるとして――) 「ところでな」 ガルガスが思いついたように口を開いた。 「はい?」 「そこにいると、ちょっと危ないぞ」 そう言って、無造作に腕を振る。 黒い袖に包まれた腕がリアの肩に触れた。そのままリアを後ろに動かす。多少押されたくらいでは体勢を崩さないよう鍛錬を積んでいるが、ガルガスの力は無駄に強かった。重機のアームのように。黄緑色の髪の毛が揺れる。 腕に押され、蹌踉めくようにリアは一歩退いた。 「!」 白刃が空を裂く。 何もない虚空からガルガスの首もと目掛けて。 ガルガスが腕を引き戻す。リアを後ろにどかしたその手で、閃く刃を払った。飛んでる羽虫を払うようにあっさりと。弾かれた刃が消える。 刃に切られたリアの髪の毛が一束、宙に散った。 ほんの一瞬で行われた、凄まじい速度の攻防。 (敵……!) 呼吸が止まるのを、リアは自覚した。もしガルガスが動いてなければ、リアは現われた刃に切り裂かれていただろう。正確には、刃の主はリアを目眩ましに使ってガルガスを攻撃しようとしていた。 床に落ちる黄緑色の髪の毛。 「いつから気付いていた?」 その声がどこから聞こえてくるのか分からなかった。 穏行系の術だろう。桁違いに強力な。 「五秒くらい前かな? よく隠れたものだ。全然分からなかったぞ」 ガルガスの口元に笑みが浮かぶ。 音もなく、廊下の景色が崩れた。術式の一端すら見せずに姿を現わす。距離は十メートルほどだろう。元々そこにいたのか移動したのかは不明だ。 男だった。 少なくとも男に見える。 身長はガルガスと同じで百八十センチほど。外見年齢二十代後半。首の後ろで縛った長い金髪に青い瞳。表情からは真面目さと冷静さが伺える。軍用コートのような白い服。襟元やカフスは黒い。灰色のズボンと黒い軍靴。軍人風の恰好だが、軍人ではないだろう。 その右手に直剣をぶら下げていた。刃渡り一メートルほどの両刃で装飾もない十字剣。柄の長さから両手剣と分かるが、男はそれを片手で持っていた。 青い眼でガルガスを見据えたまま、男が口を開く。 「私の名はジャック。お前の事は知っているが、お前と直接顔を合わせるのはこれが始めてだ。まあ、短い付き合いに――」 「断絶せよ、世界。阻め、虚空の境壁」 リアは聖文を唱えた。 空中から現れる六枚の透明な板。一見するとガラスに似ている。だが、その強度はガラスとは比較にならない。それが二メートル四方の立方体となってジャックを取り囲んだ。空間に干渉する防御障壁で相手を捕獲する方法。 腕の一振りで障壁が砕け散った。 「挨拶の途中に割り込むとは礼儀がなっていないな」 眉をひそめて、ジャックが呻く。 最上級法術を意にも介していない。何かしらの術を使ったかもしれないが、力の動きは見えず術式も見えなかった。ただ手で払うだけで術を壊したようにしか見えない。 「うん。挨拶中に仕掛けるのはマナー違反だ」 ガルガスがマイペースに頷いている。 リアは左手を動かした。トランクの取っ手のスイッチを押す。側面が開き、ライフルが現われた。そのストックを掴み持ち上げながら、グリップを握り射撃の体勢へと移る。安全装置を外し、トリガーに指をかけ―― 「やめておけ」 目の前に差し出されたガルガスの腕。 リアはトリガーから指を放した。通じないのだろう。 「それに」 ジャックがリアの持つライフルを見ている。呆れたように。 「そんなものは通じないが、豆鉄砲でも当たれば鬱陶しいことに変わりはない。別にお前を先に殺しても構わないのだがね、私は。あいつらほど優しくはないぞ?」 と、リアに向けられる視線。 殺気と呼べるものではない。道ばたに落ちている石ころを爪先で蹴転がすような、そんな感覚。ジャックにとってリアの存在はその程度なのだろう。 「やはりあの二人と同じ」 ジャックの青い瞳を見つめ返し、リアは呟く。 以前、セット峠の屋敷でガルガスの暗殺を行おうとした二人。 ヴィンセント・ヴィルベル。カラ・クライン。 あえなく返り討ちとなっていたが、二人の力は規格外だった。リア一人ではカラもヴィンセントも倒せない。ジャックの力はそのさらに上を行く。 「細かい事はどうでもいい」 リアを遮っていた腕を下ろし、ガルガスが両拳を打ち合わせる。 「お前が俺にケンカを売るっていうなら、喜んで買うぞ。ここ最近本気で暴れられる機会が少なくて退屈してたんだ。お前はなかなか強そうだし、殴り甲斐がある」 口元から牙のような犬歯が覗く。黒い瞳がぎらぎらと輝いていた。ご馳走を前にした獣のような悦び様。戦闘狂とは毛色が違うものの、ガルガスは強い相手と戦うことが何よりも好きだった。 「それに、面白い武器持ってきたみたいだしな!」 オモチャを見るように、ジャックが持つ剣を見る。 右手の剣を持ち上げ、ジャックがその切先をガルガスに向けた。銀色の刃が淡く輝く。術力も感じられない剣だが、ガルガスにもダメージを与える力を持っているらしい。 「改めて自己紹介をしよう」 青い瞳に冷徹な光が映った。凍り付くような殺気。 「私の名はジャック。成功するかどうかは怪しいが、お前を殺しに来た」 |
12/7/26 |