Index Top 第8話 科学都市フィジク |
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第3章 最強の天才ローウェ |
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「ウィール大学旧史学部学部長」 車の助手席に座り、クキィは運転席に座るローウェを眺めていた。 高級そうなスーツを着こなした、体格のよい老獣人。クキィりも二回りは太い手でハンドルを握っている。茶色の瞳に映る炎のような意志の輝き。長い髪をポニーテイルに縛り、髪の結び目に銀色のカンザシを二本差している。 クキィは膝に乗せた尻尾の先を手で撫でた。車内は決して狭い訳ではない。しかし、ローウェの静かな迫力が空間を圧縮させている。 「つまり、おじさんの上司……?」 訊いてみる。 ローウェの所有する赤い高級車。電気自動車らしく、エンジン音も無く非常に静かだ。運転席の背もたれには尻尾を収めるための凹みが作られている。助手席には尻尾用の凹みが無いので、クキィは尻尾を膝に置いていた。 ローウェはちらりとクキィに目を向ける。 「そういうことになるかな? まあ、上司というよりは師弟と言った方が正しいかな。あやつが若かった頃に学問のいろはと礼儀作法を叩き込んだ」 口元から覗く白い犬歯。およそ学者とは思えない迫力だった。 心持ち身体を遠ざけながら、クキィは尋ねる。 「礼儀作法?」 「今でこそ常識人だが、昔のあやつはかなり性格に問題があった。自分の才能を鼻にかけて露骨に周囲を見下すようなヤツだったよ。あのままだったから、完全に性根が腐って取り返しの付かない事になっていただろう」 懐かしむようにローウェが目を細めた。 クキィはタレットの姿を思い浮かべる。飄々とした態度のおじさん。今の姿から想像も付かないほどに昔は荒んでいたらしい。 にっと笑い、ローウェがハンドルから左手を放した。 その手を握り締める。石のような拳だ。 「だから手っ取り早くその鼻っ柱をへし折ってやった。それからこの拳で直接礼儀作法を叩き込んでやったさ。かなりの荒療治だったけど、おおむね更正はしている」 「そうなの……」 曖昧にクキィは頷く。 常識というものは壊されるためにあるのかもしれない。そんな事を思う。学者とは知的で冷静なものだと、クキィは今まで考えていた。しかし、想像以上に過激な世界らしい。天才の世界は常人の想像が追い付かないのだろう。 このまま昔話を聞いていたら、それだけで動けなくなりそうである。 クキィはカーナビのモニタを指差した。 「これからどこに行くの? 科学技術連盟本部じゃないみたいだけど」 モニタに表示された街の地図。整然と整備された区画が映っている。モニタ内に大学や連盟の建物は表示されていない。画面の外に続く道路の横に、ウィール大学や科学技術連盟本部、市庁舎などの文字が示されている。そのため、どの道をどこに向かえば大きな施設に着くか分かるようになっていた。 ローウェの運転する車はそれらから逆の方向へと進んでいる。 「フィジク中央病院だ」 ローウェがモニタに指を触れさせた。画面が切り替わり、目的地が表示される。病院や医療関係の施設が並ぶ場所だった。 「君を検査したい。身長や体重から血液検査、CTスキャン、心電図、脳波計測、その他諸々。詳細な身体データが欲しいんだ。大袈裟な健康診断だと思ってくれればいい」 「あたしって本当に鍵人なのかしら?」 今まで何度も考えた疑問。 ブレーキが踏まれ車が減速して止まる。正面の信号が赤に変わっていた。身体に掛かる加速度は小さい。ローウェの運転が丁寧なのか、そのような仕組みが車にあるのかはわからなかった。おそらく後者だろう。 ローウェが視線を下げる。 「分からない。なにぶん鍵人として推定された人物は君が初めてなのだ……。積極的に肯定する材料も、否定する材料も存在しない。多くの者は君が鍵人であることを疑っている。だが、完全に否定する根拠もない。そんな微妙な位置に君は立っている」 その答えは何度も言われてきたことであり、クキィ自身が予想していたものだった。鍵人かもしれないし、違うかもしれない。それ以上の答えようがないのだろう。 「面倒臭いわね」 ヒゲを撫で、呻く。 窓の外に見える風景は、さきほどから変わらないように見えた。古風な石造りの建物と近代的な白い建物が並ぶ町並み。この辺りは住宅が多いらしい。 