Index Top 第6話 赤き教士

第2章 追われる理由は


「サーモンチーズサンドひとつとレモンティーのMお願い」
 クキィは店員の男にそう注文した。
 商店街の片隅にある、サンドイッチ屋。白と緑の爽やかなデザインが目を引く。正面がカウンター、奥が厨房となっていた。簡単なものから、大きなものまで多数のサンドを売っている。飲み物類も売っているようだった。
「そちらのお客様は?」
 緑のエプロンを着けた若い男が、レイスを見る。違和感を無理矢理飲み込み、当たり障りのない営業スマイルを浮かべていた。
「ポテトサンドとエスプレッソダブルで頼むよ。コップはちょっと大きめのを頼む」
 レイスは品書きを眺めてから、そう注文した。
 さきほどまで手で持っていた教杖は、布のベルトで背負っていた。リアも同じ形状の杖用ベルトを持っている。意外と普及している道具なのかもしれない。
「少々お待ち下さい」
 店員が店の奥に引っ込む。
 大きな店であれば、調理係と接客係を分けられるが、小さな店ではそうもいかない。男は接客と調理の両方をこなしているようだった。
「もう少し高級な店でもよかったのだけど」
 周りには聞こえない声で、レイスが耳打ちしてくる。
 クキィは財布を取り出しながら、ジト眼を向けた。
「今はこういうもの食べたい気分なのよ。それに人の奢りで偉そうな事言わないで」
「お待たせいたしました」
 店員がトレイにサンドイッチと飲み物を乗せて戻ってくる。
 柔らかいバゲットパンをふたつに切り、間にサーモンスライスやチーズ、野菜を挟んだサンドイッチ。包み紙にくるまれ、片手でも食べられるようになっていた。紙のコップに入ったレモンティー。透明な蓋をかぶせて、ストローが刺してある。
 簡単だが美味しそうな料理だった。
 レイスの注文したものは、パンにポテトサラダが挟まれた簡素なサンドイッチだ。もうひとつは大きめのカップに入れられたホットエスプレッソ。
「いくら?」
「千百リングになります」
 店員の言葉を聞いて、クキィは財布を開けた。一千リング紙幣一枚と百リング硬貨一枚を取り出し、それを店員に渡す。店員は受け取ったお金を、慣れた手付きでレジスターに納めていた。微かな機械音がして、レシートが吐き出される。
「こちら、レシートです」
「ありがと」
 クキィはレシートを受け取り、財布に入れた。財布を内ポケットにしまう。
 レイスがコーヒーのカップを掴んだ。注文通り、普通のカップよりも一回り大きいカップ。中身はそのままなので、半分くらいしか入っていないようだ。何故そのような注文をしたのか、クキィには想像が付かない。
 黒い瞳で店員を見つめ、レイスが口を開いた。
「店員さん。砂糖が欲しいのだけど、貰えるかな? 瓶で」
「瓶?」
「瓶って……」
 思わぬ単語に、クキィも店員も驚いてレイスを見る。冗談かとも思ったが、本気で言っているようだった。大量の砂糖が欲しいようである。
「そこの棚に置いてあるだろう? スティックでは少ないからね」
 調味料の並んだ棚を指差し、レイスはそう言う。カウンターには紅茶やコーヒー用に、砂糖スティックが置かれているが、それでは駄目らしい。
「……はい。少々お待ち下さい」
 戸惑いを隠しきれない様子の店員。しかし、変に反発して余計な手間を作りたくなかったのだろう。事なかれ主義とも言う。おとなしく砂糖の入った瓶を持ってくる。
 ことり、と軽い音を立て、瓶がカウンターに置かれた。
 自分のサンドとレモンティーを確保しつつ、クキィは呻く。
「何する気? イヤな予感しかしないんだけど」
「砂糖はコーヒーに入れるに決まっているじゃないか?」
 朗らかに言うなり。
 レイスは瓶を開けて、中身の砂糖をコーヒーに流し込んだ。甘味を加えるために、角砂糖を入れる。そのようなレベルではない。あまりにも適当であまりにも乱暴な。カップ内のコーヒーとほぼ同量の砂糖をカップに流し込み、ようやく瓶を閉じた。
「えー……」
 尻尾を下ろし、クキィはただ呆れる。
「砂糖、ありがとう。それでは」
 瓶を店員に返し、レイスは歩き出した。ポテトサンドは包み紙でしっかり包み、腰のポーチにしまいこむ。後で食べるつもりらしい。
 人通りの多い歩行者専用道路から外れて人気の無い場所へと。
「本当に飲むの、それ?」
 クキィは半信半疑でレイスを凝視する。
 レイスはプラスチックのスプーンでコーヒーをかき混ぜていた。大量の砂糖のせいで容積は増え、どろりと粘性を帯びた黒い液体。もはやコーヒーではない。普通に混ぜただけでは砂糖が溶けきらないようで、念入りにかき混ぜている。
「エスプレッソのダブルに、同じ量の砂糖を入れたコーヒーだ。師匠から教えられたとっておきだよ。疲れた身体には、よく利く」
 そうコーヒーを口に入れ、心地よさげに吐息していた。
 美味しいらしい。
