Index Top 第8話 科学都市フィジク

第6章 銀の弾丸


「はーっはァ!」
 振り抜かれた握り拳が、剣の刃を弾き返す。
 鋭利に研がれた刃先に拳を叩き付け、手には傷ひとつできていない。ジャックが払った剣を、ガルガスが殴り返す。さらに左手で剣身を掴んだ。
「くっ」
 ジャックは動きを止める。
 すかさずガルガスは拳を振り上げた。
 握り締められただけの拳。それをただ力任せにジャックの顎に叩き付ける。重心の移動や相手の急所などは考えていない。単純に相手をぶん殴る、そんな一撃だった。そして最大の特徴が冗談のような馬鹿力。
 顔を歪めジャックが宙を舞う。
 が。
「沈め」
 一言で世界が書き換わる。
 ガルガスの周囲の重力が数百倍に膨れ上がった。アスファルトが泥のように溶け、潰れた空気が爆風となって周囲に吹き抜ける。人の限界を遙かに超えた力。
「!」
 その超重力に晒され、ガルガスが動きを止める。
「奔れ」
 振り抜かれた剣が、ガルガスの側頭を薙ぎ払った。続けて胸に突きを二発。袈裟懸けに一撃、手首を返し腹を薙ぐ。だが、掠り傷すら付いていない。ダメージを受け付けない異様な頑強さ。理不尽なまでの耐久力。強度という言葉の意味を無視するような堅さだ。
「なるほど。確かに斬れる」
 それでもジャックは手応えを感じていた。
 ガルガスの拳が腹に突き刺さる。


