Index Top 第4話 白い霧に包まれて

第5章 貫く力


 空間転移。任意の空間二点を接続し、途中の障害物を無視して瞬間移動を行う。非常に制御の難しい、空間自体に効果を及ぼす超高等術だった。
 術符に込められた魔術によって、一瞬で目的地まで移動する。
 客室のひとつ。ベッド、机、棚。何がどこにあるのかは、意識せずとも分かる。ここは自分の家なのだから。壁のランプが部屋をオレンジ色に照らしていた。
 ヴィンセントは窓辺に立っている男に目を向ける。
「ガルガス・ディ・ヴァイオン――」
 名前を呼ばれ、窓の外を眺めていたガルガスが振り向いてきた。
 身長百八十センチほど。獣のたてがみを思わせる長い黒髪と、質実剛健の体躯。黒いロングコートにズボン、靴という黒一色の出立。奇抜な恰好だが、違和感を覚えないほどに馴染んでいる。
「突然ですみません。あなたを殺しに来ました」
 一歩前に足を進め、ヴィンセントは声を掛けた。呼吸とともに、身体の芯を膨大な妖力が駆け抜ける。自身との契約により、一系統まで特性を絞り込んだ妖術。
 ヴィンセントの放つ殺気に気付いていないわけではない。
 それでも、ガルガスは気楽に右手を持ち上げてみせる。
「死合というのは、あらかじめ相手に果たし状を送りつけるのがマナーであると聞いたことがある。いきなり部屋に訪ねてくるのは、行儀が悪いぞ」
「今更行儀も何もあったものではないですけど」
 右手を持ち上げ、指先をガルガスに向ける。
 ヴィンセントの作り上げた妖術は、環境支配と呼ばれていた。自分の回りにあるもの、空気や水、土や火などに妖力を組み込み、それらを自在に操る。性質上、周囲の環境に依存してしまうが、その効果は非常に高いものだった。
「――風の大矛」
 声なき命令。
 部屋で微かに渦巻く空気が、急激に速度を増し、ガルガスへと襲いかかる。空気を操り、超高速超高圧の砲撃へと変えた。技術も戦術も、正攻法は必要ない。至近距離から最大火力を叩き付ける。
「ケンカ売るっていうなら、喜んで買うぜ!」
 ガルガスが右拳を振り抜いた。
 轟音とともに部屋が爆発する。超音速の空気砲を拳で殴って砕いたのだ。本来なら術を用いなければ不可能な現象を、理屈や道理を無視して実行してしまう。人智を超えた力。飛び散った空圧の破片が、衝撃波となって部屋にあるものを粉砕した。
 ヴィンセントはマントを持ち上げ、飛び来る空圧や木の破片を防ぐ。
「ぐ……」
 周囲の空気で防壁を作るものの、余波は消しきれない。ヴィンセントの足元より前が抉られたように無くなっていた。壁や床、天井まで半壊している。
 ヴィンセントはマントを下ろし、背筋を伸ばした。
 壁のランプが壊れ、夜の闇が周囲を埋め尽くしている。霧は未だに濃く、星明かりも月明かりも無い。それでも、鍛え抜かれた視力はガルガスの姿を捉えていた。
 部屋の外にある杉の木の梢枝に立っている。細く伸びた枝の上に、片足で直立し、両腕を組んでいた。渦巻く風に、漆黒のコートが翼のように翻っている。口元に獰猛な笑みを浮かべ、ヴィンセントを見下ろしていた。
「なかなか凄いじゃないか。かなりの使い手だな、あんた。これなら、久しぶりに歯応えのある殴り合いができるかな? で、次は何をするんだ?」
 黒い双眸に映る、好奇心。戦車砲並の空圧を至近距離から受けて、傷ひとつなかった。
 無傷であるのは予想通りとはいえ、気持ちのよいものではない。
「やはり通じない。怯むくらいはしてくれてもいいでしょうに」
 ヴィンセントは妖力を左腕へと走らせる。左腕が崩れた。
 腕から胸、上着やマントの左半分が霧となって融ていく。加減無しで作り出している妖力が、自身を一帯の環境と同化させていた。空気や塵、地面や木々までも。この濃霧はそのための媒介であり、ヴィンセントの力の補助として用意されたものだ。
 自分自身の身体を周囲の環境と融合させる、言わば切り札。
 だが、それでも絶望的なまでに力不足である。
 真紅の眼を見開き、ヴィンセントはガルガスを睨み据えた。
「あなたの事は聞いています。徘徊する混沌。およそ人の考えうる方法では、殺すことはおろか、傷を付けることすらできない――」
 存在自体が世界法則の外にある者。
 ガルガスは杉の木に立ったまま、何もせずに見ている。どこか退屈そうに瞬きをしながら。準備が整うまで待つ気だろう。
「なら、人ならざる者の力なら、少しは通じるのではないでしょうか?」
 床を蹴る。
 マントがほつれるように分解し、闇色の翼のように広がった。妖晶樹の繊維を編み上げた特別製の妖布だからこそ可能なものである。半身を霧に変え、黒翼を羽ばたかせ、ヴィンセントは空中を突き進む。さながら猛禽のように鋭く。真紅の眼を見開きガルガスを見据え、右腕を勢いよく突き出した。
 その手に握られた黒い槍が、空を貫く。
「お?」
 木の揺れる音。
 ガルガスが別の木の梢に移動していた。
 驚いたように、召喚された黒槍を見ている。
「――躱しましたね?」
 黒翼を広げて空中に留まったまま、ヴィンセントは薄く笑みを浮かべた。淡い手応えを覚える。街ひとつ消し飛ぶ攻撃でも避けないであろうガルガスが、槍を避けた。
 直感的に危険と察したのだろう。
 槍を握る右手に力を込める。
 百八十センチほどの黒い柄と、三十センチほどの鈍色の直刃。穂の根元から左右に二十センチほどの剣刃が伸びている。飾り気もない、地味な外見。十字剣槍と呼ばれる種類の槍だった。暗い闇の中では、刃が光を散らすこともない。
 柄を握り締め、穂先をガルガスに向ける。
「なるほど。面白いものを持って来たな」
 不敵に口端を持ち上げ、組んでいた腕を下ろすガルガス。両手の五指を一度開き、拳へと握り締めた。黒い眼に子供のような期待と興奮の輝きを映している。
「次は、こっちから行くぜ!」
 ガルガスが跳んだ。


