Index Top 第8話 科学都市フィジク

第2話 聞いて驚け


「こんにちは。あなたがクキィ・カラッシュさんですか?」
 不意にそんな言葉を掛けられ、クキィは声の主を見た。
 若い女だった。種族は人間で、年齢は二十代半ばくらいだろう。クキィよりも背は低い。どこか幼い印象を受ける。背中の中程まで伸ばした亜麻色の髪、水色の上着と白いスカートという落ち着いた出立だ。静かに微笑み、クキィを見つめている。
 敵意などは感じられない。
「そうだけど……」
 少し警戒しながらも、クキィは頷いた。
 ウィール大学第十五駐車場と書かれた看板。停まっている車は少ない。大学の施設から離れているため、あまり使われない駐車場らしい。灰色のアスファルトとあちこちに植えられた街路樹の緑、空の青と雲の白。
「あなた、誰?」
 続けて訊く。
 クキィは停められたキャンピングカーの傍らに立っていた。足元には手荷物の入った鞄が置かれている。リアとタレットは荷物の整理をしている。クキィの立っている反対側だ。ガルガスもそちらにいる。
「あ。はじめまして。わたし、タレットの妻のカッター=コレットと言います」
 女がそう答え、頭を下げる。
 一拍の沈黙。
「妻……?」
 予想外の言葉にクキィは瞬きをした。緩慢になっていく思考。頭の中で薄い辞書を開き、その意味を引っ張り出す。男と結婚している女を示す言葉だ。
「よう、来てたのか。出迎えに来なくてもこっちから行ったのに」
 振り向くと、タレットが車の陰から出てきたところだった。右手に銀色のアタッシュケースを提げている。コレットを見つめ、驚いたように眉毛を持ち上げていた。
 右手を頬に添え、コレットが笑う。
「待ち遠しくて来ちゃいました」
「でも迎えに来てくれてありがとよ。お前も変わってないようで安心した」
 右手を上げ、タレットが答えた。
 尻尾を下ろし、クキィはタレットに向き直る。
「おじさん、結婚してたんだ……。てっきり独身とばかり思ってたけど……。そういう様子全然見せてなかったし。もしかして、あたしを驚かせるために黙ってた」
「はっはっ」
 灰色の髪を掻き上げるタレット。
 その反応をクキィは肯定と受け止めた。自分が結婚していることを隠す必要はない。だが、タレットは今まで独身であるかのように振舞っていた。クキィを驚かせる――ただそれだけのために。
「やっぱり言ってなかったんですね、この人は……。驚かせてすみません」
 困ったように眉を寄せ、コレットが謝る。
 額を押え、クキィは尻尾を曲げた。
 腕組みをして得意げに笑っているタレット。眼鏡の縁が薄く光り、風に白衣の裾がなびいている。期待通りの反応を見せたことに満足しているようだった。
 気配を感じ、クキィは視線を動かした。
 キャンピングカーの陰から現われたリアとガルガス。リアはライフルを隠した大きな鞄を持っている。ガルガスは手ぶらだった。
「あんたたちは知ってたの?」
 クキィの問いに、リアが苦笑いとともに頷く。
「一応は。打ち合わせの時に挨拶もしましたし」
 目を逸らして、そう答えた。呆れたような困ったような、そんな顔である。タレットが結婚していることは知っていたが、あえて黙っていたようだ。タレットからその話をしなかったので、する機会が無かったのかもしれない。
「話は聞いていた。会うのは初めてだ」
 とガルガス。
 コレットに向かって軽く手を挙げる。
「俺はガルガスだ。よろしく」
「カッター=コレットです。はじめまして」
 一礼するコレット。
 タレットが口を開く。
「こいつと出会ったのは三十一の時だったな。オレも生涯独身で学者すると思ってたんだけどな。結婚する気も無かったし。でも、まあ……運命の出会いってやつよ。こいつと出会ってから一年後に結婚して、今は娘と息子がいる」
「ん?」
 クキィは眉を寄せてヒゲを撫でた。
 意識すべきでないと思いつつも、頭は勝手にタレットの言葉を計算してしまう。そこから生まれる違和感。その正体を探るように、コレットを見る。
 二十代半ばくらいだろう。別種族の年齢を読むのは難しいが、クキィは人間の多い場所で育ったため、人間の年齢は大体分かる。
「失礼だけど、何歳?」
