Index Top 第6話 赤き教士

第3章 赤きレイスの名


 静かな裏路地に流れる、居心地の悪い空気。
 クキィ、痩せた男と小太りの男、合計三人。ほぼ同時に声のした方向へと目を向ける。青い塀に張られた金属買取の広告だった。
「か弱い少女を誘拐しようとは、男の風上にも置けない野郎どもだ」
 ぺり、と塀の表面が剥がれる。
 クキィも含めた三人は、呆気に取られてその光景を見つめていた。
 青い塀の表面。広告の左半分が剥がれて、レイスの上半身が現れる。塀から上半身だけが生えているような奇妙な恰好だった。隠れた下半身があるだろう場所は、塀と同じ平面になっている。少なくとも平面に見えた。
「えっと」
 誰の口からか困惑の息が漏れる。
 見たままを言うなら、背後と同じ模様の布で身体を覆い、姿を眩ませていた。そこで障害となる立体感を、どういう原理かきれいに誤魔化して。
 重なる疑問に耐えきれず、クキィは叫んだ。
「あんたは何してるのよ! そもそも、何それ!」
「忍法・隠れ蓑の術」
 得意げに答えるレイス。
 身体を隠していた布を手早く丸め、全身を現わした。赤い聖職衣という派手な出立は、見間違えるはずもない。背後の塀は凹みもなく平らだった。丸めた布をどこへとなく片付けてから、男二人に向き直る。
「さあ、どうする?」
 挑発するような台詞に、二人もようやく我に返ったらしい。
「さ……探したぞ、ヤロゥ」
 痩せた男が殺気剥き出しでレイスを睨む。いくらか空回り気味だが。
「人のモノ盗ったらどうなるか。知らないわけじゃあないだろうな?」
 クキィの腕から手を放し、上着の内側へ手を入れた。取り出された手には、二十センチほどの棒が握られている。一振りすると、それは乾いた音を立てて長い棒へと変化した。五十センチほどの伸縮式警棒だった。
 小太りの男がスタンガンを取り出している。
「少し痛い目見てもらうけど、覚悟は――」
「鳴くは雷光。走るは閃光」
 右手を翳し、レイスが聖文を唱えた。
 右手から二本の白光が放たれる。それはほんの一瞬だった。瞬き一回の時間にも満たないだろう。レーザーのように一直線に伸びた白光が、二人の男を貫いた。それが視界に映った時には、光は淡い残像を残して消えている。
 声もなく、男たちは道路に倒れ伏した。
 軽くかぶりを振るレイス。
「まったく困ったものだよ」
「大丈夫、コレ? ちゃんと生きてるわよね」
 倒れた男二人を指差し、クキィは確認するように尋ねた。身体は動かず、意識も無い。命があるかどうかは見た限りでは分からない。真っ当な職業ではないが、かといって死なれるのも目覚めが悪い。
 レイスは杖の石突きで男をつつきながら、
「ちょっと神経に電流を撃ち込んで気絶させただけだよ。殺したわけではないので、安心してほしい。半日くらいは目を覚まさないだろうし、数日から一週間は後遺症が残るかもしれないけど、それは自分の責任だ」
 軽く言ってはいるが、それは重症だろう。意識を失うような感電をした場合、神経系に後遺症が残る場合がある。痺れが残るくらいならまだ軽い。電流によって神経が焼けた場合は、その部位の機能が止まるのだ。視神経の損傷による失明や、末端神経の麻痺による部分麻痺、心筋への損傷による心不全などまで。
 躊躇いなく実行された、えげつない攻撃。
 クキィは倒れた男を見つめてから、レイスを見る。
「あんたさ……。一体何しでかしたの? どう見てもタダ事じゃないでしょ、コレ。この二人もカタギじゃないみたいだし」
 レイスを追い掛けているのは、この二人組だけではない。他にもいるだろう。相当な恨みを買って追いかけ回されている。レイスの言っていた"仕事"の結果なのだろう。厄介な事に、クキィもレイスの仕事に巻き込まれつつあるようだった。
「守秘義務というものがあるから、答えられないよ」
 目を逸らし、レイスは首を傾げる。答える気は無いらしい。何らかの方法で拘束して拷問でもしなければ、口を割ることはないだろう。
「こんな事になるんだったら、ホテルで大人しくしておくべきだったわね」
 声に出さず、愚痴る。だが、後悔しても遅すぎた。
 レイスはクキィの前まで移動する。
「そんなに不安がることはない。多少手間が増えてしまったけど、これはあくまでもボクの仕事の範疇だよ。君には関係の無いことだ」
「ここまでやっといて無関係とはいかんだろう?」
 割り込んできたのは、聞き慣れた声だった。
 背の高い男が歩いてくる。四十過ぎの人間。灰色の髪の毛と四角い眼鏡。口元に気取った笑みを浮かべていた。淡い茶色の色の背広の上に、白衣を纏っている。白衣は趣味のようなものらしい。口に咥えた煙草が、紫煙をなびかせていた。