 展開した魔銃を構え、クキィは一度瞬きした。
 右手でグリップを握り、左手で銃身を支え、ストック部分を腕で抱える。いつでも撃てる体勢だ。もっとも、すぐ撃つ必要は無いらしい。
「……凄い事になってない?」
 思わず目を疑った。目の前が瓦礫になっている。
 元は部屋があったのだろうが、壁も床も粉々に砕けていた。うっすら漂う埃と、古い木の匂い。クキィの傍らに浮かぶ魔術の灯りが、無機質に部屋だった場所を照らしている。瓦礫の向こうには夜の闇と、変わらぬ濃霧。
 遠くから、何かの壊れる音が時折聞こえてきていた。
「参ったわね」
 尻尾を下ろして、横に目を移す。状況が凄まじすぎて、思考が追い付かない。
 タレットが困ったように右手を見下ろしていた。
 その手に握られた黒い自動拳銃。
「これで、通じるのか? 弾は特殊とか言ってたけど。オレって学者先生だから、こういう荒事はあんまり得意じゃないんだよなー」
「おじさん、銃って使えるの?」
 魔銃を持ったまま、クキィは率直に尋ねた。
 タレットは武器類を使った経験は無いだろう。本人も言っている通り、本職は学者であり、軍人などではない。拳銃を持っていても実質飾りだろう。クキィの戦闘技術もほとんど付け焼き刃だが、無いよりはマシである。
 タレットは手の中で拳銃を一回転させ、言い切った。
「説明書読んだから大丈夫だろ」
「説明書……って」
 思わず肩をコケさせるクキィ。
 ふと気配を感じて、視線を動かした。魔銃を持ち上げ、ストックを肩に添え、トリガーに指をかける。クキィは魔術を少し覚えているが、銃器を使った方が威力も速さも安定しているというのが、本音だった。
 タレットも両足を開き、膝を曲げ、両手で拳銃を構えた。素人とは思えないほどに、基本に忠実な射撃の構え。
「こんばんハ」
 瓦礫の上に、カラが佇んでいた。
 十代前半ほどの妖魔族の少女。長いオレンジ色の髪を背中に流し、首の後ろを赤いリボンで留めている。金色の瞳と屈託のない顔立ち。サイズの大きなワンピースに似た服を着て、木のサンダルを穿いていた。両手は緩く握っている。
「あなたは、足止め?」
「ウン、そんなところかナ?」
 クキィの問いに、カラは曖昧に答えた。

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空間転移
異なる二点の場所を距離を無視してつなぎ合わせ、瞬間移動を行う魔術。ヴィンセントは術符に込められた魔術を用いて、食堂から客間へと一瞬で移動を行った。


環境支配
ヴィンセントの使う妖術。術力を実在物への干渉へと収束させた形態。
妖力を周囲の空気や水、土などに流し込み、自然現象を操る。その場にある自然物には、非常に強く干渉できるが、他の術のようにその場に無い現象を作り出す事はできない。金属との親和性は低く、また人工物に加工された自然物にも効果が薄い。
回復能力はほぼ皆無。

風の大矛
周囲の空気を集め、指向性を持った突風として相手に叩き付ける術。風というよりも、超高圧空気の砲撃であり、威力は戦車砲に匹敵する。射程距離は数キロ。
難易度5

環境融合
自分の身体と、周囲の水や土などを妖力でつなぎ合わせる。身体は融合したものと似たような特性を持つようになり、また融合した対象への干渉力が非常に強まる。
妖力の消耗は非常に大きい。
難易度6

融合霧化
周囲に漂う霧と身体を融合させる。霧を媒介にして空気から塵、土、水、自然にあるもの全てに干渉する術。媒介となる霧が存在しないと使えない。
難易度8

黒霧の翼
マントを分解し、黒翼に変えて飛翔する。周囲の空気を操り推進力を生み出し、翼で動きを制御する。猛禽類並の速度での飛行が可能。
マントは妖晶樹の繊維を編んだ特別製で、妖術に対して非常に高い親和性を持つ。

妖晶樹
妖力との親和性が非常に高い木。
その繊維から作られた布は、非常に強力な術具となる。


黒の槍
ヴィンセントが用意した対ガルガス用の切り札。黒い柄の先に穂先が付けられた簡素な構造。槍身の根元から左右に剣刃が伸びた十字剣槍。ヴィンセントは人ならざる者の力と読んでいる。
ガルガスは槍の一撃を避けた。
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