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第41話 これから |
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冷たい風が吹き抜けていく。十二月も半ば。気温は冬のものになっていた。 「もうすっかり冬なのです」 一樹の左腕に抱えられた鈴音が暢気に空を見上げている。 冬の空は高く澄んでいた。西高東低の冬型の気圧配置。日本海側では雪が降っていて、太平洋側では晴天になり、気温が下がる。 「寒い……」 コートにマフラーという防寒着のまま、一樹は率直に唸った。日曜日の朝である。鈴音に頼まれて朝の散歩に出掛けたのだが、既に挫けそうだった。 左手に掴まったまま、鈴音が振り返ってくる。 「一樹サマは寒がりなのです。やはり、体脂肪率が低いからなのです。痩せすぎなのです。もう少しお肉食べた方がいいのです」 「肉は苦手なんだよ……」 菜食主義というわけではないが、一樹は子供の頃から肉が苦手だった。食べる量もそれほど多くないので、子供の頃から痩せすぎ体型である。 「人間好き嫌いをしてはいけないのです」 腕組みをしながら、したり顔で頷いている鈴音。散歩に出る前に防寒の術を纏っているので、この寒さも平気なようである。 思いついたように声を上げた。 「ところで一樹サマ」 「ん?」 視線を下ろすと、鈴音が白衣の左袖に右手を入れている。仕組みは知らないが、袖には小物を収納しておけるらしい。その仕掛けを訊いても答えてはくれない。 鈴音が袖から取り出したのは、赤いお守り袋だった。鈴音や琴音が付けているのと同じ形だが、文字は記されていない。前に仙治から渡されたものである。 「昨日机の中からこんなものを見つけたのです。複雑な術が込めてあるみたいなのですけど、これは一体何なのです? 多分主サマが作ったもののようですけど」 「他人の机を勝手に漁らないの……」 「痛い、痛いのです!」 人差し指をこめかみに押しつけられ、鈴音はばたばたと両足を振っていた。両手で一樹の指をどかそうとしているが、痛みのせいで手に力が入っていない。 数秒ほどこめかみを攻められてから、しかし鈴音は気丈に反論してくる。 「好奇心とは古来より人間を発展させてきた、最も重要な感情なのです。不思議、疑問、謎、ヒトはそれを解明するために、時に命を投げ出すこともあるのです。だから、ワタシが好奇心で一樹サマの机を勝手に見たのも、当然の理なのです」 小難しい言葉を並べてはいるが、意味は半分も理解していないだろう。本かテレビ番組からの受け売りかもしれない。 一樹は眼鏡を光らせ、そっと鈴音の頭に手を置いた。頭を優しく撫でつつ、 「琴音用のお仕置きフルコース行ってみる?」 「ごめんなさいなのです。ワタシが悪かったのです。もう二度としないのです」 全身を硬直させて、即座に謝ってくる。効果は抜群だった。 鈴音は口元をきつく結んで、黒い瞳にうっすらとした恐怖の感情を浮かべている。微かに身体が震えているのも分かった。鈴音も琴音も難しい話は苦手なので、それを無理矢理聞かされるのは、お仕置きと言うよりも拷問に近いだろう。 「よろしい」 「うぅ……」 一樹の言葉に、鈴音が安心したように力を抜いた。 静かな道路を歩きながら、一樹は空を見上げる。千切れた鱗雲が浮かんだ、冷たい色の空。冷たい北風の吹く住宅街の道路。気温のせいか、人の姿はあまり見られない。元々日曜日の八時過ぎに出歩く人というのも、そう多くはないだろう。 「で、一樹サマ。これ何なのですか?」 鈴音は右手に持っていた赤いお守りを改めて見せてくる。 何の変哲もないお守り袋だ。話によると、袋自体はごく普通のもので、鈴音の依代のように術保護もしていないらしい。重要なのは中身である。 話すか否か迷ってから、一樹は口を開いた。 「鈴音と琴音を人間にする術式の一番最初、らしい」 「人間に、なのですか?」 その説明に、鈴音が不思議そうな顔をする。 一樹は鈴音が持ち上げていたお守りを手に取り、小さく息を吐いた。白い湯気が空中に浮かんで消える。何の意味の吐息なのかは、自分でもよく分からない。 「ぼくも詳しいことは分からないけど、人間の要素を加えるものみたい。これ以外にも色々必要だけど、まずその最初だって。そうすれば、鈴音たちは人間の女の子になれる。そう説明された。戸籍とかは向こうで何とかするって」 つらつらと隠さず告げる。いずれ話そうと思っていたことだ。 術などに関しては一樹は全く知らない。仙治もその辺りの説明は省いていた。だが、言われたことは理解していた。鈴音と琴音を一人の人間に変える特殊な術。完全な人間としての肉体を作る術で、外見年齢は適当に調整するらしい。 「幸せになって貰いたいんだろうな」 お守りについて説明する仙治を思い浮かべ、一樹は小さく独りごちた。自分で作った者に対する愛情なのだろう。気の抜けた態度に見えた、仙治の強い意志――娘を想う父親のような必死さが印象に残っている。 「ワタシと琴音が人間に……なのです?」 鈴音が呆けたように自分を指差した。 「鈴音たちがぼくとずっと一緒にいるなら、いっそ人間になっちゃった方がいいんじゃないかって……。仙治さんがね。でも、これを使わないなら、鈴音と琴音はずっとそのままだし、そこは自分たちで決めろとも言われているよ」 公園で仙治と交わした会話を思い出しながら、一樹は赤いお守りを見つめる。深く突っ込んだ事までは言われていないが、何を言いたいのかは容易に想像がついた。いずれ考えなければいけないと思っていた事ではある。 一樹に抱えられたまま、鈴音が神妙な面持ちで腕組みをした。 「ふむ。異種族間の恋愛とすれ違い。王道なのです」 「違うような、違わないような……」 お守りをコートのポケットにしまい、一樹は苦笑いを見せる。 その態度に構わず、鈴音がまっすぐに見上げてきた。口元を引き締め、黒い眉毛を内側に傾けている。説得力は薄いが、真剣で真面目な表情。 「それはつまり、ワタシと琴音が人間になって、一樹サマと結婚してしまえということなのです。一樹サマはワタシのことが好きなのですか?」 直球の問いを投げかけてきた。 「……うん」 少し迷ってから、一樹は答えた。自分は一体何を言っているのだろうと気恥ずかしく思いつつ。自分のことながら、他人行儀に言葉が浮かんでくる。 「好きだけど、多分恋愛感情とかそういうものじゃないと思う。本当に難しいことだよ。だから、いつでも使えるようにって渡されたみたいなんだけど」 「ワタシは一樹サマのことが好きなのです。だから、いつ人間になってしまっても構わないのです。プロポーズならいつでも受け付けているのです」 自信満々に自分の胸を叩く鈴音。難しい事を考えるのが苦手というだけあって、もう結論は出してしまったようだ。その言葉に嘘偽りはないだろう。 悩む自分を馬鹿らしく思いながら、一樹は鈴音の頭を優しく撫でる。 「気長に待っててくれないか?」 「それがいいのです」 鈴音は笑顔でそう言ってきた。 |