「おじさん」
 タレットの姿に、クキィは力を抜いた。見知った人が助けに来てくれた安心。脱力のままにへたり込みそうになるが、気合いと見栄で持ちこたえる。
 カツカツと、靴がアスファルトを叩く音。
 クキィの近くまで歩いてきてから、タレットは煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「探したぜ、クキィ。窮屈なのは分かるけど、せめて書き置きくらい残してから抜け出してくれや。誘拐されたかと思ってビビったぞ、ホント」
 言葉は軽いが、本気で焦ったのだろう。
 レイスが男二人を引きずって壁に寄り掛からせている。
 ばつの悪さを感じつつ、クキィは曖昧に笑ってみせた。
「あー。ごめん。いつから見てた?」
「そこの二人が声かけた辺りかな?」
 壁に背を預けている二人を指差す。どうやらかなり前に発見されていたようだ。すぐに声を掛けなかったのは、状況がきな臭くなっていたからだろう。下手にタレットが出ていけば、余計に混乱する事になるかもしれない。
「お前を連れてくって言い出した時は、さすがに焦ったぜ」
 それからレイスを目で示し、
「そいつが出てこなかったら、オレが出てた。こういう荒事は本職じゃないから、できれば避けたいんだがな。背に腹は代えられん」
「どやって助ける気だったのよ? おじさん、ケンカとか無理でしょ」
 本人曰く、超天才科学者。術の才能は月並み。戦闘系は苦手。クキィを誘拐しようとする相手に、タレットが何か出来るとは思えない。
「オレはケンカは苦手だけどな。天才ってのは頭と言葉を使うもんだよ? 公開討論でへっぽこ科学者オーバーキルにしたのは一度や二度じゃないぜ?」
 と、黒い筒を見せる。安全ピンの付いた黒い筒だった。閃光弾らしい。閃光弾でクキィごと行動不能にしてから、クキィを連れ去るつもりだったのだろう。
「……頭と言葉、関係無いじゃん」
 正直にツッコミを入れる。
 満足げな笑みを見せ、閃光弾をしまうタレット。
 会話が終わったところで、レイスが口を開いた。
「あなたは、カッター=タレット教授ですね? ウィール大学の超天才。お目にかかれて光栄です。科学者の喜怒哀楽、面白かったです」
「ありがとよ」
 レイスを見やり、タレットが得意げに頷く。自称天才であるが、クキィたちには色々器用なおじさんとしてしか見られていない。タレット教授と呼ばれて、自分の著書を褒められるのは嬉しいのだろう。
 眼鏡を指で動かし、レイスを眺める。
「そう言うあんたこそ何者だ? さっきから無軌道な事してるが」
「ボクは太陽の教会の教士トレイサー=レイス。仲間からは赤きレイスの名で畏れられています。色々ありまして、今クキィさんと一緒にいます」
 読み上げるように答えるレイス。
 タレットが腕組みして視線を上げた。考え込むように口を閉じている。青い空には変わらず羊雲が浮かんでいた。さっきよりも雲の密度は薄くなっている。初めて聞いた名前ではないようだが、すぐに思い出せる名前でもないようだった。
 十秒ほどして思い出したらしい。
「トレイサー=レイスって、アレ、か」
「有名人?」
 訊いてみる。
 腕組みしたまま右手を顎に添え、タレットは言葉を選ぶ。
「太陽の教会で裏方仕事してる……とは聞いたことがある。噂では、リアと逆方向の法術持ってるらしい。いわゆる攻撃特化型だ。あとは……変人」
 レイスを見る。釣られて、クキィもレイスを見た。
 裏方仕事とは、工作活動や戦闘、暗殺などだろう。表向き善良な組織であるが、教会はそのような暗部も抱えている。リアの言葉を借りるなら、現実主義。
「変人はひどいですよ」
 両腕を広げて抗議するが、タレットもクキィも応じない。
 普通の教士が着ないような派手な聖職衣を纏う男。突如現れ食べ物をたかったり、尻尾を触らせて欲しいとセクハラ言ったり、いきなり怪しい男が現れてそれを雷術で気絶させたり。恐ろしく好き勝手に行動している。
 まさしく変人だった。
 脈絡鳴く表情を引き締めるレイス。
「さておき、ちょっとボクのことかくまって貰えませんか?」

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忍法・隠れ蓑の術
背景と同化する謎の技術。


鳴くは雷光。走るは閃光
レーザー状の雷撃で相手を撃つ術。術構成から発動までの時間が短く、威力は高い。レイスは威力を落として気絶させるだけで済ませた。しかし、数日後遺症が残るかもしれないと言っている。
11/10/27