Index Top 第6話 赤き教士 |
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第8章 まとめて後始末 |
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「………」 応接室のソファに座ったまま、フィルタは目を閉じた。 訳が分からない。理解できない。 高級な背広に身を包んだ、六十過ぎの人間の男。イコール市で歓楽産業を取り仕切るスラッジ社の会長だった。平たく言ってしまえばマフィアの頭目だが、見た目は品の良い老人である。どこの業界でも見た目は大事だった。 閉じていた目を開け、フィルタは正面を見る。 「つまり、取引というものです」 正面のソファに座る三人組。白衣を着た人間の男、赤い長衣を着た人間の男、最後に水色の聖職衣を纏った妖霊族の女だった。 「あなたは今回の一件について以降追求しない。我々も例の宝石を回収する事に留まる。それで、手打ち。お互いのためと思います」 白衣の男が、両腕を広げてそう言ってくる。カッター=タレット。ウィール大学の天才として有名な男だ。何故ここにいるのかは解らないが。 「妥当な取引でしょう。もし、あなたが件の宝石を所持していたら、既にこの世にはいない可能性が高いです。そうなるのも困るわけですが」 続きを口にしたのは、妖霊族の女だ。大人しそうな顔をしているが、幾多の修羅場をくぐったのだろう。若いながらも妙な落ち着きがある。 「件の現金貴金属宝石類は、ボクが教会に寄進しておくので、よろしく」 突き抜けた笑顔で締めくくったのは、赤い服を着た男だ。本社に侵入し、現金から貴金属、機密情報まで盗んでいった男である。正確には窃盗団のしんがり。盗品の都合上表には出せず、なおかつ組織の面子にも傷が付いたため、私的に色々探していた。それが向こうからやってきた。 「何だこれは……」 会社を根こそぎぶっ潰して、フィルタ含む上層部全員刑務所か行方不明になりたくなかったら、無条件で見逃せという無茶苦茶な条件を持って。言われた時は耳を疑ったが、太陽の教会、月の教会、政府、警察、軍、大手企業、その他が本当に動いていた。 フィルタが断れば、本当に何もかもが終わる。 この世には絶対に踏み込んではならない禁忌がある。社会の裏表どころではない、人智の外にある領域。不運にもフィルタはそこに片足を突っ込んでしまったのだ。 「外道か、貴様らは……!」 悪あがきのつもりで、三人を睨み付ける。 「太陽の神の教徒さ」 「月の神の教徒ですよ」 「超天才科学者!」 何故か自身満々な答えが返ってきた。 例の一件から三日。世間ではテロだ事故だと大騒ぎになっている。市営グラウンドが丸ごと潰されていれば当然だ。表向きは事故ということになっているらしい。 椅子に座り、クキィは正面の男を眺めた。紅茶の香りが鼻をくすぐる。 「何しに行ってたの?」 翌日、リアとレイスは入院、即日に法術治療でほぼ動けるようになった。それから三日後、つまり今日の朝方、三人でスラッジカンパニーまで出掛けて行き、帰ってきた。リアとタレットはどこかに行ってしまったが、レイスだけは部屋に居残っている。 「交渉」 黒い瞳に煌めきを灯し、レイスは宣言した。一切の疑問が無いとばかりに。 テーブルに置かれたブラックコーヒーが湯気を立てている。 「脅迫の間違いじゃないかしら?」 目蓋を半分下ろし、クキィは言ってみた。 「交渉だよ。人聞きの悪い事を言うな。相手に条件を提示し、相手も条件を提示して、お互いの合意の上で結論を出す。実に理性的な行いじゃないか?」 レイスは砂糖瓶を蓋を開けながら、爽やかに言い切る。 無理難題をふっかけ、有無を言わさず呑ませたのだろう。脅迫とすら言えないような強制。背景で動いている組織を見れば、一都市の一会社に抵抗する術はない。 それでも、レイスにとっては表向きの事後処理程度でしかないようだった。レイスの本来の仕事は、黒曜石の回収である。 「いいけどね」 頬杖を突き、クキィは横を向いた。 「難しく考えることはないよ」 レイスはどばどばと瓶の中身を全てコーヒーに入れ、スプーンでかき混ぜている。溶けきれない砂糖が、砂のような音を立てていた。コップ一杯のコーヒーに同量の砂糖を入れる、本人曰く特製。コーヒー味の砂糖湯と呼んだ方が正しいかもしれない。 コーヒーを啜り、レイスが満足げに吐息する。 「はぁ。身体に力が染み込むようだよ。疲れた身体には、これが利く」 「身体に悪そうだけど、大丈夫?」 尻尾を動かしながら、クキィは胡乱げにコップを見る。 左手でコップを持ち、レイスは右手で自分の顎を撫でた。 「コーヒーのカフェインと糖分を同時に摂取できるなかなか素晴らしい飲み物だ。最近、適量の塩を入れようと考えているのだけど、どうしても味がおかしくなる」 眉根を寄せている。 「今でも十分おかしいわよ」 投げやりに、クキィは告げた。 清潔なホテルの一室。きれいな壁と清潔なカーペット、少し開いた窓から穏やかな風が流れ込んでくる。窓の外には、晴れた空があった。リアとタレットは、それぞれ月の教会と聯盟支部に出掛けている。