「二十六ですよ」
 あっさりと、コレットはそう答えた。
「え?」
 頭の中で何かが崩れた気がする。
 この反応もタレットの期待通りなのだろう。意識のどこかでそう考えるが、それよりも驚きの方が先にあった。クキィの中にあった常識をひとつ破壊するほどの衝撃。
 クキィはタレットに目を向けながら、
「ちょっと待って……。おじさん今四十二歳よね? で、コレットさんと出会ったのが三十一の時で一年後に結婚って……三十二歳。で、差分は十年だから、コレットさんが今二十六だから十年前は十六歳で……」
 指を動かし計算する。
 実に満足げな顔で、タレットは頷いた。
「自分の半分の歳の娘を騙くらかしたって騒ぎになったわな」
「色々大変でしたね」
 頬に手を当て、コレットが懐かしそうに笑っている。
 大きくため息をつき、クキィはタレットを見つめた。
「犯罪でしょ、それ。なんか色々と……。今のあたしより年下じゃない」
 一応この国では男女ともに十六歳で結婚はできるらしい。だが、実際にその年齢で結婚することはないだろう。何もない田舎ならともかく、この街のように設備が整った場所なら結婚時期は遅くなる。
 だが、タレットは十六歳のコレットと結婚していた。
「愛があれば万事オッケイ、とか言うだろ」
 眼鏡を指で動かし、胸を張って宣言するタレット。
「人と人との付き合いは相性ですし、年齢が遠いことはあまり関係ありませんよ」
 コレットが付け加える。
 何も言えずに、クキィは肩を落とした。耳と尻尾が力無く垂れる。
「おじさんって凄い人だったのね――」
 口から出た言葉はそれだった。
「当たり前だろ?」
 勝ち誇った顔で言ってくる。
 その態度に苛立ちや呆れを感じることもない。心の折れる音に、クキィは目を閉じる。それは敗北だった。何の勝負をしていたのかも分からないが、とにかく負けである。足掻く余地すらない、圧倒的な敗北だった。
 目を開けて空を見上げる。街中の空だというのに、ひどく高く見えた。
 放心するクキィに、タレットが声を掛ける。
「じゃ、オレたちはいちゃいちゃしに行くから、お前とはここでお別れだ」
 いつの間にかコレットの横に移動し、肩に手を回してる。片目を瞑って白い歯を見せていた。行き先は科学技術連盟だろう。
「それではわたしたちは教会に行ってきます」
 リアが言った。その横にはガルガスが立っている。
 息を吸い込み、クキィは背筋を伸ばした。
「あんたも教会?」
「今回は向こうに呼ばれている。こないだのレイスの一件で話があるらしい。教会は堅苦しいから好きじゃないんだが、呼ばれたものは仕方ない」
 ガルガスはそう答えた。
「そう」
 クキィは腕組みをして考える。
 イコール市での騒動。セインツと呼ばれる亡霊をレイスとディスペアとともに倒した。ガルガスはセインツについて何か知っているのだろう。レイスはそんな口振りだった。丁度良い機会として、その情報を聞き出すつもりかもしれない。
「じゃ、あたしはどうなるの? 自由行動していいの?」
 自分を指差し、クキィは尋ねる。
 立場上あまり一人では出歩かせてもらえない。どこかに行く時は大抵誰かが一緒だ。自由行動ができるなら、それに越した事はない。
「君は、私と一緒に来てもらう」
「……」
 聞こえた声に、クキィは振り向いた。嫌な予感を覚えつつ。
 そこに立っていたのは、獣人族の女だった。
「タレットから聞いているかな? 私はローウェ・ロックエル。よろしく」
 狐型で三角形の耳と大きな尻尾が目立つ。身長は百八十センチ近い。緋色のスーツとスラックスを纏い、丸い眼鏡を掛けていた。長い髪をポニーテイルに縛っている。髪の結び目に刺した銀色の簪が二本。
 その年齢は六十歳を過ぎているだろう。髪の毛や被毛は随分と色褪せている。だが、年齢を感じさせないほどに屈強な体格だった。まるで丸太か岩のように。獣人族である事を差し引いても、非常識な体躯である。
「最強の天才って……」
 タレットの言っていた言葉を、クキィは理解した。
 そのままの意味だったようである。

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12/7/12