Index Top 第7話 森の中で |
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第1章 迷子の猫 |
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森の中を、赤い服を着た猫型獣人系亜人の少女が歩いている。疲れたように両腕を下ろし、尻尾を垂らして両足を動かしていた。 「あー、ここどこかしら?」 目蓋を下ろし、クキィは空を見上げた。 空を覆う灰色の雲。高層雲という雲らしい。標高の高い場所なので、雲は低い位置に見える。時計が無いので正確な時間は分からないが、今は夕方四時くらいだろう。太陽が見えないため、方角もよく分からない。周囲に広がるのは密度の薄い針葉樹の森。下草や灌木は少なく、歩くのに困ることはなかった。 国境近くの高原である。 「あたしって迷子の才能あるのかしらね? あっても全然嬉しくないけど」 クキィはため息をついた。 ほんの出来心でキャンピングカーから離れて森の中を歩いていたら、そのまま道に迷ってしまった。それから三時間くらい歩き回っていたが、一向に戻れない。冷静に考えてみると、歩き回ったのは逆効果だっただろう。 足が痛い。 クキィは適当な石に腰を下ろし、空を見上げた。森の中にある開けた場所だった。 「どうしよう、これ?」 「何してるんだ、こんな所で?」 声をかけられた。 尻尾を下ろしつつ声の方に眼を向ける。 近くの枯れ木の枝に、男が一人立っていた。 見た目の種族は人間に似ている。年は二十歳前後だろう。長く伸びた黒髪と野生動物を思わせる鋭利な黒い瞳。服装は黒い上着と黒いズボン、その上に丈長の黒いコートを纏っている。とりあえず黒い男だ。コートの裾が風に揺れていた。 ガルガス・ディ・ヴァイオン。 「えっと……」 クキィは右手を挙げた。 拳銃の抜き撃ちのように魔術を撃てると便利とリアに言われている。それなりの威力が出せて道具も必要ないという利点。反動である消耗と、術式構成に意外と時間が掛かる事が欠点でもあるが、それを差し引いても有用な技術である。 「閃光破」 白い光がガルガスを直撃した。 魔力を熱線と衝撃波に変換して相手に叩き付ける、基本的な攻撃魔術。術式が単純で制御も簡単、威力や攻撃範囲の加減もかなり効くので、よく使われる術のひとつだった。もっとも、消費は大きい。クキィは連続三回で動けなくなってしまう。 砕けた木の破片と一緒にガルガスが地面に落ちる。 だが、何事も無かったように起き上がった。 「いきなり何をするんだ」 身体に付いた土を手で払いながら、言い返してくる。出所のよく分からない頑丈さは今に始まったことではない。掠り傷すら負わない事を分かっているから、クキィも迷わず魔術を撃ったのだ。 座っていた石から腰を上げ、クキィはヒゲを撫でる。 「それはこっちの台詞よ。どうしてあんたがこんな所にいるの? あたしの後を付けてたってわけでもなさそうだし、まさか瞬間移動でもした?」 いきなり枯れ木の上に現われたガルガス。それまで周囲にはいなかった。枯れ木を登るところも見ていない。そこに突然現われている。もう驚くこともない。 「リアとおっさんがお前の事探してたから、迎えに来た」 「発信器の類は持ってなかったと思うけど」 手で身体を叩きながら、首を傾げる。リアに渡されていた位置測定用の発信器は置き忘れてしまった。それ以外にも、どこかにこっそり取り付けられていたかもしれない。そういう事をリアは迷わず実行するだろう。 しかし、ガルガスはクキィの推測を否定する。 「あれだ。勘」 「深く考えちゃ駄目ってことね」 身も蓋もない結論に、クキィは両手を広げた。 ガルガスがコートの内側から無線機を取り出した。やや大きめの携帯電話に見えるが、機能は違うらしい。機能重視の無骨な見た目である。 「もしもし俺だ」 受信ボタンを押して、会話を始める。 ちらりとクキィに目を向け、答えた。 「ああ、見つけた」 そう言ってから、無線機を差し出してくる。 クキィは手を伸ばして無線機を受け取った。手に掛かってくる重さ。獣人系亜人は人間型の亜人と耳の位置が違うので、微妙に扱いづらい。 簡素な液晶画面には、現在位置と時刻が表示されている。午後四時半。 無線機の向こうからタレットの声が聞こえてくる。 『クキィか、無事かー?』 「無事よ。歩き疲れて足が痛いけど」 自分の足を手で叩きながら、クキィは答えた。 散歩に出たのは一時過ぎ、そこから三時間以上は森を歩いている。途中何度も休憩を挟んでいるが、それでも足に大きな負担がかかっていた。 タレットが呆れ声で続ける。 『思ってたより遠くに行っちまったみたいだな、こりゃ。あんまり勝手に出歩くなよ。