Index Top 第6話 赤き教士

第1章 行き先での出会い


 アクシアム地方東部にある中規模都市イコール市。
 クキィは一人だった。
 ゆらゆらと尻尾を動かしながら、見知らぬ路地を歩いていく。魔銃は持っていない。白昼で持ち歩くのは危険なため、ホテルに起きっぱなしにしてあった。
 初めて来た街の風景。ちらほらと人の姿が見える。この辺りに住んでいるのはほとんどが人間だ。クキィのような獣人系亜人は珍しかった。時折好奇の視線が飛んでくるが、今更気にすることもない。
「たまにはこうして一人で出歩くのもいいわね」
 誰へとなく呟きながら、薄く笑ってみる。
 時間は十一時半くらいだろう。雲の多い空はあまり澄んではいない。街の外の澄んだ空を知ってからだと、街の空はくすんで見えた。それでもこれが街の活動の結果であり、クキィが街の空を見て落ち着くのも紛れもない事実だった。
 白線の無い道路の左右には、三階建てのビルが並んでいた。食堂をやっていたり、個人商店だったり。他にはアパートも多い。ありふれた下町の風景である。
 クキィは内ポケットの財布に触れた。
「お金はとりあえずあるし。何しようかしら?」
 タレットから渡された十万リング。立替カードとは別に、現金も渡されている。元々貧乏暮らしだったため、財布に大きな紙幣を入れることは少なかった。
「買い物――って言っても、これといって今欲しいものは無いし」
 人差し指で耳の縁を掻き、尻尾を曲げてみる。
 昔からお金が沢山欲しいとは思っていた。思っていたが、いざ大量の現金を手にしてみると、なにを買っていいのか分からない。
 典型的な貧乏性に自嘲のため息を付き、クキィは目蓋を下ろす。
「……こっそり抜け出してきたけど、大丈夫よね? 大丈夫なわけないけど、ここ最近ずっと監視されっぱなしだったし、こういう息抜きも必要よね。うん」
 リアとタレットが書類を眺めている隙を突き、ホテルから抜け出してきた。予想以上に簡単に抜け出せてしまった事に驚きつつ、適当に歩き回っている。だが、かなりマズい事をしたかもしれない。
 説教喰らうのは確実だろう。
 少なくともいきなり撃たれたりはしないだろう。
 ため息を付いてから、クキィは右手でお腹を押さえた。
「ひとまず、腹ごしらえかしら?」
 胃腸内の空気の動きが、手に伝わってくる。
 お昼前に出てきたため、まだ昼食を取っていない。どこかで昼食を取りたい。お金はあるので安い店を選ぶ必要は無いが、逆にどこで食べるべきか迷ってしまう。
「ん?」
 視線を感じて、クキィは歩みを緩めた。
「やあ。尻尾の生えたお嬢さん」
 掛けられた声は、非常に軽い声だった。
「……?」
 瞬きして、声の主を見る。
 電柱に寄り掛かるように、若い人間の男が立っていた。
 二十代くらいだろう。具体的な数字は当てはめられないが、とにかく若い男だった。短めに切った黒い髪と黒い瞳。軽薄そうな暢気そうな顔立ちで、片手を上げている。
「太陽の教会?」
 身に纏っているのは真紅の長衣だった。ゆったりとした長袖で足元まで隠れるコートのような服。前をボタンで留める構造らしい。肩を覆うケープや、足元から見えるズボンもやはり赤い。袖や胸元には金糸で太陽を模した刺繍が施されている。
 それは、太陽の教会の教士服だった。
 右手に持っているのは、太陽の紋章を飾った教杖である。
 絵に描いたような太陽の教会の教士。ただし、クキィの知る太陽の教会の教士は、白い服をよく着ている。ここまで赤い服を着る者は知らない。
「太陽の教会の人間が、あたしに何か用かしら?」
 嫌な予感を覚えつつ、クキィは声を掛けた。
 男は杖を握る手に力を入れ、電柱から背を離す。どこか何かが抜けた笑みを見せ、黒い瞳をクキィに向けた。
「君が噂のクキィ・カラッシュか」
 無言のまま。
 クキィは目蓋を落とした。眉間にしわを寄せて、口元から薄く牙を覗かせる。尻尾を少し持ち上げつつ、半歩足を引いた。ほぼ無意識のうちに行われる動作。
 左手で頭をかきつつ、男が苦笑いを見せる。
「……何で、露骨にイヤそーな顔をするんだい」
 クキィは左右を見る。通りを歩く人は多くはない。クキィと教士の男。獣人系亜人と、見るからに怪しげな教士。関わり合いになろうとする物好きはいないようだった。みな視線を向けるだけで、他人の振りをして歩いている。
 その事にいくらか感謝しつつ、クキィは唸った。
「せっかく久しぶりの自由を満喫しようと思ってたのに。何で面倒事の関係者っぽいヤツが現れるのよ。もしかして、あたしを監視してた? してた?」
 目を細めて睨み付ける。実感はないが、クキィは色々と目を付けられる立場だ。誰かが監視しててもおかしくはない。
 しかし、男は違うと言いたげに腕を左右に広げて見せた。
「ボクは純粋に君を見つけただけだ。人聞きの悪いことを言わないでくれ。この町に君たちが来ているのは聞いていたけど、ボクがここにいるのはそれとは関係のない仕事のためだからね。断じてストーカーなどではないよ」