「でも、あたしが本当に鍵人だったら、何をすればいいのかしらね?」 信号が青に変わる。 ローウェがアクセルを踏み、車が走り出した。 「世界を救う手助け……かな?」 「へ?」 告げられた言葉に、クキィは思わずローウェを見る。 冗談かと思ったがそうではないらしい。ローウェは正面を向いたまま、あくまで真面目な顔を見せていた。微かに眉を寄せる。 「あくまで推測の話、明確な証拠があるわけではない……」 そう前置きしてから、続けた。 「おそらく……千数百年後に、この世界は消える。その消滅を止めるために動いている者たちがいる。もし君が鍵人で世界の扉を開けることができたなら、その者たちの助けになるかもしれない。もしくは、大きな障害を生み出すかもしれない」 感情のこもらない淡々とした声音で、そう話す。 世界の消滅。 普通に聞いたなら荒唐無稽な話として聞き流した。現実味が無く、ただの与太話にしか聞こえない。ローウェ本人も半信半疑のようだった。しかし、作り話や出鱈目と斬り捨てているわけではない。何かあるらしい。 「規模が大きすぎて、もう信じていいのか分からない話ね」 クキィは額を押えて目を閉じた。 静かな車内。電気自動車であるためエンジン音は聞こえず、振動も少ない。外の音もあまり聞こえない。音楽もかかっていないため、ひどく静かだった。これが現実かふと不安になるくらいに。 「私もそう思う」 苦笑いとともに、ローウェが同意する。 「ただ、人智を越えた連中は少ないながらも、この世に存在している」 「ガルガスの事?」 クキィは率直にその名を口にした。 ガルガス・ディ・ヴァイオン。 真っ先の思い浮んだのが、その男だった。見た目は人間の男であるが、その実最も人外の力を持つ。素性も不明で、考えている事もよく分からない。 「おおむねそうだ。真なる人外……」 ローウェが頷く。 またひとつ、ガルガスの異名が増えた。クキィは呆れ気分で心のメモ帳にその名を付け加える。全てが終わる頃にはどれくらい増えるのだろうか。 「今回の鍵人条約では、君を押えると同時に、あの男を押えるという目的もある。あいつは世界の根幹に関わるような事件に多く関わっている……。それでありながら、目的が読めない。まるでその場の好奇心だけで行動しているような有様だ」 ガルガスの行動を思い返してみる。派手な行動を取ることが多いが、そこに大局的な目的があるようには感じられない。世界の存亡や秘密、仕組み。ローウェたちが心配しているような事には興味が無いのだろう。 「ガルガスって何者なのかしら?」 そんな疑問。 リアに訊いてもタレットに訊いても、ガルガス本人に訊いても納得の行く答えは返ってこなかった。だが、ある程度の推測はできる。何らかの手段で術よりも遙かに強い力を手に入れたものとクキィは考えていた。 「あの男は、扉の向こう側に触れたと言われる。非常に強いレベルでな」 あっさりとローウェは言った。 封印の扉。その奥にあると言われる世界の鍵。世界の構造を変えてしまうようなものらしい。それに触れたと言われるディスペアは、人外の力を持っていた。桁違いの身体能力といくら身体を破壊されても瞬時に再生する不死性。 「あたしが本当に鍵人だったら、最終的にはあいつみたいになっちゃうってこと? それはなんか嫌ね」 単純に感想を述べる。 ローウェが小さく笑った。 すぐにその笑みを引っ込め、 「そして……問題がひとつ出てきた」 声が堅くなる。 一度口を閉じ、視線を泳がせるローウェ。続きを言うべきか言わざるべきか迷っているようだった。クキィに言っても事態が変わるとは考えられないからだろう。 数秒迷ってから、ローウェは口を動かした。 「最近になって、あの男を抹殺しようとする者が現われた。君も会っているだろう?」 「ヴィンセント・ヴィルベル、カラ・クライン……」 セット峠の屋敷にてガルガスを襲った二人。ガルガスを殺そうとしたが、あえなく返り討ちにあっていた。だが、本気で殺しに掛かっていたようにも思えなかった。あくまでも調査のために戦った。そんな様子が伺い知れる。 つまり、まだ本命は出していない。 「少し厄介な事になってるかもしれない」 ローウェが親指の爪を噛んだ。 クキィに視線を向け、 「君の身の安全は、月の教会と科学技術連盟が守る……いや、最大限努力はする。それでも無理だったなら、すまない」 「………」 クキィは何も言えず乾いた笑みを返した。 |
12/7/18 |