 アスファルトの地面と狭い道路。人気は無く、道の左右には二階建てのアパートや民家が並んでいる。よく言えば落ち着いた、悪く言えば陰気な場所だった。
「教士ってよくわからないわ……」
 サーモンチーズサンドを囓り、レモンティーをストローで吸う。砂糖は入っていないはずだが、口に広がる甘味。錯覚とは理解しているのに、意識から外れない。レイスの飲んでいる砂糖コーヒーの味が伝わってくるようだった。
「あんたの目的は何? 空腹ってのはさっき聞いたけど、それだけじゃないでしょ」
 思考を切り替えるように、レイスを見る。人気の無い場所に向かったのは、人気のある場所では訊けない事を訊くためだ。
「尻尾触らせて欲しいなー、と」
 クキィの尻尾を見ながら、レイスがにこやかに答える。
 薄茶の毛に覆われた尻尾。尾椎と筋肉によって割と自由に動く。長さは七十センチくらいで、猫型獣人では標準的な長さだ。子供の頃から触りたがる者は多い。獣人系亜人以外で尻尾が生えているのは、一部の妖魔系亜人だけである。
 残り少なくなったサンドを口に放り込み、クキィは包み紙を畳んでポケットに入れた。何度か噛んで呑み込んでから、コーヒーを一口飲むレイスを睨み付ける。
「真面目に答えなさい」
「ボクはいつだって真面目だよ。鍵の話は聞いているけど、ボクの仕事は他にある。君に会ったのは本当に偶然だ。これは太陽の神に誓ってもいい」
 胸に手を添え、断言する。誓いの仕草。
 クキィに会ったのは偶然で、本当に食事目的で声を掛けたらしい。肯定する材料も否定する材料もなく、本当か嘘かも見当が付かない。疑えば無制限に疑えてしまうので、この辺りで妥協しておくことにする。
「おい、そこの二人」
 横から声を掛けられ、クキィは足を止めた。
 棘のある男の声である。
 視線の先には背広姿の男が二人立っていた。人間の男で年齢は三十歳ほど。痩せた男と小太りの男の二人組である。そして、独特の緊張感を持っている。クキィも何度か見た事がある、堅気ではない職種の者だろう。
「何かしら?」
 レモンティーのカップを空にしてから、訊く。
 細い路地の正面に、道を塞ぐように佇む二人。道路の左側は何かの工場らしく、金属製の白い塀が作られている。右側は古びた倉庫が並んでいた。逃げ道は無さそうである。
 痩せた男が面倒くさそうに手を動かした。
「お前は関係ない。オレたちが用があるのは、そっちの――そっちの……?」
 指が空を泳ぐ。
 横を見ると、レイスの姿が無くなっていた。さっきまでいたのに、見事に消えている。周りに目を向けても、その姿は見当たらない。二人組に声を掛けられてから消えるまで、ほんの二、三秒だった。
「いない」
 小太りの男が呟く。戸惑ったように。
 苛立ちのこもった声で、痩せた男が呻く。歯を噛み締め、
「そこにいた赤い服の男、どこ行った?」
 クキィを睨みながらも、周囲に視線を飛ばす。塀の上、倉庫の入り口、電柱、古ぼけた看板。およそ人一人が隠れられるような空間は無い。
「……あたしが訊きたいわよ」
 額に手を当て、クキィは正直に言い返した。尻尾を下ろし、眉間にしわを寄せる。他に仕事があると言っていたが、その仕事の内容に係わっているのがこの二人なのだろう。正確には二人の上司に当たる者。
「お前、アレの知合いか?」
 二人がそれとなく距離を詰めてくる。
「向こうはあたしの事知ってるみたいだけど、あたしは知らないわ」
 答えながら、クキィはこの場を切り抜ける方法を考えた。
 ガルガスなら問題なく切り抜けるだろう。リアなら迷わず撃つだろう。その場合は相手の安否が心配だ。タレットも屁理屈と嘘とはったりを駆使して上手く切り抜けるだろう。そういう強みが、自分には無い。
 小太り男が左手を差し出してくる。黒い目に希薄な殺気が映っていた。
「お嬢ちゃん、悪いが一緒に来て貰おうか」
「早く帰らないと、怒られるのよね」
 目を逸らしながら、こっそり意識を下に向けるクキィ。
 この状況を打破する道具は無いわけでもない。ポケットの小型拳銃。防御物や術防御を貫通して致命傷を与えることを目的とした弾丸。口径6mmとはいえ、コンクリートブロックを普通に粉砕する威力だ。当たればほぼ確実に相手は死ぬ。それでは使えない。
「嬢ちゃんには手は出さないが……事が事だけに、見逃すわけにもいかないんだ。恨むんだったら、あの赤い男を恨め」
 痩せた男がクキィの腕を掴む。声に含まれる鋭利な怒気。それはクキィに向けられているようで、全く違った。男たちはクキィは意にも介していない。
「そうね……」
 腕を掴まれたまま、クキィは男二人を見やった。普通の人間と身体能力に秀でた獣人系亜人。今ここで二人と殴り合えば、勝てるだろう。そう結論づけ、呼吸を整える。
「その汚い手を離せ!」
 突然聞こえた声は、レイスのものだった。

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11/10/20