ガルガスは散歩と言ってどこかに出歩いている。 クキィはレイスに目を向け、口を開いた。 「昨日の一件、説明してくれてもいいんじゃない?」 コーヒーを飲み干し、レイスはコップをテーブルに置いた。唇を舐め、隣の椅子に立て掛けてある教杖を眺める。どう答えるか考えているようだった。 クキィに向き直り、口を開く。 「ゲート計画ってのは知っているね? 君はディスペアと知合いのようだから、何かしらの話は聞かされていると思うけど」 「少しはね」 短く答える。 大昔、封印の扉の奥から力の一端を取り出す計画があり、ディスペアはその計画を経て超人に変化した。計画はその後消滅したらしい。その際に関係者全員が惨殺されたとも言われている。 クキィが知っているのはこの程度だ。 「あの幽霊、何者?」 霞か煙を集めたような幽霊の男。ディスペアが話していた、黒曜石を狙う者。瀕死のレイスから黒曜石を奪い取ろうとしたが、失敗して返り討ちにあい消滅した。 「セインツと言われている。幽霊ではなく、精神体だよ。幽霊よりも濃い存在だ。肉体を捨て、精神だけで存在している者は、少なからず存在している」 声を抑え、レイスがそう言った。普段の気の抜けた態度は消え、真面目な表情を見せている。やや不安の浮かぶ面持ちで、続ける。 「アレは黒曜石の力を吸収して強くなるらしい」 「でも、あの時殺したわよね? 幽霊を殺すってのもおかしな話しだけど、きっちりトドメまで刺してたみたいだし。また出てくるみたいな言い方だけど」 クキィは両手を広げた。 レイスの攻撃法術で焼き尽くし、逃げようとした破片をディスペアの取り出した剣が貫き、消滅させた。セインツはあの時、レイスとディスペアがきっちり殺している。 なのに、レイスはまだセインツを恐れているように見えた。 「あいつが殺されたのは、ボクが知る限り十二回。同じ個体がいくつもいるのか、本当に復活しているのかまでは分からないよ。今は仕留めたけど、また現れるだろう」 その話にクキィは額を押さえ、耳を伏せた。 死んでも死ねない。それはセインツが口にした言葉だった。死人は死んでいろというディスペアの言葉に、嘲りと妬みと恨みを込めて。 「あと、ディスペアの持っていた剣だね」 思い出したようにレイスが口にする。 ディスペアが突如取り出した大剣。銀色の柄に、刃渡り百四十センチはある長大なガラスの剣。柄も含めれば大人の背丈ほどもあっただろう。その一突きで、セインツの欠片を破壊した。 「硝子の剣。ゲート計画の副産物と聞く」 レイスが説明する。 「そして、黒曜石は硝子の剣と対をなすものだ。それを狙うセインツは、ゲート計画の関係者ではないかと推測されているよ。ディスペアと同様、封印の扉の奥の力を取り込んだ者とも言われる。……憶測の域を出ないけどね」 そこまで言ってから、 「ゲート計画関係はディスペアに訊くのが最善なのだろうけど、彼は答えないだろう」 そう呟いて、ため息を付く。 セインツの消滅を確認してから、ディスペアは姿を消した。それから会っていない。ディスペアの真の目的は、ゲート計画で生まれた危険因子を排除することだろう。傭兵や殺し屋としての仕事はおそらく副業だ。 あくまで推測であるが。 「セインツか……」 微かにレイスが声を曇らせた。 「君のところに現れることは無いだろうけど、現れたらガルガスに何とかしてもらってほしい。彼はバケモノでも何でも倒せる」 窓の外を見るレイス。 幽霊を素手でぶん殴り、空間切断の刃を素手で受け止め、レイスの大法術に巻き込まれても傷ひとつない。その非常識さにはもう慣れてしまった。ガルガスならば、どんな怪物だろうとバケモノだろうと、自身の不条理で倒してしまうだろう。 そういう意味では、非常に頼もしい男である。 その説得力が薄いのが欠点であるが。 「あいつ、何者なの?」 「僕はイレギュラーと考えているよ。この世界の法則から外れた、異端分子さ」 レイスは楽しそうに笑っている。ガルガスの二つ名、歩き回る不条理、徘徊する混沌、イレギュラー。呼び方は多いが、微妙に適当な名付け方に思える。 クキィは別の疑問を口にした。 「あたしが鍵人って話、本当だと思う?」 瞬きをして、自分を指差す。 鍵人。世界の扉を開ける鍵。そう言われているが、本当に鍵人である可能性は五パーセント未満。しかし、リアやタレットは、クキィが鍵人である事を信じている。だからといって、特別な事はしてくれないが。 「わからないよ」 レイスは素直に首を左右に動かした。 「可能性は低い。でも、ゼロじゃない」 そう言ってから、しばらく考え込むような表情を見せる。 |
硝子の剣 ゲート計画の副産物。普段は簡素な形の柄と鍔しかないが、ディスペアの呪文によって透明なガラスのような刃を発生させる。刃を具現化させた時は、大人の背丈ほどもある大剣となる。その力は極めて強い。 黒曜石 ゲート計画の副産物。硝子の剣と対をなすと言われる。天の教会が集めている。ディスペアは天の教会が黒曜石を独占することを、快く思っていない。 セインツと名乗る者が、黒曜石を集めている。 |
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