 剣が振り抜かれるたび、拳が叩き付けられるたび、辺りの木々がなぎ倒され、土煙が舞い上がり、爆風が吹き抜ける。お互いに相手しか狙いを定めていない、規模の小さい攻撃の撃ち合いだ。それでも余波は凄まじい。
 教会の隣にある緑地公園が破壊されていく。
 ジャックが剣を突き出し、ガルガスが拳を叩き付ける。
「守りたまえ我らを、空の堅壁よ!」
 ヨジが教杖を掲げる。青い法衣を纏った五十歳ほどの妖霊族の男だ。フィジク市教会の司祭であり、腕の立つ法術士でもある。
 大量の法力が空中に広がり、巨大な壁を作り上げた。このような形で術を使うことはなかったのだろう。術式は少々粗っぽい。だがその力と規模は本物である。殴り合いを続けるジャックとガルガスを包むように、透明な壁が現われた。
 だが、それは余波の一撃で砕け散る。
「何が起っているというのですか、これは――!」
 息を荒げながら、ヨジが言ってきた。肩が上下に揺れ、顔には汗が浮かんでいる。かなり疲労しているようだ。総法力量は大きいが、許容量の限界まで何度も法力を引き出しているため、消耗は激しい。
「リア殿……」
 背広姿の人間が顔をしかめている。背広姿の厳つい老人だ。背広にはいくつも勲章を付けている。サイエン国陸軍のバイス中将。ガルガスの一件で事情聴取に来ていた。
「被害が出る前にあの二人を止められないのか? このままでは市民に被害が出る。これに巻き込まれたら、ケガどころではないぞ……! 少なくとも部隊が来るまで持ちこたえてくれ。後は我々が何とかする」
 ガルガスとジャックが決闘を初めてから、総出で周囲の一般人を避難させたため、今のところ人的被害は出ていない。しかし、このままでは済まないだろう。警察ではどうにもならず、バイスは止める気だがおそらく軍隊でも止めようがない。
(正面に飛び出していたら、既に死者が出てましたね)
 小銃を抱えたまま、リアは眉を下げた。
 ガルガスがジャックを隣の公園に放り投げたからこそ、まだ人的被害が出ていない。正面の道路に飛び出していたら、大惨事になっていた。本当に紙一重である。
「!」
 リアたち三人の顔が固まる。
 呼吸が止まるほどの圧力。ジャックが何か大きな力を使う気のようだった。
「燃えろ」
「神術・神の境界」
 リアは聖文を唱えた。
 燃え上がった赤い輝きが見えない壁に遮断される。ガルガスとジャックを囲むように作られた法力の結界。あらゆる攻撃を遮断する防御術。本来は内側を守るためのものだが、術式を組み替え二人を閉じ込めた。
 炸裂する業火に結界が軋み、消える。
「神聖法術……!」
 ヨジが息を呑む。
 術そのものの契約により得られる神聖法術。教会内でも使えるものは少ない。極めて高い効果に加え、予備動作も無く即座に発動できる速効性もある。当然、それに見合った対価がある。法力の消耗だけではなく、生命力そのものを大きく削る。
 リアの頬を汗が流れ落ちた。視界が少し霞んでいる。
 呼吸を整えながら、リアは前へと進んだ。
「彼らに私たちの力は届かないんです。銃も効かないし、術も通じない。神聖法術を使っても動きを止めるのが限度でしょう」
 小銃から弾倉を外し、一番上のひとつを抜き取る。
 リアは弾倉を右手で移し、左手を帽子の裏側に差し込んだ。水色の平たい円筒形の帽子。その裏地から銃弾をひとつ取り出す。通常規格の銀色の弾丸。その弾丸を弾倉の一番上に差し込み、弾倉を取り付ける。
 レバーを引き、薬室に弾倉を装填。
「でも、止めるくらいはできるんですよね」
 静かに決意し、リアは駆け出した。
 右手に小銃を左手に教杖を持ち、戦場へと向かう。
「どこへ!」
「近くでないと当てられませんから」
 叫ぶバイスに、リアは答えた。
 砕けた土砂を飛び越え、二人へと近付く。剣と拳での迫撃戦。ジャックが放つ術らしき力も基本的にガルガスだけしか狙っていない。破壊の規模自体は大きくない。もっとも、密度が凄まじく余波も馬鹿にならない。
 リアは息を止め、目を見開く。
 熱く焼けた空気。炭化した木や草。
 遊歩道の上で、剣と拳で殴り合う黒い男と白い男。
「神術・沈め永久の夢」
 教杖を振り上げ、リアは聖文を唱える。
 総量の二割ほどの法力が身体から引き剥がされ、同じく生命力も剥ぎ取られる。他の術とは比べものにならない消耗だ。事が済んだ後は数日の入院は避けられない。だが、今それを心配する必要はない。
 リアは教杖を手放し、小銃を構えた。ストックを肩に当てて頬を密着させ、左手でハンドガードを支える。右目で照準器を覗き込み、トリガーに指をかける。
 地面に描かれる光の円陣。その中にいくつもの三角形や四角形が画かれる。時計を思わせるような法術陣だった。大地が揺れ、大気が唸る。本来は危険な魔獣などをその場に封印するためのものだ。
 法術陣から突き出す光の帯が、ジャックへと絡み付いた。
「鬱陶しい!」
 ジャックが咆える。
 絡まった光の帯を引き千切ろうと、腕を振る。
 その直前に。
 パンッ。
 小さな銃声が響いた。
 火薬の破裂により撃ち出される弾丸。初速は秒速七百メートル以上にも達する。撃ち出されてから反応できるものではない。
 銀の弾丸が、ジャックの胸に突き刺さった。
「………!」
 青い瞳がリアに向けられる。驚いたような、感心したような、そんな顔だった。普通の弾丸ならば通じなかっただろう。攻性法術を仕込んでいようと結果は変わらない。
 だがこの弾丸は特別だった。
「ごふっ」
 ジャックの口から血が吐き出される。
 腕の一振りで神聖法術を壊し、ジャックは胸を押えて数歩後退した。
 押えた胸に血が滲んでいる。
「リア。こいつは俺の獲物だ!」
 ガルガスが人差し指を向けてくる。
 リアはきっぱりと叫び返した。
「これ以上被害を広げないで下さい!」
「むぅ」
 指を引っ込め、ガルガスが周囲を眺める。
 捲れ上がった地面や折れた木々、レンガ敷きの遊歩道は粉々に砕けている。焼けた木から立ち上る煙。高熱を帯びた空気に肌が痛い。所々に割れた氷の柱や石の塊などが佇んでいる。ガルガスの動きを止めるために放たれたのだろう。
 その攻撃を打ち合い、ガルガスは無傷だった。
(いえ……)
 ダメージを受けている。
 目に見える傷はなく、様子も普段と変わらない。だが、無傷ではない。ガルガスは消耗している。リアはうっすらとその事実を認識した。不死身と思っていたが、完全な不死身でもないようである。胸に浮かぶ安心と不安。
「なるほど。あいつらの槍か。よくやったと褒めておこう」
 口元の血を舐め取り、ジャックが背筋を伸ばす。
 リアは倒れた教杖を掴み上げた。
 リアの弾丸には以前ヴィンセントが使っていた槍の破片が仕込まれていた。ほんの小さな破片を盗み取っていたのである。ガルガスを殺すために用意された武器ならば、ジャックにも効くと考えたのだ。そして、実際に効いた。
「これでは勝ち目が無いな。引かせてもらう」
 左手に現われた白い鞘に、ジャックは剣を収める。
 そして、その場から跡形もなく消えた。

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守りたまえ我らを、空の堅壁よ
広範囲に防御壁を作り出す法術。火災などから建物や人を守るために使われる。

12/8/9