 と、キザっぽく笑う。
 タレットが時折見せる冗談めかした芝居風の仕草。それに似ている。しかし、この態度は冗談ではなく大真面目の言動だろう。不思議と分かる。
 通りを流れる風に、レイスの黒髪が少しなびいた。
「あ、そうだ。自己紹介を忘れていたね。ボクは太陽の教会の教士トレイサー=レイス。知る人ぞ知る赤きレイスとは、ボクのことだよ」
 胸を張って宣言する。堂々とした態度だった。自分の名前と実力に、自信を持っているのだろう。リアかタレットだったら、この男についての情報を持っていたかもしれない。
 しかし、クキィは右手を振って言い切った。
「知らないわよ」
「うーむ」
 レイスは残念そうに眉間を押さえる。
「その太陽の教士がこんな所で何してるの? 教会は近くに無いと思うけど」
 レイスを睨みつつ、クキィは続けて問いかける。この街の事は知らないが、抜け出す前に地図を見た限り、近くに教会は無いようだった。
 右手に持った教杖を見つめてから、レイスはクキィに目を戻す。
「おおむね私用だよ。用事があってこの町に来ている。それと、どこか食事のできそうな場所を探しているんだけど。非常にお腹が空いている」
 くぅ、とレイスの腹の虫が鳴いた。横を向いて吐息する。
 ふと、地面が暗くなった。空に目を向けると、羊雲が太陽を隠そうとしていた。止まっているように見えた雲も、ゆっくり動いているらしい。
「ところで、君は何故一人でこんなところにいるんだい?」
「窮屈だからこっそり抜け出してきたのよ。衣食住に困らないのはありがたいけど、こういう待遇の生活は息が詰まるわ」
 クキィの答えに、レイスは心得たとばかりに頷いた。
「気持ちは分かるよ。ボクも修行中はよく抜け出して怒られたものだ」
「そんな顔してるわねー」
 レイスの顔を眺め、クキィは同意する。修行中に抜け出し、気が済むまで遊んでから、堂々と戻って教師に怒られるレイスの図。それが容易に想像できた。
 レイスが一歩踏み出し、右手を差し出してくる。
「では、これも何の縁ということで、一緒にどこかで食事でもしないかい? 君も行く当ては無いんだろう? ボクもお腹が空いているし」
 クキィは視線を上げた。空には羊雲が浮かんでいる。さきほどは青い空を背景にしていた太陽が、今は雲の影に隠れていた。雲の縁が白く輝いて見える。もうしばらくすれば、太陽は雲の後ろから出てくるだろう。
 他人事のようにクキィは首を傾げた。
「こういうのってナンパって言うのかしら?」
 ナンパ。街頭で男が女に声を掛けて誘う行為。存在自体は知っているが、今まで男に声を掛けられたことは無かった。人間の多い街に住む獣人系亜人。種族の壁は分厚い。
 もっとも、この状況がいわゆるナンパと問われれば、おそらく否だ。
「そういうのだろう」
 したり顔で肯定するレイス。
 ナンパらしい。一応そういう状況として受け止めることにする。
 自分の置かれている状況が思考の限界を超えていた。
「教士ってそういう奔放な事していいのかしら?」
「構わないと思うよ」
 あっさり肯定する。
 思考が空回りする音が聞こえる気がした。クキィは尻尾を揺らして、首を捻る。レイスは重要な事を何も言っていなのだ。言葉を動かして遊んでいるにすぎない。
「というか、あなたの目的って何?」
 クキィは右手を上着のポケットに入れた。
 隠し持った小型拳銃の安全装置を指先で外す。魔銃は持っていないが、代わりの小型拳銃は持っている。手の平に収まるほどのオートマチック。口径は6mmで装填数は五発。銀製の弾頭には攻性法術が組み込まれている。
 ディスペアのような人外には効かないが、普通の術師には十分通じる武器だ。
「分かった。正直に答えよう」
 クキィの薄い殺気を感じたのか、レイスは表情を引き締めた。
「ひとつは空腹をどうにかしたい。実は色々あって昨日の朝から碌に食事を取っていないんだ。しかも、現金を持ってないから、買い物もできない。そこで君にお願いがある。何か食べるものを奢って下さい」
 レイスは気をつけの姿勢から頭を下げた。
「正直ね……」
 気が抜けるのを自覚しながら、クキィは尻尾を左右に動かした。
 レイスが顔を上げた。その視線を追って、クキィは再び眉を寄せる。尻尾を右に動かすとレイスの視線も右に、尻尾を左に動かすとレイスの視線も左に動く。
 クキィの前まで歩いてきたレイス。満面の笑顔で言ってくる。
「あと、君の尻尾を触らせてくれると凄く嬉しい」
「却下」
 クキィは冷たく言い放った。

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小型拳銃
手の平に収まるほどの小さな拳銃。オートマチックで装填数は6発。弾丸には攻性法術が組み込まれており、口径とは裏腹に非常に殺傷力が大きい。
街中では魔銃を持ち歩くのは目立つので、護身用に渡されている。
11/10/13