割と本気でお前に首輪付けるって話が出てるから……』 出てきた単語に、クキィは目を閉じて耳を伏せた。 「首輪って……」 『似合うと思うぞ』 楽しそうなタレットの声。 「そういうのはやめてちょうだい……」 首輪を付けられた自分の姿を想像し、クキィは呻いた。どのような首輪を付けるかまでは想像が付かないが、何にしろ似合う気がする。 無線機の向こうで、キーボードを叩く音が聞こえた。 『首輪の話はさておいて、どうするか? そこからまた歩いて帰るのは大変だろうし、野営でもしてみるか? ガルガスもいるし。そいつに頼めば大体なんとかなるだろ』 目を向けると、ガルガスが人差し指と中指を立てた。 人外な頑丈さと、重機をも凌ぐ怪力。幽霊だろうが素手で殴り倒してしまう。ガルガスがいれば大抵の事はどうにかなるだろう。だが、それとこれとは別の事だ。 「あたし、そういう事あんまり得意じゃないんだけど」 ヒゲを指で撫でながら言い返す。 しかし、答えは無情だった。 『得意じゃないなら、なおさらやるべきだな。これからもっと面倒な場所に泊まる事もあるだろうし。何事も経験だ。朝になったら迎えに行ってやる。それまで頑張れよ』 ブツッ。 気楽な声を残して、無線が切れた。 「もしもーし!」 声をかけながら、あちこちボタンを押すが反応は無し。タレットが無線を切ってしまったようだ。尻尾を曲げながら十数秒格闘して、諦める。 差し出されたガルガスの手に無線機を乗せた。 「これから、どうするんだ?」 無線機をコートの内側にしまいながら、訊いてくる。 両腕を下ろし、耳を伏せ、尻尾を垂らし、クキィは口を開いた。 「明日の朝迎えにくるから、それまでここで野営しろって……。野営ってどうすればいいのよ。あたしは都会育ちだから、そういう事苦手なのよね」 生まれはどこだか知らないが、育ちはルート市である。ガタの多い建物に住んでいた記憶しかないが、それでも社会基盤は一応整っていた。電気やガス、水道に不自由したことはない。しかし、ここは森の中。火も水も無い。 「あんたに頼めば何とかなるって言われたけどさ、何すればいいの?」 「そうだな。うん」 ガルガスは少し考えてから。 「まずは焚き火だ。それが醍醐味だ」 「火、ねぇ」 理由はどうあれ、火は必要だ。これから夜になるし、気温も下がるだろう。夜行性の獣がいるかもしれない。食事をするためにも火は欠かせない。 「薪はこれで大丈夫だろ。いい具合に乾いてるし」 ガルガスは枯れ木を素手で折っていた。パキポキと音を立てて枝が折られ、幹の破片が砕かれていく。さきほどガルガスが立っていた木。クキィが魔術で吹き飛ばした木でもある。幹も枝も白く乾燥していて、燃やすには丁度いい。 木の破片を地面に置き、ガルガスはその場に屈んだ。地面に落ちていた枯れ草を手で払いのけてから、地面に手を突き刺し、穴を掘り始める。砂場の砂を掘るように。 クキィは踵で軽く地面を蹴る。 「このあたりの土って硬いんじゃない?」 「石よりは楽だ」 返答の意味はよく分からなかった。 石に穴を掘ったことがあるのかとは訊けなかった。おそらくあるのだろう。 「次は、火種」 ガルガスは木の破片を地面に置いた。幹の一部を板状に千切ったものらしい。それを左手で押え、右手に細い枝を持つ。そして、細い枝を幹の破片に押し付ける。 「何してるのよ?」 「こっちの木と枝と擦り合わせて火を起こす」 ガルガスは一度動きを止めて枝を持ち上げた。 クキィはヒゲを撫でつつ、記憶を探る。 木の板と棒を使った火起こし方法が頭に浮かんだ。原始的な火起こし方法。マッチもライターも無く、魔術も存在しなかった旧時代より大昔は、こうして火を起こしていたらしい。だが、それは本当に大昔の話である。 クキィは右手を持ち上げた。 「そんな事しなくても、魔術で火は起こせるわよ。ライターとか使うのが一番いいんだけど、あたしはライターもマッチも持ってないしね。おじさんなら持ってるかも。火をおこす魔術はあたしでも使えるけど」 「それじゃ面白くないだろ?」 口端を上げてから、ガルガスが腕を動かした。雄叫びとともに。 「おおおおおりゃあああああ!」 ボウゥッ! 幹の破片から炎が吹き出す。 「!」 尻尾を立て、クキィは後退った。 摩擦で火を起こす場合、頑張ってもくすぶる程度だが、見事に炎が吹き出している。腕が見えなくなるほどの超高速。そして、その摩擦から作り出される高熱。木の着火点をあっさり上回り、炎を作り出していた。 赤く燃える破片を穴に放り込み、枯れ葉や枯れ草、枯れ枝と順番に放り込んでいく。 適当に見えるのに、そこには絵に描いたような焚き火が作られていた。 「よし、完成」 ガルガスが満足顔で両手を叩く。 道具も使わず、魔術も使わない。全部自力で焚き火を作っていた。 「ゴリ押しって好きじゃないわ」 クキィは額を押えた。 |
12/3/29 |